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個人が文士を支えた古きよき時代の「証文」

文豪と借金

 文豪の言動や作品をまとめたアンソロジーが最近よく出版されるが、なるほど、この手がまだあったのか、と感心したのが、本書『文豪と借金』(方丈社)である。副題にあるように、「泣きつく・途方に暮れる・踏みたおす・開きなおる・貸す」という5つのパターンで、文豪たちの借金へのかかわり方をまとめたものだ。

個人対個人の濃密な人間関係

 大衆小説研究家の末永昭二さんが、「はじめに」の中で、文豪の借金についてこう分析している。

 「借金という視点で見てみると、特に文士には、周囲の人物に甘えて際限なく借金を繰り返して破滅したり、さまざまな迷惑をかけて恬としていたりするものが目立つ。『いつか売れたら返してやる』という自信や、売れない後輩を援けるという文壇の構造もあるのだろうが、作家という孤独な生き方を選んだ者が、他人との関係が断ち切られるのを防ぐために、あえて借金という方法を選んだのでないか。(中略)個人対企業の借金が主流である現代の眼で、個人対個人の濃密な人間関係を見ると、なにかうらやましささえ感じられてくる」

生涯に、いちどのおねがいと泣きつく太宰治

 「1章 泣きつく」の冒頭に登場するのが、太宰治の借金申し込みの手紙だ。いくつか部分的に引用すると、こんな感じだ。

 「唐突で、冷汗したたる思いでございますが、二十円、今月中にお貸し下さいまし。多くは語りません。生きて行くために、是非とも必要なので、ございます。五月中には、必ず必ず、お返し申します。五月には、かなり、お金がはいるのです。私を信じて下さい。拒絶しないで下さい」
 「ふざけたことに使うお金ではございません。たのみます」
 「誓います、生涯に、いちどのおねがいです」
 「一日も早く、伏して懇願申します」
 「こんなに、たびたび、お手紙さしあげ、羞恥のために、死ねる思いでございます」

 昭和11年4月17日、23日、26日、27日と4度にわたり京都の友人に出した手紙の一節だ。

 その甲斐あって借りることができた。以下はそのお礼の手紙からの引用である。

 「このたびは、たいへんありがとう。かならずお報い申します。私は、信じられて、うれしくてなりません。きょうのこのよろこびを語る言葉なし。私は誇るべき友を持った。天にも昇る気持ちです」

 ところが、本書の注によると、この頃、太宰はパビナール中毒にかかり、全治しないまま退院し、借金はパビナールの代金に消えたようである。「ふざけたことに使うお金ではございません」とは、どの口から出た言葉だろうか。

60人から踏み倒した石川啄木

 借金と言えば有名なのが、石川啄木だ。金田一京助ら友人から金を借りると、その足で浅草などに娼婦を買いに行ったことはよく知られた事実だ。一種の人格破綻者だったと見る文学研究者は少なくない。

 友人の宮崎郁雨がまとめた「啄木の借金メモ」は壮絶だ。故郷の岩手県の渋民、盛岡、仙台、北海道、東京と貸した人の居住地別に個人名と金額が記されている。約60人から合計1372円を借りている。

 宮崎は「彼はその借金の拙劣さのために、自らの世間を狭めてしまったのである。(中略)このメモに現れた彼の姿の、何という見すぼらしさであろうか。」と書いている。彼がもし本当に借金の天才であれば、もっと大がかりな借金をすることも難しくなかっただろう。そうではなく、ちまちまとした借金しか出来なかったのは、見すぼらしい、と宮崎は悲しんでいる。

 啄木自身は「悲しき玩具」の中でこう記している。

「弱い心を何度も叱り、金かりに行く」

川端康成の異常な金銭感覚

 このほかにも「あるやつが出せばいいんだから」と借用書なしで借金を重ねた川端康成の異常な金銭感覚、「借金の名人・田村隆一氏から、借金したことは、なんとなく大変名誉あることのように思えるのである」という池田満寿夫の名言など、金にまつわるエピソードが山盛りだ。

 評者は蔵書家で知られた草森紳一の「役にたつかどうかもわからぬ資料の入手のため、たえず破産寸前に追い込まれる。(中略)収入の七割がたは、本代に消える。異常に過ぎる。いっこうに古本屋の借金は、減らない。『資料もの』をやりだした罰である」という開き直りにしびれた。

 エッセイストの荻原魚雷さんは、解説の中で「借金の才能にあふれる文士たちが後世に残る作品を書くことができたのは彼らを助けた人がいたからである」と書いている。今、個人で作家を支えようとする人はいないだろう。本書は文士が愛され、文壇というものが存在した古きよき時代の「証文」のようなものである。

 BOOKウォッチでは、草森紳一の『随筆 本が崩れる』(中公文庫)を紹介済みだ。

  
  • 書名 文豪と借金
  • サブタイトル泣きつく・途方に暮れる・踏みたおす・開きなおる・貸す六十八景
  • 監修・編集・著者名「文豪と借金」編集部 編
  • 出版社名方丈社
  • 出版年月日2020年4月29日
  • 定価本体1400円+税
  • 判型・ページ数四六判・275ページ
  • ISBN9784908925627
 

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