いまや「AI(人工知能)」という単語をメディアで見ない日はない。AIがプロの棋士に勝つことに驚いたのは少し前までのことだ。それだけ生活に溶け込んできたAIだが、AIとはいったい何ものなのか、そして、どこまで私たちの暮らしとつながっているのかを知っている人は少ないのではないだろうか。人間と同じような能力を持つコンピュータのようなものと思考停止しているテレビのコメンテーターを笑えない自分がいる。
AI研究の最前線にいる研究者3人による本書『AI新世 人工知能と人類の行方』(文藝春秋)は、そんな疑問にイチから答え、さらに、間もなくAIが人類の知の総量を超える日が来るという「予言」への向き合い方を考えさせる本である。
新しい地球の地質年代の考え方として、人類が温暖化などで生態系にも大きな影響を与えるようなっているとして「人新世」という表現が話題になっている。著者たちは、その上に、AIがその人類の社会にも大きな影響を与える時代がきているのではないかと考え、「AI新世」と名付けたとしている。
確かに、AIが消費する電力だけも桁違いで、ルービックキューブをロボットが解く方法のアルゴリズムの学習には、原子力発電所3基が1時間に出力するのと同じ電力が必要だったという例も紹介される。存在自体が自然のスケールとは違うのだ。
本書第1部「AIにできること」では、AIが画像・音声・文章の「認識」と「生成」をどのように行っているのか、その原理と構造が解説される。人間の顔認証から、野鳥の鳴き声で鳥の名前を見分け、外国語の自動翻訳など、最近のスマホでもおなじみの機能の原理も示される。
そうしたAIの能力、人間なら知能と呼ばれる機能をもたらしたのが「深層学習」(ディープラーニング)と呼ばれる方法だ。機械が「学習」するわけだが、まるで人間が教師から正答と誤答をひとつひとつ指摘されながら、何が正解に導くのかを試行錯誤しながら記憶し、精度を上げていくものなのだ。人間の脳の神経組織と構造が似ているニューラルネットワークが鍵を握っていることも図解され、「深層」の意味もわかってくる。
おもしろかったのは、こうした学習は、いわば数多くの「過去問」で正解が出せるようになる状態という比喩だった。確かに、さまざまな受験でも過去問を解く重要性は大きい。しかし、過去問の解き方を丸暗記しても、新しい問題が解けるとは限らない。膨大な過去問のデータからその構造を把握して、新しい問題も解けるようになる「汎化能力」を身につけていくことが、AIの底力なのだという。読んでいて、AIが健気な受験生のように思えてきた。
だが、この「受験生」の能力は並みではない。第2章「AIは社会をどう変えるか」では、現在の日本を中心に、AIがどのように社会に組み込まれ、また、組み込まれようとしているのか、実例をもって紹介される。
情報通信技術(ICT)などを中心とした分野の実例が多いのだろうと思っていたが、冒頭から「第1次産業」、つまり、農業や酪農、水産業での実例が多種多様に出てきたことに驚いた。考えてみれば、労働集約型で人不足が深刻なこの分野であればこそ、AIとロボットの活用が最も効果を上げることになるのは当然だ。
ほかにも、第2次産業、第3次産業と、企業や研究機関の実名とともに、次から次へとAIの実例が紹介されていく。「えっ、こんなところにも」というケースも随所にあり、私が毎日のように行くスーパーの名前も出てきた。万引き防止策に既にAIが導入されて効果を上げているということを知り、その後、このスーパーに行ったときは思わず天井や周囲を見渡した。
こうしたAIが人類を超える日が来るというのが、米国のレイ・カーツワイルが唱える「シンギュラリティ(技術的特異点)」の予言だ。AIの知能が人間の知能を超え、文明の主役はAIになる。そして、それは「2045年」までにやってくる、というものだ。本書第3章「AIの歴史と未来」では、この点にも触れられている。
AIが深層学習で人間の顔を認識できても、何を手掛かりにして判別したかという説明は得られないように、実は、人間が顔を認識した場合も、その理由を言語化することは非常に難しい。AIも人間の脳も似ているからだが、大量の記憶をAIが集積していけば、いずれAIは人間の知能を超えるのではないか、という予測が出てくるようになったのだ。
AIの知能が人間にとって代われば、人間は労働から解放され、価値観や生き方が変わる一方で、仕事という生きがいが失われ、AIに支配される時代が来るという見方があり、「2045年問題」という表現も出てきている。まるで「ノストラダムスの大予言」のようだ。
AIが人間を超えるには、いまは人間がAIに与えている深層学習の機会やデータを、AI自身が自分で実行できるようになる必要があり、そのようなAIを「汎用人工知能(AGI)」と呼ぶそうだ。すでにGoogleやIBMなどのグループで研究は始まっている。
本書の最後に収録されている著者ら3人による座談会「AIは人間にとって代わるのか」は、シンギュラリティの可能性を考える討論といってもいいだろう。本書の監修者で、ニューラルネットワークや機械学習の研究で文化勲章を受章している甘利俊一さんは、カーツワイルの予言について、ある判断を下している。
その結論を意外と受け止めるか、なるほどと考えるか。さて、あなたはどちらだろうか。
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