2020年1月に亡くなった評論家・坪内祐三さんを偲ぶ雑誌の追悼特集が相次いでいる。坪内さんが深くかかわった「本の雑誌」は4月号、長くコラム「文庫本を狙え!」を連載した「週刊文春」は4月23日号、そして「ユリイカ」2020年5月臨時増刊号は、453ページ、圧巻の「総特集 坪内祐三」を組んでいる。
「週刊SPA!」で「文壇アウトローズの世相放談 これでいいのだ!」を16年間、二人で対談した福田和也さんは、坪内さんの幽霊とともに二人の出会いと文芸誌「en-taxi」創刊の頃を振り返っている。
「対談は一六年も続いたからね。よく続いたなあ」 「書くものは全然違うけど、根本のところで共感があったからじゃないかな。お互い二九歳まで親がかりの生活をして、その間古今東西の文藝や音楽、美術を渉猟したということで共通している。だから坪ちゃんが培ってきた土壌がいかに豊かであるかが僕にはわかった。その土壌が新雑誌には必要だと思ったんだ」 「僕にとって文藝誌っていうところが重要だった。僕は頭が古い人間なんで、文学こそが世の中で一番偉いと思っている。文学は世の中のすべての問題を抱え込むことができる大きな器なんだ」
たくさんの追悼文については後ほどふれることにして、「en-taxi」の編集者だった壹岐真也さんと評論家亀和田武さんの対談「散文家・坪内祐三」が面白い。
「だいたい福田さんが最初に決めるんですよ。その福田さんの特集を見たうえで坪内さんが、という感じでしたね。だから完全に編集ですよね」 「そうなんだよね。いい意味でも悪い意味でも、編集まで関与できないと」 「おもしろくないでしょう」
編集者、物書きとしての坪内さんを回顧する文章が多い中で、学生時代の面影を記したジャーナリスト、速水由紀子さんの「坪内祐三は高田馬場のギャツビーだった」という一文に目が行った。早大のミニコミ誌「マイルストーン」に他大学から速水さんは参加した。長野県美ヶ原にあった坪内家の別荘にメンバーと行った際の不可思議な姿について書いている。そして坪内さんの著書『古くさいぞ私は』の「あの頃読んだ本『グレート・ギャツビー』」から引用している。
「自分自身が恥ずかしがりやだからだろうか。私はシャイな主人公が登場する小説が大好きだ。『ギャツビー』は、この私の条件を満たしてくれた」
酒客・坪内祐三、ツボウチ・イコノロジー、坪内祐三日記、同時代としての坪内祐三など、坪内さんのさまざまな顔に迫るテーマが目白押しで、一つひとつの文章をじっくりと読みたい。
「週刊文春」の特集では、中野翠さん、泉麻人さん、平山周吉さんが、「文庫本を狙え!」について語っている。中野さんは「優れた編集者的センスとすごく鋭敏な雑誌的なセンスを持っている書き手だった」と話し、平山さんは「単なる本好きではなくて、小学校四年の時から『週刊新潮』と『週刊文春』と『女性自身』を読んでいる嫌味な子供だったから、根っからの週刊誌人間なんですね」と早熟ぶりを語っている。
坪内さんの妻の佐久間文子さん(文芸ジャーナリスト)が、「気がつけばいつも」と題し、緻密でていねいな仕事ぶりについて書いている。
泉さんによると、『編集者として、追悼特集が好きだったからね』という坪内さん。いま自分を追悼する特集を読み、どう思うだろうか。
「本の雑誌」は、「さようなら、坪内祐三」と題し、坪内番編集者座談会、総勢37人の追悼のことばにツボちゃんに教わった店、さらに自宅と仕事場の本棚を8ページで公開するカラー口絵「本棚が見たい!特別編」まで、88ページの大特集だ。
「91年1月号の初登場から30年、本の雑誌とともにあった(と思いたい)坪内祐三がここにいる! ありがとう、ツボちゃん」と記している。
幅広い執筆活動をした坪内さんの面影が3誌の追悼特集から伝わってくる。
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