ネット社会の現状について書かれた本は少なくない。本書『デマ映えの民主主義――ネット社会をどう生き抜くか』(かもがわ出版)もその一つだ。
類書と異なるのは、著者の蜷川真夫氏自身が、「J-CASTニュース」の発行人であること。すなわちネット業界の「中の人」による体験的ネット社会論となっている。
蜷川氏のもう一つの特徴は、ネット以前に、新聞・雑誌・テレビの世界でも長く経験を積んでいることだ。朝日新聞社で社会部記者、ニューデリー特派員、週刊朝日編集委員、AERA編集長などを務め、コメンテーターやキャスターとしてテレビやラジオにも関わっている。定年前に退社し、株式会社ジェイ・キャストを設立。2006年からJ-CASTニュースをスタートさせ、現在は同社代表取締役会長を務める。
蜷川氏はこれまでに『田中角栄は死なず』 (1976年)、『インド人力宇宙船』(85年)、『電子テクノ・エリート』(87年)、『ネットの炎上力』 (2010年)などの単著のほか、共著で『ウィキリークス』(11年)などを出している。
これらの著書の中で際立つのは、『電子テクノ・エリート』だ。週刊朝日の連載を書籍化したもので、早くも1980年代の半ば過ぎに「テクノ」に注目している。「日米技術戦争を担う企業頭脳集団! いまやアメリカと世界一の座を争うまでに発達した、日本のエレクトロニクス技術。その実力はどれほどのものか。またその将来は...。第一線研究者たちの素顔を通して、日米摩擦の根底にまで迫る異色のレポート」というのが、同書の概要だ。
ウインドウズ95が登場する以前から、蜷川氏が「電子技術」に関心を持ち、取材していたことが分かる。
このように、今では「旧メディア」とされる新聞や雑誌と長く関わり、同時に早くから「電子社会」の到来を予想していた蜷川氏が、現在のネット社会についての思いをつづったのが本書だ。
当然ながら、本書には著者の複雑な思いが交錯する。それはタイトルの「デマ映えの民主主義」という言葉に集約される。「映(ば)える」とは、ひときわ美しく目立って見えるさま、他と比べても特に際立っているさまのことだ。「インスタ映え」などという形で、ネット時代になって頻繁に使われるようになった。
何かをネットで発信し、多くの共感を得る――それが、近所で見かけた草花や、たまたま入った食堂の親切な応対にまつわる話ならば、罪もないが、もしも「デマ」だとしたら・・・。
ネットには匿名の個人が自由に発信できるという利点がある。しかし、その真偽はすぐには分からず、「デマ」でも真実としてあっというまに流布してしまう危険性がある。
本書では内外の多数の事例が紹介されている。特に深刻なのは、権力を持つ人や、発信力のある有名人による「デマ」だ。それらは「民主主義」自体をも揺るがすことになる。
しかも、「本当かもしれないデマ」は、場合によっては多くのアクセスを稼ぐ。金もうけの手段になっているケースもあるという。
ネットは、上手に利用すれば、多様な意見を目にしながら、情報の集約をすることが出来る。しかし、一方では、すでによく知られているように、ネットを牛耳る巨大IT企業によって過去の閲覧結果などのデータが収集され、自分の好むタイプの情報が、優先的に勝手に届いてくるという仕組みがある。トランプ支持者は、「トランプ氏は正しい」という情報を目にする機会が増える。
そうしたネット社会では、様々な事柄に関して奇妙なことが起きる。多数の人たちの「世論」と、特定の人たちの意見とのズレだ。本来は多数のはずの人達があまりネットに書き込まず、「特定」の人たちが何度も書き込むと、ネット上では「特定」の人たちが多数派のような逆転現象が起きる。
蜷川氏は、こうした特定の人たちの声を「凸論」と呼んでいる。何かの問題に対し、電話で集団抗議することを呼び掛ける行動を「電凸」というが、それをもじっている。
例えば2021年9月の自民党総裁選では、様々な調査で、国民や自民党員の「世論」は河野太郎氏が有利という結果が出ていた。ところが、J-CASTニュースなどネットメディアの調査では高市早苗氏が群を抜いてトップだった。
ネット社会になって、世界はネットでつながり、文明の姿を変えつつある。蜷川氏は現在の状況を「ネットメディア文明の時代」と呼んでいる。そこでの「功」もあれば、「罪」もある。
本書で蜷川氏は、技術とメディアを活用して民主主義を実現する運動のリーダー、イーライ・パリサー氏の『フィルターバブル』(早川書房、2016年)、マインドコントロールなどに詳しいウィルソン・ブライアン・キイ氏の『メディア・レイプ』(リブロポート、1991年)、さらに米国の心理学者による『デマの心理学』(岩波書店、1952年)などを参照しながら、ネット社会の危うさを解き明かしていく。この辺りは、学生時代に「社会学」を学んだという蜷川氏のこだわりであり、本書の真骨頂ともいえる。
かつて在籍した新聞、雑誌、テレビなどに対する哀惜と残念な思いも強い。一つには、これらの既存メディアがネット時代に対応できるビジネスモデルを作れていないこと、もう一つは、既存メディアから発せられた情報がネットで歪められ、拡散している例が少なくないことだ。
既存メディアが再生するには、現在のようにネットにニュースをバラ売りするのではなく、パッケージとしての再構築を考えるべきであること、なども提言している。
書籍には時に「憂国の書」というようなものがあるが、本書は既存メディアとネットメディアの双方を体験してきた著者の「憂ネット」の書ともいえる。
本書のプロローグでは、奈良・興福寺の寺務老院である多川俊映氏の言葉、――「人間は自分に好都合な情報を求めることに必死です。歩いていても端末での情報摂取に余念がない。でもそれは情報の浅瀬を当てもなくさまよっているようなものです」(週刊新潮2020年3月12日号)が紹介されている。
「あとがき」では国際ジャーナリストの堤末果さんが、「『見えない利益』が民主主義を支える」という一文を寄稿している。
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