新型コロナウイルスの世界的な感染拡大によって、2020年東京五輪は、2021年に延期された。五輪開催を見込んで、五輪関連の本の出版も相次いだ。1964年に開催された東京五輪と60年前の1940年に予定されていた「幻の東京五輪」にかんするものも少なくなかった。
1940年東京五輪と2020年東京五輪。同じく予定が狂ったとはいえ、二つの東京五輪には大きな違いがある。「戦争」だ。1940年五輪は単に開催できなかっただけではない。出場するはずだった選手たちが召集され、兵士として戦い、戦死した。『幻のオリンピック――戦争とアスリートの知られざる闘い』(小学館)の著者は、NHKスペシャル取材班。昨年(2019年)放送された番組「戦争と"幻のオリンピック" アスリート 知られざる闘い」がもとになっている。
水泳指導者の松澤一鶴を軸に描いている。1932年のロサンゼルス五輪、36年のベルリン五輪、40年の五輪返上、敗戦、そして64年の東京五輪へとつながる日本スポーツ界の太い流れを再確認できる。
松澤は、64年の東京五輪で開閉会式典の責任者を務めていた。その閉会式で大変なことが起きた。各国選手団が隊列を組み、整然と入場すると思われていたのに、実際には大勢の選手たちが、国籍も性別も肌の色も関係なく、腕や肩を組みながら一団となってなだれ込んできたのだ。天皇皇后両陛下も出席されている場で、予想外のハプニング。
このスタイルは、のちに「東京方式」「平和の行進」と名づけられ、オリンピック閉会式のフィナーレを飾る、最も感動的なイベントとして定着している。取材班によって、松澤の「仕掛け」の詳細が判明する。
五輪閉会式の会場となった国立競技場は、戦前には明治神宮外苑競技場があった。1943年には学徒出陣の壮大な式典が行われた場所。松澤はそのとき観客席にいて、教え子たちが行進する姿を見送った。何もすることができなかった。戦前、「戦争への行進」として使われたその場所を、松澤は64年の東京五輪の閉会式で、国籍も肌の色も関係ない「平和の行進」の場としてよみがえらせたのではないか、と推理している。
この1940年という年は、「紀元2600年」でもあった。実は話が逆で、「紀元2600年」を盛り上げるイベントが、中止になった五輪や万博だったようだ。『皇紀・万博・オリンピック 皇室ブランドと経済発展』(吉川弘文館)はそのあたりの事情を、幕末明治までさかのぼりながら解き明かした本だ。
五輪・万博は見送られたものの、「紀元2600年」では多数の関連奉祝行事があった。儀式・式典・催しなどの参加者は、政府の公式記録によれば、のべ5000万人に達したという。
「皇紀」というものを、明治期の日本が必要としていたということを説明している。体躯(国力)で劣る日本人が、自分を立派に見せ、先進諸外国と対等に付き合うための方便だった。政府も国民も愛用し、自尊心のアップにつながった。
著者は日本大学文理学部教授の古川隆久さん。原著は1998年に中央公論新社から刊行されたものだが、時宜を得た復刊だった。
2020年東京五輪が予定通り開催されていたならば、多くの競技会場として世界中から人が集まり、世界中の人々が注視していたに違いない東京湾岸。その歴史と文化について、地域ごとにエピソードを紹介し一冊にまとめた読み物が『ぐるっと湾岸 再発見』(花伝社)である。
幻に終わった1940年の東京五輪。その年に、東京湾岸の晴海・豊洲・東雲・有明を会場にした「日本万国博覧会」が開催される予定だったが、同じ理由で中止になったことはあまり知られていない。明治以降、工業地帯として発展してきた東京湾岸が、いまスポーツやイベント施設、卸売市場や高層マンション群が並ぶエリアに変遷していった歴史を知ることが出来る。中止になった万博と延期になった五輪。何か因縁のようなものを感じるのは評者だけだろうか。同エリアにかんしては、『選手村マンション「晴海フラッグ」は買いか?』(朝日新聞出版)も取り上げた。
2020年東京五輪のためにつくられた、さまざまなスポーツ施設。なかでもメインスタジアムとなる新国立競技場。来年の開催が実現するかどうかはさておき、将来どうなるのだろうか? そんな疑問に答えるくれるのが、『五輪スタジアム』(集英社新書)だ。
