日米開戦の日が近づいてきた。1941年12月8日。ずいぶん昔の話になってしまった。さすがに最近は関連書が少ないようだ。比較的新しいのが本書『真珠湾の真実』(平凡社新書)だ。
類書はいろいろあるが、本書の特徴は、真珠湾攻撃を巡る様々な疑問を、「歴史修正主義」を念頭に置きながら分析しているところにある。著者の柴山哲也さんによれば、「歴史修正主義」とは、「主観的な歴史解釈によって歴史事実を歪曲し、歴史の真実を無視すること」。先の戦争に当てはめれば、「大東亜戦争は日本の自存自衛の戦争だった」というような考え方を指す。
柴山さんはなかなかユニークな経歴の人だ。朝日新聞社で長く学芸部記者として「論壇」を担当していた。多種多様な論文に目を通し、大御所や気鋭の学者と付き合うのが仕事だった。一般に新聞記者は「足で書く」などと言われるが、どちらかと言えば「頭を使う」編集者のような日々だ。そんなこともあり、中途退社後は、米国のシンクタンクやハワイ大学の客員研究員になり、京都大学の非常勤講師や京都女子大の教授を務めた。著書に『戦争報道とアメリカ』(PHP新書)、『日本型メディアシステムの興亡 瓦版からブログまで』(ミネルヴァ書房)、『新京都学派 知のフロンティアに挑んだ学者たち』(平凡社新書)などがある。
本書は、そのように頭を使ってきた柴山さんが、改めて真珠湾を巡る謎や疑問の数々に挑み、わかりやすく整理して新書にしたものだ。
日本はなぜ真珠湾を奇襲したのか。日本の暗号はどこまで米国側に解読されていたのか。奇襲計画は米国に知られていたのか。それとも知られていなかったのか。日本海軍が最も撃沈したかった空母三隻はなぜその日、真珠湾にいなかったのか。
さらには、日本外務省が宣戦布告のつもりだった「対米覚書最終通告」はなぜ攻撃開始後に米国国務長官に届いたのか。ルーズベルト大統領は真珠湾攻撃開始直前に昭和天皇に和平を求めた親電を送ったが、この電報が届くのが約10時間も遅れたのはなぜか。この通告遅れは、ワシントンの日本大使館職員の怠慢によると説明されてきたが、本当に怠慢だったのか。真珠湾奇襲を成功させるために、軍部などの介入工作があったのではないか。
このように真珠湾攻撃は、個々の謎や疑問がいまだに解けない。何よりも深刻なのは、日本の奇襲がいまも「騙し討ち」として様々な形で批判され、「日本不信」の原点になっていることだ。米国世論では「原爆」と等価交換のような関係になっていることがしばしば指摘されている。
その一方で、近年の傾向として、「日本を真珠湾へ追い込んだのはアメリカの罠だった」と言う一部の主張が、それなりの支持を得るようにもなってもいる。本当にそうだったのか。もしそれが本当なら、「日本の名誉のために、真珠湾と戦後の歴史をそのように見直し、正しく修正しなければならない」というところから、本書は出発する。
第1章「真珠湾奇襲とは何だったか」では、「開戦初日に大本営がついた嘘」、第3章「『宣戦布告』の遅れは作為だったのか」では、「軍部は事後通告を画策していた」などが説明されている。さらに第4章では「ルーズベルト陰謀論はなぜ流布したか」、第5章で「開戦は避けられなかったか」、第6章「チャーチル陰謀論の正体」と続く。そして第7章の「歴史修正主義の罠」で「歴史を書き直す」とはどういうことかと問いかけ、「修正主義」は戦前の皇国史観との決別が出来ていないと批判する。
多くの読者が最も関心があるであろう、「ルーズベルト陰謀論」とは、ルーズベルトは中立を守り、若者を戦争に送らないという公約で大統領に当選した、したがって表立って戦争できないから日本に無理難題を押し付け、先に攻撃させることで米国世論を参戦を了解させた、というものだ。柴山さんは、先行書を紹介しつつ、日米の史料に通じた専門家の見解は一致しているとして、この陰謀論を退けている。
著者の基本的なスタンスは「七〇余年前の戦争はどこでどう間違って起こったのか。なぜあれほどの犠牲を出すまでやめることができなかったのか」というところにある。「その因果関係は人ごとではなく、国民全体が知ってしっかりと心に刻む必要がある。・・・天変地異は避けられないが、戦争は人為だから避けることができるし、避けなければならない」と強調する。
本書の中では多数のエピソードも登場するが、最も笑えないのは著者自身の次の体験だろう。何度かワシントンの国立公文書館を訪ね、担当者と顔見知りになる。雑談しているときに「君の捜している史料はあるよ。でも日本の外務省が公開を止めているので、日本に戻って外務省の許可を取ってくれば見せる」と言われた。米国ではすぐにも見られる状態にあるのに、日本政府がブロックしているから見られない。日本政府はアメリカにまで手を伸ばすのだから、(日本国内で)自国に不都合な史料は出すはずはないと思ったという。
加えて公開資料も不完全。以下は他の研究書からの引用だが、「真珠湾奇襲時の外務省から駐米大使館宛て電報10本のうち、記録紛失が3本、電報発着時間の改竄の可能性があるものが7本で、原文が完全に残された史料はひとつもない」(井口武夫『開戦神話』、中公新書)。
著者は、「公開された史料のもとで、世界的に共有された事実を素材として、歴史の是非や善悪の価値が自由に議論される」ことが望ましいとしつつ、悲しいかな日本の現状はそうなっていないことを嘆く。こうした「史料未開社会」の現状ではまともな現代史は書けないと憤り、「歴史修正主義が大手を振って流行るのは歴史文書の公開が恣意的で不完全だからである」と指摘、「日本政府や外務省は内外に対する真珠湾の説明責任が残っているのではないか」とダメを押す。
隠蔽、改ざんが横行する昨今の公文書管理を思えば、そのような説明責任が果たされる日は遠いと感じる人がほとんどではないだろうか。
本欄では、『それでも、日本人は「戦争」を選んだ』(新潮社)で日本が「真珠湾奇襲」よりも相当前から米国との戦争を想定していたことを紹介した。また、『写真で見る日めくり日米開戦・終戦』(文藝春秋)では開戦に至る息詰まる攻防を、『知らなかった、ぼくらの戦争』(小学館)では真珠湾攻撃に参加したパイロットの話も紹介している。
戦争予算の膨張ぶりについては『軍事機密費』(岩波書店)で、実際の作戦の無謀さは『戦慄の記録 インパール』(岩波書店)で取り上げた。メディアも巻き込んだデタラメぶりは『大本営発表』(幻冬舎)で、近年の歴史修正主義の広がりについては『歴史修正主義とサブカルチャー』(青弓社)で紹介している。
また米国での歴史の歪曲については『アメリカの原爆神話と情報操作』(朝日新聞出版)を取り上げている。
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