2020年1月に急逝した評論家・坪内祐三さんほど、近年、手厚く追悼された文人、物書きはいないだろう。「ユリイカ」(2020年5月臨時増刊号)は、453ページにわたって、圧巻の「総特集 坪内祐三」を組み、坪内さんが深くかかわった「本の雑誌」は同誌に坪内さんが書いて、話して、投稿した原稿をすべて収録した『本の雑誌の坪内祐三』(本の雑誌社)を刊行した。
該博な知識と広範囲にわたる仕事ぶりについては、よく知られるようになったが、人となりはどうだったのか、という疑問に答えるべく、妻で文芸ジャーナリストの佐久間文子さんが書いたのが本書『ツボちゃんの話 夫・坪内祐三』(新潮社)である。
簡単に坪内さんの経歴をおさらいしておこう。1958年東京都渋谷区生まれ。早稲田高校から早稲田大学第一文学部に進み、同大学院英文科の修士課程を修了。都市出版に入社、雑誌「東京人」の編集者となった。この頃、文化人類学者の山口昌男さんの知己を得た。山口さんを学長に「東京外骨語大学」を結成、古書店主らと活動した。最初の著書『ストリートワイズ』(晶文社)を出したのは、1997年、39歳と遅かったが、それから快進撃が始まる。『靖国』、『古くさいぞ私は』、『慶応三年生まれ 七人の旋毛曲がり』、『新書百冊』、『人声天語』、『酒中日記』など四十数冊の単著がある。
近年は、文芸評論家・福田和也さんと対談「文壇アウトローズの世相放談 これでいいのだ!」を16年間、「週刊SPA!」で続けていたことでも知られる。
新宿で暴漢に襲われ、死線をさまよう大けがをしたこともあったので、坪内さんの訃報を聞き、「なぜ?」と思った人も多い。本書の第一章で佐久間さんが「亡くなった日のこと」を記している。
1月12日午後6時頃、自宅近くの仕事場にいる坪内さんから電話がかかってきた。
「原稿が書けないんだ。帰るの、少し遅くなる」
「原稿が書けない」というのは珍しかったという。でも6時半頃に戻って来た。酒を飲まないのは年に1日か2日という坪内さんが、「今日は飲まない」と言うのを聞いて、体調がよくないんだな、と思ったそうだ。インフルエンザかと思い、早めに寝室に連れて行った。午前零時すぎ、佐久間さんも寝室に行くと、呼吸音がおかしかった。救急車を呼び、すぐに到着したが、「心肺停止状態です」と言われた。その後は茫然自失の状態が続いた。どこで兆候を見逃したのだろう、と自分を責めた。
「第2章 出会ったころ」から、その後の20年あまりの日々のことが綴られている。1997年、佐久間さんは当時、朝日新聞の文化部記者として働いていた。読書面の担当で、坪内さんの1冊目の『ストリートワイズ』を読み、書評が出ればいいな、と思ったという。だが、書評は実現せず、佐久間さんはインタビューを企画し、直前まで在籍していた「AERA」に持ち込んだ。
「なんとなく面倒なひとかもしれないな」と勝手に気難しいひとを想定していたが、電話に出た坪内さんは意外にも気さくで、フレンドリーだった。6歳年上の坪内さんとの関係を、「ご隠居さんと丁稚、師匠と弟子みたいなところがあった」と表現している。
古書店に行ったり、芝居を観に行ったりするようになったが、坪内さんが不用意に言ったひとことが佐久間さんの耳に入り、怒りのファックスを送っていた。ある日、神奈川近代文学館の展示を見に、横浜に行った。文学館の入り口で「ばったりツボちゃんに会った」。一緒に展示を見るうちに、怒っていたことはどうでもよくなったという。その日、文学館に行かなければ、つきあいも途絶えていたかもしれない、と書いている。
当時、佐久間さんには配偶者が、坪内さんには恋人がいたが、それぞれ別れて98年12月に一緒に暮らし始めた。坪内さんが暮らしていた三軒茶屋のマンションに佐久間さんが、かばん一つで転がり込んだ。だが、前妻の写真家神藏美子さんの荷物が置かれたままで、落ち着かなかった。家に帰ると、神藏さんと坪内さんが仲良くお茶を飲んでいることもあったという。
結局、そこを仕事場にし、近くにマンションを借りることにした。仕事場の本棚、自宅の本棚の写真が載っているが、どちらも本であふれかえっている。それぞれ数万冊の古書や新刊本、雑誌がジャンルごとにきちんと部屋を分けて几帳面に収納されている。新宿や銀座に出没し、酒を愛した坪内さんだが、毎朝、8時には起きて仕事をしていたというから、物書きとしては精勤な人だったことが分かる。
神藏さんのことがしばしば出てくる。「文ちゃんは嫉妬深いから」というツボちゃんの声が聞こえてきた、とも。神藏さんの『たまもの』という写真集が出てから、二人は激しいけんかを何度もした、と書いている。
「嫉妬せず、妻の新しい恋を応援するのは本心から出たことばだろう。けれども私には、そういう物語をつくりあげて、人生の難局を乗り切ろうとしたのではないかとも思える」
プライベートなふれたくない部分まで正直に書く佐久間さんに凄みを感じた。坪内さんの「雑誌小僧」ぶり、「人間おたく」ぶり、突然「怒る」気難しさにも、それぞれ章を割いている。公私ともに、亡くなってから妻にここまで詳細に書かれた物書きはあまりいないだろう。
「次から次へと何かが起こり、恋人というより、家族であり同志みたいな関係になってしまった」と書いているが、坪内さんの最大の功績は、佐久間さんを妻にしたことだろう、と思った。
ずいぶん前のことだが、面識のない評者に坪内さんから夜、突然電話があった。どこかで携帯電話の番号を聞いたのだろう。出て来て、飲まないかという誘いだった。もう郊外の家の前だったので、丁重にお断りした。二度と電話がかかってくることはなかった。だが、一読者として、もっと長く坪内さんの仕事を見たかった。
BOOKウォッチでは、坪内さんの『ストリートワイズ』、『本の雑誌の坪内祐三』のほか、「ユリイカ」など相次ぐ坪内祐三さん追悼特集の記事を紹介している。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?