1972年ミュンヘン、1976年モントリオール、1980年モスクワ、1984年ロサンゼルス、1988年ソウル、1992年バルセロナ、1996年アトランタ、2000年シドニー、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドン、2016年リオデジャネイロの各夏季五輪のスタジアムの現状を報告している。著者の岡田功さんは、元毎日新聞記者で大阪成蹊大学経営学部スポーツマネジメント学科教授。
岡田さんは、「ホワイト・エレファント」(白い象)という言葉を使っている。使い道がないのに維持費だけが高くつく建物や施設を指す英語で、「無用の長物」と訳されることも多いという。ホワイト・エレファントとして放置されているものもあれば、核テナント(サッカーチームなどのホーム)を持ち成功しているもの、新しいプロジェクトなどで転換しようとしている各地の例を紹介している。
東京の新国立競技場について詳しく論じている。陸上トラックについては撤去、残置の両方の報道がされ、結論は出ていないようだが、五輪後に客席の増設工事を予定していることに対し、維持運営を難しくする「戦犯」と指摘している。
また、デザインも世界的に高い認知度を得るとは思えず、周辺地域との一体開発も望めないと見ている。交通アクセスはいいが、スタジアムをより魅力的な場所に変えるための設備投資を継続的に行えるか、当事者の覚悟が必要だ、としている。
さらに固有の問題として、暑さ対策を挙げている。国内外の建築家がそろって暑さを懸念。観戦中または競技中に熱中症で亡くなる人が出る場合、「『先進国ニッポン、技術国ニッポン』のブランドイメージは地に落ちるだろう、そのリスクとダメージを日本は果たして理解しているのか」と問われたという。
1964年東京、1972年札幌、1998年長野と、国内で開催された過去3回のオリンピックを機に、鉄道を中心とした交通インフラがどのように整備され、大会期間中にどのような輸送が行われたかを振り返ったのが、『オリンピックと鉄道』(交通新聞社新書)である。
東京オリンピックの開催決定の1か月前の1959年4月に新幹線の起工式が行われており、「新幹線建設の判断がなされたとき、当時の国鉄や政府にオリンピックに向けた鉄道という意識はなかったと思われる」と、新幹線と東京五輪との因果関係について通説を否定しているのが新鮮だった。
ともあれ、東京五輪を前に東海道新幹線は開業、札幌では開催前年にゴムタイヤ式の初の地下鉄が開業。地下鉄の両終着駅が競技会場の最寄り駅になった。
また、1998年の長野オリンピックの開催決定を機会に、北陸新幹線の軽井沢~長野間はフル規格での建設が決まり、「長野行新幹線」として開業した。五輪は日本の交通を変えてきたと言っていい。
このたびの東京五輪では、シャトルバスの運行が予定されているくらいで、過去の五輪と比べてインパクトは小さい。すでに公共交通機関が密に整備されている東京ならではのことだろう。
オリンピック・パラリンピックの祝祭モードから一転、コロナ禍で自粛ムードに覆い尽くされた東京。しかし、このピンチは、東京が変わるきっかけになるかもしれないと説いているのが、『変われ! 東京』(集英社新書)だ。
キーワードは、「大きなハコ」から「小さな場所」へ。新国立競技場や高輪ゲートウェイ駅など、東京の最前線で幾多の「大きな」建築を手掛ける一方で、シェアハウス、トレーラーの移動店舗、木造バラックの再生など「小さな」プロジェクトに積極的に取り組んできた建築家の隈研吾さんが、未知の時代を生きる都市生活者の生き方、暮らし方に、新しい方向を指し示しているのが示唆に富んでいた。
『スポーツクラブの社会学』(青弓社)は、東京五輪の開催延期は、五輪だけでなく各種スポーツにも甚大な影響を及ぼしていると指摘。「ウイルス感染の恐怖が過ぎ去れば、既存のスポーツシステムが再び機能し始めるのか、それともこの難事に向き合うことで既存のスポーツシステムの限界を自覚し、新たなスポーツシステムを探求するのか」と問いかけている。
コロナがオリンピックのみならず、東京という巨大都市や日本のスポーツに与える影響を注視したい。
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