1980年代初めの漫才ブームの"仕掛け人"の一人とされるメディアプロデューサー、澤田隆治さんが、筑摩書房の月間PR誌「ちくま」に2007年9月号から2年間25回連載した「平成コメディアン史」に、自身で加筆・修正を施して単行本化された。澤田さんは1950年代にテレビ草創期に大阪の放送局で喜劇やコントを核にしたヒット番組を担当した。本書では時代が昭和まで遡る一方、大阪のテレビコメディ史をクローズアップし、それに欠かせぬ2人の人物に注目しながら、これまでは明かせなかった秘話にもふれている。
大阪、関西のお笑いといえば現代では多くの人は吉本興業を連想するだろうが、本書によれば「吉本興業が大阪を代表する笑いの集団として認められるのは昭和四十五年の大阪万博のあと」。「昭和四十五年」は1970年。それ以前から、関西で笑いに関して力があったのは松竹と東宝という。
サブタイトルの掲げられているうちの一人、花登筐は当時、東宝を代表するスター脚本家で、初期には喜劇を手がけ、担当したテレビ番組はいずれも高視聴率を記録。「やりくりアパート」(1958年4月~60年2月)や「番頭はんと丁稚どん」(59年3月~61年4月)が知られ「やりくりアパート」は「やりくり」を冠にしてシリーズ化された。花登はその後の高度成長期には、大阪の商人らを描いた"商魂モノ"へとフィールドを拡大。「細腕繁盛記」(70年1月~71年4月)や「ぼてじゃこ物語」(71年4月~12月)「どてらい男」(73年10月~73年3月)などを担当し、流行語を生むなどして関西以外でも人気を呼んだ。
サブタイトルのもう一人、芦屋雁之助は、画家の山下清を描いたドラマ「裸の大将放浪記」で知られる。山下清との最初の出会いは64年の舞台公演。その後、テレビの「花王名人劇場」でシリーズ化されたドラマは80年から17年間続いた。著者は同番組のプロデューサーを務め、雁之助の山下清を全国に広めた。
雁之助は、弟の小雁との漫才コンビからスタートして、花登が脚本を書いたテレビ番組「番頭はんと丁稚どん」の小番頭役でするなど、当時の関西の喜劇の主流を担う存在。その仲間には小雁や大村崑、佐々十郎らがいた。そして、彼らをたばねていたのが花登という格好。その花登が、あることから東宝とトラブルになり59年9月、彼らとともに劇団「笑いの王国」を立ち上げる。
著者は、東宝と花登をめぐって、花登の「記憶違い」や「勘違い」指摘。また、これまでは敢えて控えてきた、番組制作の舞台裏についても触れ、花登を「一時代のスーパーマン」と評価しながら、個人的には苦手だったことを明かしている。
劇団「笑いの王国」は、活動の場を舞台、テレビから映画へ広げ、大村崑をスターの座に押し上げたが、後にゴタゴタが続き解散となる。本書では、劇団メンバーの訳者らと花登の蜜月時代から対立、分裂・解散までを、小雁や崑らとの対談をまじえて綴られている。
週刊ポスト(2017年9月29日号)の「ブック・レビュー」で、本書をとりあげた評論家の坪内祐三さんは「この本を通読して感じたのは大村崑の存在の大きさだが、その人がいまだ大相撲中継を見てるとチラ映りすることに驚く」と述べている。
10月から始まったNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)「わろてんか」は、大阪のお笑い系芸能プロダクション、吉本興業の創業者、吉本せいがモデル。本書は、吉本興業以前の関西のお笑い界の側面を描く。
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