本書『テスカトリポカ』(株式会社KADOKAWA)は、今期(2021年上半期)の直木賞にノミネートされている小説だ。候補作をすべて読んでいる訳ではないが、著者・佐藤究さんの前作『Ank:a mirroring ape』(2017年、講談社、大藪春彦賞、吉川英治文学新人賞)を読み、圧倒され、以来ファンになった者としては、本作での直木賞受賞を強く望みたい。すでに山本周五郎賞を受賞している。発表は明日7月14日だ。【14日追記】本作「テスカトリポカ」は、見事直木賞を受賞した。
佐藤作品の外形的な特徴は、その分厚さだ。前作は475ページ、本作は553ページ。そして参考資料の多さだ。本作に3年以上かけた著者の熱量が伝わってくる。
タイトルの「テスカトリポカ」とは、南米・アステカ神話の主要な神の一つで、キリスト教の宣教師たちによって「悪魔」とされた。確かに、「悪魔」と呼びたくなるようなキャラクターが続出する。
メキシコの麻薬組織に君臨した密売人のバルミロ・カサソラは、潜伏先のインドネシア・ジャカルタで日本人の臓器ブローカーと出会う。二人は新たな臓器ビジネスを実現させるため日本へ向かう。川崎に生まれ育った天涯孤独の少年、土方コシモは、バルミロに見いだされ、知らぬ間に彼らの犯罪に巻き込まれていく――というのが梗概だ。
主人公とも言えるコシモが登場するまで、読者はひとしきり、メキシコの犯罪事情や麻薬組織の恐ろしさ、さらにコシモが生まれてからは川崎の治安状況について、レクチャーを受けることになる。
コシモの母のルシアはメキシコで麻薬組織に殺された兄を見て、日本に非合法に入国。川崎の暴力組織の幹部、土方興三と出会い、結婚。一人息子となるコシモを産む。
だが、家に寄り付かず、たまに家に帰ると暴力をふるう土方。ルシアは育児放棄に陥り、コシモは学校に行かず、一人で鶏肉をゆでて栄養源とし、育っていく。11歳になるころには、すでに身長は170センチを超え、人並外れの腕力を身につけるようになっていた。
ストーリー本編に入るまでのコシモの叙述がていねいで、感情移入を誘う。このくだりを読み、連想したのは、BOOKウォッチでも取り上げた『ルポ川崎』(サイゾー)や、川崎で育った作家・島田雅彦さんの自伝私小説『君が異端だった頃』(集英社)だ。
11歳のコシモが高校生たちにカツアゲされる場面がある。「とりあえず明日、上納金持ってこい」という高校生の脅し文句に笑った。『ルポ川崎』にこんな記述がある。
「オレ、悪さして、日本刀持った友達の親に追いかけられたことある」 「別の友達の親は手の甲までびっしり刺青入れてて、金髪の坊主だったりした。しかも、母親のほうなんですよ。その家はみんなそんな感じだった。おばあちゃんも刺青入れていたし」 「中学生になると、カンパっていう形で上納金を徴収されるようになりました。川崎の不良には自由がないんですよ」
「貧困の連鎖」という一言でくくれないような、貧しさと暴力にみちた空間がいまも川崎には存在するのだ。ヤクザ、ドラッグ、売春、人種差別。負のカードを一手に集めたような、狭い世界で少年たちは、もがいている。
島田さんの小説でも、ヤクザと日常的に付き合っていた高校の同級生も「暴力団への本格的就職だけは勘弁」してもらいたがっていた、と書いていた。
こうした川崎の圧倒的なリアリティーを踏まえているので、著者が構築した虚構もすんなり頭に入っていく。本作の後半には麻薬を過剰摂取(オーバードーズ)した死体などを解剖し、臓器を売買する闇ビジネスの記述がある。
眼球一個につき10万円、状態によっては100万円 膵臓500万円 骨髄1グラムにつき200万円 靭帯50万円 胆嚢20万円 足首15万円 手首5万円
人体のパーツがアフリカで密猟される象牙のように確実に売れる――。このあたりはフィクションだが、佐藤さんは「現実に世界規模で行われている臓器売買は、弱者が搾取されるグローバル資本主義の行くつく先という気がします」とインタビュー(「読書好日」朝宮運河のホラーワールド渉猟、2021年3月20日)に答えている。
執筆中は、川崎のホテルに長期滞在して、町の空気に触れながら、ディテールを書いたそうだ。
臓器売買をモチーフにした先行作品はいろいろある。だが、それらの作品名を挙げるのが憚られるほど、本作のパワー、恐怖、国際性は突出している。
川崎のヤクザとメキシコ人の娼婦から生まれた主人公に幸多かれ、と願わざるを得ない自分がいた。
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