作家で法政大学国際文化学部教授の島田雅彦氏の自伝的青春<私>小説と銘打った本書『君が異端だった頃』(集英社)が、滅法面白い。幼少期から多感な青春時代、鮮烈なデビューとその後の苦闘。中上健次ら戦後を代表する文学者たちとの愛憎劇まで盛り込まれ、昭和と平成の生きた「文学史」の趣すらある。圧巻の読売文学賞受賞作。
文体が独特だ。終始、書き手が主人公に対して、「君は」と呼びかけるような形で書かれている。書き手である島田氏との距離感が絶妙で、いわゆる自伝的私小説にありがちな泥臭さとは無縁だ。そして作家の観察眼が容赦なく主人公に向けられる。
島田氏は1961年東京都生まれ。育ったのは東京郊外、神奈川県川崎市の多摩丘陵のふもとの街だ。小学生時代は縄文土器の発掘に夢中になり、中学時代は登山や音楽に耽溺する少年だった。中学卒業までは「第一部 縄文時代」となっている。
転機が訪れたのは中三のこと。一番若い叔母がなぜか東大生と結婚し、突如親戚に出現した東大生が家庭教師になった。英語や数学が得意になり、医学部で精神医学を学ぶ新しい叔父とは文学の話もするようになった。そしてかつては県内有数の進学校だった県立川崎高校に入学する。この川崎高校時代が前半の山場だ。
県立川崎高校は東大に30人合格していた進学校だったが、1969年の学園紛争が激しく、制服も生徒会も定期試験も廃止された、「全国で最も自由気ままな高校」となっていた。紛争後は学力低下の一途をたどり、当時父兄の評判も芳しくなかったという。
学校見学の際、きれいな女子生徒に声をかけられた。中学校名を告げると、「北部の子か」と言われた。
「北部から見れば、こっちは別世界だよ。空気は悪いけど、いろんなことがあって面白いよ」
高校時代は「第二部 南北問題」というタイトルになっている。川崎は北部の住宅地と南部の商業、工業地帯で大きなギャップがある。以前、BOOKウォッチで紹介した『ルポ 川崎』でも書かれていたが、これを「川崎の南北問題」と揶揄する若者もいるそうだ。
「北部の中学でも暴力の応酬はあったが、南部ではそれが午後のお茶と同様の日常だった」
学校見学の際に声をかけられた美少女と文芸部で再会し、かわいがってもらうが、彼女には裏の顔があった。彼女の叔父さんが組の幹部で、その「真弓姉さんが川高にいて、スケ番でいてくれるあいだは川高生も無事に過ごせるんだよ」という同級生の解説だった。
ヤクザと日常的に付き合っていた同級生も「暴力団への本格的就職だけは勘弁」してもらいたがっていたとか、南部の同級生たちは地域とのしがらみに苦しんでいるようだった、と書いている。
一年の浪人を経て、東京外国語大学ロシア語学科に入り、厳しいロシア語の授業に耐える日々が続く。ここから在学中の作家デビューの頃までが「第三部 東西冷戦」。ロシア語研鑽の成果を確かめるため、ロシアへ旅立つ。旅先で知り合った日本人の作家に書き溜めた小説を見てもらうと、「前祝いをしよう」と言い出す。「新しい才能の誕生だよ」と言われた。
編集者を紹介され、持ち込んだ作品は不発だった。3年の冬休みに勝負の小説を書き上げた。『優しいサヨクのための嬉遊曲』と題した作品は、福武書店の文芸誌「海燕」に持ち込まれ、編集長の判断で、すぐに掲載された。
新聞や文芸誌の文芸時評で『サヨク』は、大きく取り上げられた。しかし、「左翼」を「サヨク」と揶揄したタイトルに否定的な意見も多く、賛否両論に評価は分かれた。芥川賞候補にもなるが落選。以後、島田氏は6度落選し、芥川賞と選考委員に対して複雑な感情を持つことになる。
編集長に連日、新宿の文壇バーに連れ出され、作家に引き合わされる。「文壇の末席にねじ込む一種の営業活動」だった、と書いている。中上健次とも面識を得て、最初は好意的だったが、突然豹変する。「島田を殴る」とあちこちで吹聴しているというのだ。
鉢合わせしないように、夜の新宿を彷徨するのだが、やがてそれは、「島田を殴るのはオレで、ほかの奴には絶対殴らせない」という意味だったことを悟ったという。
「第四部 文豪列伝」では、中上をはじめ、柄谷行人、養老孟司、唐十郎、山田詠美、水上勉、埴谷雄高、古井由吉といった人々との交友が綴られている。中でも双方がアメリカ滞在中だった中上との縁は深い。
「せっかく日本文壇から逃げてきたのに、二晩連続で天敵というべき男の太鼓持ちを務めている自分に嫌気が差したが、中上は本気で君を潰す気がないことは確かめられ、少しだけ安堵した。『これはオレ流の愛だ』と中上はいい張るに違いないが、実に疲れる愛だった」
アメリカでは妻がある身でブロンド美女と愛に落ち、彼女が日本まで追いかけてきて修羅場となるのだが、その顛末は本書を読んでもらいたい。
「永遠の青二才」と称していた島田氏も還暦を迎え、最終章のタイトルは「青春の終焉」と題されている。中上との惜別が書かれている。
自分の記憶が取り出せなくなる前に、「すでに時効を迎えた若かった頃の愚行、恥辱、過失の数々を文書化しておくことにした」とあり、恥を上塗りする人生はこの後もしばらく続くが、時効が来たら、書き継ぐかもしれない、と結んでいる。
「君は私で、私は君だ」。これほど正直な私小説もまれである。
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