1970年に開催された大阪万博と言えば、多くの人が太陽の塔と作者の岡本太郎を思い出すだろう。大屋根を突き破って立つ破天荒な建築デザイン、また、ほかのパビリオンや展示物は壊されたが、閉幕から半世紀近い今も残っているからだ。このほど耐震化と内部のリニューアル工事を終え、3月19日(2018年)から一般公開が始まったが、高い抽選倍率の人気となっている。なぜ「太陽の塔」は、これほど人々に愛されるのだろうか。
この日本一有名な芸術作品は、どうやって作られたのかを検証したのが、本書『「太陽の塔」新発見!』(青春出版社)だ。著者は、岡本太郎記念館館長で空間メディアプロデューサーの平野暁臣さん。岡本太郎のパートナーだった岡本敏子さんの甥である。そういう意味では近親者だが、多くの資料や当時の関係者の証言を集め、太陽の塔の知られざる姿を紹介している。
驚いたのは、太陽の塔は大阪万博のシンボルタワーではなかったということだ。建築家・菊竹請訓による未来的なデザインの「エキスポタワー」がシンボルタワーで、太陽の塔はテーマ館の一部を構成する巨大な展示物であり、パビリオンという位置づけだった。「エキスポタワー」は老朽化のため2003年に撤去されたが、太陽の塔は残った。テーマプロデューサーを委嘱された岡本太郎が「人類の進歩と調和」というテーマを具現化するために、事実上ひとりで勝手に企画したものだったという。
平野さんは今回の取材で、岡本太郎を指名したのは建築家の丹下健三だったことを明らかにした。そして「ベラボー」なものを作ると宣言した岡本太郎の常識外のプランにゴーサインを出したのは財界総理と言われた石坂泰三・万博協会会長だった。
平野さんは、太陽の塔は「人を集めるが、集まっては困る」という矛盾を解決する策だったという。「テーマ館の観覧ルートは、地下から空中までを縦方向に1回転する壮大な一筆書き」とした。単に壮大なオブジェ、彫刻として作られたわけではなかった。太陽の塔の内部の展示空間には、鉄鋼製で造られた高さ約41メートルの「生命の樹」があり、樹の幹や枝には大小さまざまな292体の生物模型群が取り付けられ、アメーバーなどの原生生物からハ虫類、恐竜、そして人類に至るまでの生命の進化の過程をあらわしていた。終了後、内部は廃墟と化していたが、今回の再生事業で「生命の樹」の基本的な枠組みは当時を踏襲しながら、個々の生き物レベルでは最新の知見や現代の造形技術を盛り込んでブラッシュアップしたという。
評者は十数年前、太陽の塔のある大阪・吹田の万博公園の近くに住んでいたが、外観は薄汚れ、内部にそうした空間があることも忘れ去られていた。今回の再生事業は、大阪府が中心となっている。2025年に再び大阪万博を、と誘致活動が行われており、今回の太陽の塔への注目もそうした文脈かと思われるが、岡本太郎の業績に再び光があたるのは意味があると思う。
同じ著者、版元から『「太陽の塔」岡本太郎と7人の男たち』も刊行された。こちらは関係者へのインタビュー集。技術的な面に関心のある人にはこちらがおすすめだ。
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