以前、「自分史」の取材・執筆・編集をしたことがある。少なからぬ費用を払ってまで依頼してくる顧客は、70~80代の首都圏在住者で、それなりに成功した方々が多かった。社会的には無名だが、戦中、戦後の混乱期と高度成長期を乗り越えて、たくましく生きてきたことは皆共通していた。
それらをデータベース化すれば、戦後日本人の「生活史」の資料になると夢想したが、実現しなかった。本書『東京の生活史』(筑摩書房)は、「東京」という補助線を引くことによって、東京という都市、そして今生きる日本人の生活を、断片的にだが、浮かび上がらせた労作である。
最初、タイトルから、東京出身の東京在住者を対象にした「差異」のテキストかと連想した。住んでいる場所、年齢、職業によって異なる「東京」。だが、まったく違った。国内どころか海外出身者も多く、現在は東京に住んでいない人もいる。かろうじて、東京に接点があるというのが、条件だ。
そうした150人に150人が聞いて、書いたという本だ。対象者のほとんどは匿名で、何人かが名前を出しているが、それはまったく問題ではない。むしろ、語りの豊かさに圧倒され、いつまでも聞いていたいと思ううちに、1216ページという大著を読み通すことになるだろう。
多少とも取材や編集を経験した人ならば、どうやって、この本をつくったのかが気になる。編者の岸政彦さんが「あとがき」で明かしている。岸さんは、社会学者。立命館大学先端研教授。研究テーマは沖縄、生活史、社会調査方法論。著作に『同化と他者化─戦後沖縄の本土就職者たち』『街の人生』『断片的なものの社会学』(紀伊國屋じんぶん大賞2016受賞)のほか、『ビニール傘』『図書室』『リリアン』など小説がある。
本書は岸さんの提案から始まり、筑摩書房がプロジェクトとして進めたものだ。聞き手をウェブサイトで公募したところ、480人が応募。最後は抽選で150人に絞った。コロナ禍でもあり、「説明会」がネットで行われたのが、2020年9月。その後、簡単な研修がネットで行われた。聞き手は、それぞれ一人の知り合いに声をかけ、その話を聞いた。
出身も職業も年齢もジェンダーも異なる人たちが、それぞれの人生を語っているのだから、内容がさまざまであることは当然だ。驚異的なのは、叙述がほぼ一定水準であることだ。編集者の超人的な作業があったことは予想されるが、それぞれの人生のここぞ、というところに食い込み、言いにくいことでも引き出している。最初はプロのライターを起用したかと思ったら、公募で集めた人たちと知り、感嘆した。
その秘訣を岸さんが明かしている。岸さんが研修で求めたのは、「私たちは、どれくらい『積極的に受動的』になれるか?」ということだった。「聞き出してやろう」と思うほど、語りはやせ細る、と書いている。
そのとき気が向いたことを語ってもらう。偶然生まれた質問が、ひとつの言葉を、そしてまた次の言葉へと必然的に連なっていく。結果的に壮大な人生の物語が出現するというわけだ。
聞き手が「黒子」になり、気配を消すことによって、叙述がほぼ一定水準になったというのもうなずける。方法論ばかり書いてしまったが、肝心の内容はどうか。付箋だらけになった本から、いくつか印象に残ったタイトルを引用しよう。
「やっぱり一番根底にあるのは、普通の社会、一般社会の中で、『普通に働けるよ』っていう姿をみせたいっていうのはあります」 「で、結局地域の子で『友だち』になった子っていなかったですね、ずっと。うん。それはもう、大人になるまで」 「私のあずかり知る東京はだいたいこのへんがすべてなんですけど。中央線がすべてなんですよね」 「逃げていく車を津波が飲み込んでいくシーンとか。あれジッと見てたんですよ。そしたら俺何やってんだろうって」 「そう、だから、次は東京、うん。東京だったらわたし一人ぐらい生きていく場所があるんじゃないかなと思って」 「本当の意味でのルーツは沖縄。東京は、住む場所というより、成長できる場、憧れの地という感覚があったんだよね
150人の取材対象者の属性はばらばらだが、通して読むと地方出身者、貧困家庭に育った人、性的マイノリティの人、連れ合いと別れたり死別したりした人がある一定の割合で存在することがわかる。
成功した人もいれば、失敗した人もいる。東京を離れ捲土重来を期す人もいれば、海外から東京に来て根をおろした人もいる。このモザイクのような多様性こそ、「東京」ということなのだろう。
悪戦苦闘、粉骨砕身......。学校を辞めたり、会社を辞めたり、つぶしたり、離婚したりと一筋縄ではいかない人生を送ってきた「他者」の人生の深淵をのぞき、このメガシティに生きるすべての人々へ共感するとともに、自分の「生」を大切にしたい、そんな思いがこみ上げてくるに違いない。
BOOKウォッチでは、関連で『はじめての沖縄』(新曜社)、『大阪』(ちくま新書)を紹介済みだ。
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