ある日、突然やってきた異端審問官たちに、無実の罪を自白するまで拷問を受け、最後には火刑に処される――。中世から近世にかけてヨーロッパで頻発した「魔女狩り」にはそんなイメージがつきまとう。なかでもスペインの異端審問官は、理不尽な追及の象徴として扱われてきた。
だが、史実は必ずしもイメージ通りではなかったようだ。2023年5月8日に発売される『闇の魔女史 世界の魔女と魔女裁判の全貌』(グラフィック社)は、17世紀初頭のスペイン北部・バスク地方で起きた「バスク魔女裁判」について詳述している。
1610年、ある町で起きた魔女の処刑をきっかけに、バスク地方は「魔女熱」に襲われた。大がかりな組織的異端教派への恐怖が急速に広まり、 お決まりの「悪魔的罪」の告発が多発。夜にサバトが開かれ、 淫らな踊りや悪魔との性交が繰り広げられるとの話が広まり、数年間にわたって数千人の男性、女性、子どもが追及を受けた。
実はこの時、魔女狩りの熱を鎮めて混乱を終わらせたのは、異端審問当局だったという。マドリードの王室や異端審問最高会議は、バスク地方での魔女狩りの加熱ぶりに疑念を覚え、当時、秀才として知られた異端審問官サラザールに調査を命じた。
サラザールは、妖術を自白した者と、 彼らを告発した者の両方から話を聞き、裁判記録を検証した。すると、そこには驚くほどの「虚偽、虚報、不正」があった。サバトへの参加を告発された女性の多くは処女だったし、自ら魔女であると自白した者の証言は矛盾だらけだった。事態を憂いたサラザールは、魔女として摘発された罪人たち1802人に恩赦を適用し、「現在までに取られた妖術に関する自白と証言を一律に無効と宣言すべきだ」と主張した。
異端審問最高会議は彼の忠告を受け、今後の尋問方法に関する指示をすみやかに発表。結局、騒動の初期に処刑された数人を除けば、誰一人として火刑に処されることはなかった。
悪名高いスペインの異端審問所は、疑わしい人物を容赦なく追及していたと考えられがちだが、それは誤りだという。実際、イべリア半島各地で執行された魔女の処刑のほとんどは世俗の当局主導で、異端審問官は関与していなかった。また、バスク魔女裁判の後、スペインの異端審問では、1700年までの間に妖術で5000人が告訴されたが、火あぶりに処された者は皆無だった。
たしかに、15世紀末にスペインに異端審問所が設立されたあと、数十年にわたり、魔女の存在は深刻な懸念事項と考えられていた。だが、異端審問官の多くは魔女狩りに懐疑的で、魔女への態度は時間と共に変質し、急速に慎重な態度を取るようになったという。異端審問官たちは、むしろ魔女狩りに異を唱え、抑制する役割を果たしていたのだ。
本書では、世に強烈なインパクトを与えた「魔女」「魔女狩り」「魔女裁判」を取りあげ、魔女とは何者なのか、なぜ魔女狩りは起きたのか、告発された者は本当に魔女だったのかを、さまざまな角度から徹底検証している。歴史の暗部に光を当てた1冊だ。
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