第163回芥川賞は2020年7月15日選考会が行われ、遠野遥さんの『破局』と高山羽根子さんの「首里の馬」に決まった。すでに河出書房新社から単行本が出ている『破局』をまず紹介しよう。
本書の主人公は、母校の高校ラグビー部でコーチをしながら、公務員試験に向け準備をする大学4年の陽介。「日吉キャンパス」や「三田」という地名も出てくるので、遠野さんの母校である慶應義塾大学が舞台と見ていいだろう。受賞後の会見でも、遠野さんは「その大学が一番書きやすいから」と認めていた。
政治家志望の彼女がいるが、お笑いライブで知り合った新入生とも関係を持ち、二人を行き来する。
健全な肉体を持ち、頭脳も明晰。社会的規範にも厳しい主人公の陽介だが、どこか虚無の影がつきまとう。
「私には灯がいた。灯がまだいなかったときは麻衣子がいたし、その前だって、アオイだとかミサキだとかユミコだとか、とにかく別の女がいて、みんな私によくしてくれた。その上、私は自分が稼いだわけではない金で私立のいい大学に通い、筋肉の鎧に覆われた健康な肉体を持っていた。悲しむ理由がなかった。悲しむ理由がないということはつまり、悲しくなどないということだ」
スーパー大学生のような陽介だが、しだいに二人の女性に翻弄される。別れたはずの麻衣子が酒を飲んで終電を逃したと言って、陽介の部屋に上がり込む。
「余計なことは何もしないよ。朝まで少し休ませてもらえればそれでいいの。大丈夫よ、灯ちゃんにさえ知られなければ。知られなければ何もしていないのと同じことよ。そうでしょう? 陽介くんだって、そういう考えを持っているんでしょう」
一方の灯の性欲も強くなり、ついていくのが難しくなってきた陽介だった。筋トレや走り込みをし、十分な睡眠をとり、食事にも気を使った。精がつくという牡蠣やナッツ、ニンニク、オクラなどを食べ、サプリメントにも手を出した。
「私の精力や持久力には若干の向上が見られた。それでも灯を満足させるには足りなかった」
やがて、麻衣子と灯は会い、陽介が二股をかけていたことが灯にばれる。ここから物語は一気に「破局」へと傾く。陽介の屈強な体力が仇になる結末だ。
選評で、選考委員の吉田修一氏は「主人公のアンバランスなところが魅力」と評価した。遠野さんは、「変なキャラクターにしないと思っていたが、共感しない人もいるようだ」と語った。
お笑いのライブをやりながら就活に苦労する友人も登場するなど、現代の大学のキャンパスライフが点景になっている。モデルが慶應義塾大学と知りながら読む楽しみもあるだろう。
大学生が主人公の小説と言えば思い出されるのが、田中康夫氏の『なんとなく、クリスタル』(1980年)だ。ブランド品に囲まれ、遊びに精を出す男女が登場した。
それから40年。田中氏も遠野さんも大学生を描いた「文藝賞」受賞者という点で共通している。しかし、若者たちの虚無感は、より深まっているような気がする。
遠野さんは、1991年神奈川県生まれ。慶應義塾大学法学部卒。2019年「改良」で第56回文藝賞を受賞しデビュー。本書が2作目。
「この作品が皆に好かれるようなものと思っていなかったので、歴史ある賞をもらって意外。早く3作目を書きたい」と抱負を述べている。
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