また、「12月8日」が近づいてきた。日本はなぜあの戦争を始めることになったのか。避けられなかったのか。そして、終戦直前と直後の状況はどうだったのか。写真を軸にデイリーで振り返ったのが本書『写真で見る日めくり日米開戦・終戦』だ。
解説の文章が非常によくまとまっている。写真一枚ごとに約900字。「開戦」や「終戦」の「Xデー」に向けて刻々と緊迫が高まっていく様子が手に取るようにわかる。当時は秘匿されていた情報も追加して手際よくまとめられている。まるで秘史を再現したドキュメンタリー映画でも見ているかのようだ。
戦争に至るには、長い前史があり、様々な本が出ている。本書の新しさは、開戦、終戦などについて、その直前の状況に絞って「日めくり形式」で再現している点だ。
1941(昭和16)年の開戦については、「第一部」として12月8日の真珠湾攻撃に至る直前の34日間を毎日追っている。日米交渉とその決裂だけではない。独ソ戦はどうなっていたか。米国での原爆製造計画の進展は? 本書からその一部を振り返ると――。
11月10日 英国チャーチル首相が演説。「日米開戦なら1時間以内に日本に宣戦布告することが私の責務と明言」。
11月19日 駐米大使の野村吉三郎が東郷茂徳外相に公電。「国力が疲弊した中、日本はさらなる大戦争に突入すべきではない」と重ねて開戦回避を訴える。
11月26日 日米交渉が事実上決裂。
11月29日 開戦を巡る重臣会議で首相経験者から反対相次ぐ。8人のうち6人が消極的もしくは懐疑的意見。若槻礼次郎、岡田啓介の二人が最も批判的。東条英機首相が天皇の前で、その都度、反論。
11月30日 高松宮が天皇に会い、戦争回避を直訴。
12月1日 御前会議で東条首相が「開戦やむなき」の理由を説明。天皇の発言なし。「反対しても無駄だと思ったから、一言も云わなかった」(『昭和天皇独白録』)。開戦裁可。
12月2日 連合艦隊の山本五十六指令長官が、「ニイタカヤマニノボレ」の暗号電報。千島列島に待機する機動部隊に真珠湾攻撃決行を命じる。
12月3日 日本の外務省が、在米日本大使館に館内の暗号書と暗号機械の処分を命じる。開戦直前の意。この電報は米軍に解読されていた。
12月5日 独軍がモスクワ目前でソ連軍に猛反撃され敗走。ナイス・ドイツの不敗神話が揺らぐ。
12月6日 米国ルーズベルト大統領が原爆の調査研究予算を承認。
12月8日 日本時間で午前3時19分(米国現地時間で7日午前7時49分)、真珠湾攻撃。午前7時、日本放送協会がラジオで臨時ニュース。開戦を知って「老生ノ紅血躍動!」(斎藤茂吉)など有識者らも高揚。
国内外の動きを同時進行で上手にまとめている。当時の国民一般には知らされてなかった情報も付加されているから、開戦直前の状況がスッキリ頭に入る。国内上層部ではかなりの慎重論、戦争回避論があったにもかかわらず、東条英機首相らが押し切ったこと、ドイツが対ソ戦に勝利することを当て込んで戦争準備を進めていたのに、実は予定が狂い始めていたこと、米国が原発にゴーサインを出していたこと、などが複合的立体的に浮かび上がる。
本書は共同通信社が2015年以降に配信した戦争に関する4つのシリーズ記事を軸にしている。新聞掲載と言うこともあり、毎回、補足的な一口メモがついている。そこに何度か登場する「大本営陸軍部戦争指導班」と言うのが気になった。彼らが日々つづり、戦後、GHQの追及をかわすためドラム缶に入れて地中に隠していた『戦争機密日誌』が本書で何度か引用されている。
それによれば、大本営陸軍部戦争指導班は、11月29日の重臣会議の若槻らの開戦に批判的な意見を「事勿(ことなか)れ心理」と一蹴。「国を興すのは青年、国を滅ぼすのは老年」と血気盛んだ。12月6日には、真珠湾攻撃の計画を知る立場から、「国民未だ知らず。軍部亦(また)然(しか)り。部内の亦一部然り。戦争急襲は必至。真に世界歴史に特筆すべきものならん」と胸を躍らせている。
陸相も兼ねていた東条英機首相。その背中を押していたとみられる彼らの存在もまた、本書では黒子のように見え隠れして興味深い。結果として日本はどうなったか。それは本書の第二部「終戦への三十一日間」、第三部「終戦からの三十一日間」に詳しい。比較的手軽に、あの戦争の実相を振り返ることができる労作である。
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