「根拠のない話ばかりで、まともには議論できない」。妖怪や怪物といえば、それが通り相場だろう。では遊びや夢についてはどうか。同様に考える人はやはり多いだろうが、一方で『遊びと人間』のカイヨワや『夢判断』のフロイトを知る人は、反論するだろう。理性以外の遊びや夢を手掛かりにしたからこそ、人間への知見が深まった――と。
妖怪や怪物にもその可能性はないのだろうか。東洋学の白川静は、漢字の成立を通して古代東洋の人たちが世界を理解したさまを示した。そこには、さまざまなものが妖怪や怪物になぞらえられて登場する。本書『図説 日本未確認生物事典』(角川ソフィア文庫)は、昔の人びとが世界や自然を理解するためにつくり出した怪異の一覧表だ。
著者の笹間良彦さんは、旧制浦和中学(現・浦和高校)卒。2005年に89歳で亡くなった。在野の研究者で甲冑研究の第一人者とされ、研究対象は甲冑、武具から始まり、民俗や性風俗にも及んでいる。笹間さんが武具について調べる中で、武具にまつわる呪いやまじないに対象を広げていったのだろう。本書は1994年に単行本として出版されたものが文庫本化された。
事典として編集されている。このため、記述は関係分野を網羅していなければならない。本書に収められた未確認生物は114種類。天狗や轆轤首(ろくろくび)、土蜘蛛(つちぐも)、人魚、鬼、猫股などだ。網羅するには少ない数字のように思われるが、主な項目に別称も収められている。事典と名乗るに足る数に及ぶだろう。
例えば「海坊主」では、船入道、海和尚、海小僧、海法師、船幽霊、水人、鮫人、鮫客、渕客と9種の別称を紹介する。
解説では、史料の記述を引用して、著者の主観の介入が抑えられている。史料は『古事記』や『風土記』、『万葉集』、『伊勢物語』、『平家物語』、『和漢三才図会』など比較的ポピュラーなものから『本朝語園』(孤山居士 江戸中期)といった馴染みの薄いものまで取り上げられ、幅広い。出典が示され、1次史料での確認も容易にできるところも便利だ。また、『図説』とある通りイラストの多さも特徴だ。図は史料からの引用や、笹間さんが(推測して)描いたものも含まれる。
解説では、編集者の主観は排除されているとしているが、ところどころに主観が入る。読者には、明確に編者の主観だと分かるので問題はないが、かえってそこに笹間さんの鋭さのようなものがうかがえるのも面白い。
例えば「大蟹」。『日本霊異記』や「蟹満寺縁起」の類話に登場する大蟹を紹介する。ヘビに食べられようとする蟹を女性が助け、そのために女性はヘビに狙らわれる。それを今度は蟹が退治する逸話だ。フロイトが見出したエディプスコンプレックスの主客を換えたバリエーションとなる。
類話として鹿児島県の伝承も紹介されている。こちらは蟹が女性を襲うタイプで、生まれた娘は背中に甲羅があったため、捨てられた、という話だ。さらにスマトラ島トラジャ地方の関連神話を引き合いに出す。成長した娘は甲羅を脱いで水浴びをするが、その際に村人に甲羅を隠されてしまって元の姿に戻れなくなった。このため仕方なく、娘は村人と結婚した、という内容で、笹間さんは羽衣伝説との類似を指摘する。
大蟹や羽衣伝説はセックスや婚姻にまつわるタブーがテーマだが、笹間さんの指摘は蟹がなぜ性に登場するのかについても及ぶ。「これは房事の体位が蟹に似ているからの発想であろう」
冒頭で、昔の人びとが世界や自然を理解するためにつくり出した怪異の一覧表だと紹介した。それらは、どのように関連し、現代人の心の中にどのように息づいているのか。考えられてよいテーマだ。
本欄では怪異、未確認生物関連で『怪異古生物考』(技術評論社)、『東の妖怪・西のモンスター』(勉誠出版)、『古生物学者、妖怪を掘る』(NHK出版)、『鬼と日本人』(株式会社KADOKAWA)、『お化けの愛し方』(ポプラ社)なども紹介している。
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