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「絵の怪談」舞台は千葉市の美術館。花街の哀しい歴史を背景に...

海は地下室に眠る

 美術作品や美術館を舞台にした小説は少なくない。作品の来歴を巡ってミステリーの要素を盛り込むこともできるし、知的な雰囲気で読者を引き付けることもできるからだ。本書『海は地下室に眠る』(KADOKAWA)は、千葉市に実在する美術館やギャラリーを舞台に、女性学芸員を主人公にした小説だ。

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 千葉・稲毛海岸近くの洋館から発見された作者不明の絵を調べるうちに、かつて軍都だった千葉の歴史がからむ悲劇的な事件にたどり着く。

 千葉市美術館の学芸員・松本ひかりは、同じ千葉市の文化施設である市民ギャラリーいなげの地下室で発見された大きな洋画の存在を知る。ギャラリーは、電気ブランで知られる神谷バーの創業者である、明治の実業家・神谷伝兵衛の洋風別荘を利用したもので、ふだんは市民の展覧会などに活用されている。

 画面いっぱいに赤いドレスを着た女が描かれた絵で、髪型や服装から、大正か昭和初期の上流階級の日本人女性がモデルと思われた。感情をゆさぶられたひかりは、調査を申し出る。

 評者は千葉市在住で、千葉市美術館の近くに住み、たまに訪れるので、よく知っているつもりだ。リアルな千葉市美術館とその周辺を素材に、幻想的で艶めいた作品に仕上げた力量にまず感心した。

 同美術館は、昭和2年に建てられたネオ・ルネサンス様式の旧川崎銀行千葉支店を部分保存し、それを覆うように新しいビルとして建てられた。旧銀行は、千葉空襲で焼け残った歴史的建造物で、市民の保存運動によって、その外観が1、2階に残った。

 1階のホールではさまざまなイベントが行われており、本作にも生かされている。ひかりはクリスマス・コンサートを企画。海をテーマにした新曲を演奏してもらい、ホールには砂を敷き詰め、流木や海藻で作ったオブジェを展示した。

 ところが、海浜公園から拝借した砂に紛れ込んだヤドカリが、上司の机の中から出てきたため、ひかりはあらゆる展示から担当を外されてしまったのだ。

 暇になったところへ先輩学芸員が企画した「NEW OCEAN~千葉の現代美術とレガシーが出会い、そして未来へ~」という展覧会の手伝いをすることになる。人選は現代美術に詳しい彼女に任されることになった。

 美術館の収蔵品と新作の現代美術とのコラボという仕掛けが、作品の推進力となる。地元紙のカメラマンとしてアルバイトをしている映像作家の黒砂和明には、稲毛海岸を撮った新作とのコラボを依頼した。

 黒砂はかつて千葉にいたという祖父の過去を知るために、千葉に移り住み、調査をしながら撮影しているという。謎の絵とも関係があるらしい。

 仕掛けが整ったところで、千葉の二つの歴史が大きなカギとなる。一つは稲毛にある愛新覚羅溥傑仮寓という建物だ。満州国皇帝、愛新覚羅溥儀の弟が日本人妻と新婚時代を過ごした屋敷だ。伝兵衛のすぐ近くにある。日本人妻の嵯峨浩が例の絵のモデルかと思ったが、調べるうちに意外な方向へと進む。

 もう一つは千葉市美術館のすぐ近くで、ひかりの自宅もある「蓮池」の土地の歴史だ。千葉は陸軍の学校や拠点が多かったので、「軍都」とかつて呼ばれた。蓮池は軍人が闊歩する歓楽街だった。飲食店が多いが、かつての栄華は感じられない。

 ひかりの祖母はここで美容院を営み、芸者衆も出入りしていたという。戦後出版された『蓮池物語』という本や残された原稿から、ひかりの一族の物語が浮かび上がってくる。

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コロナとの戦争

 戦争の影が物語の主題だが、本作は後年、「令和」の新たな「戦争」の様相を描いた小説として言及されるかもしれない、と思った。

 言うまでもなく、「新型コロナウイルス」との戦争である。2020年3月の記述はこうだ。

 「やきもきしているうちに、全く種類の違う不安が全世界に広がった。新型コロナウイルスの流行である。コンサートやイベントは軒並み中止に追い込まれて、三月に入ると千葉市美術館も休館してしまった。美術館はがらんと静かになったが、学芸員はプレスリリースを書き換えたり、外部業者にスケジュール変更の連絡をしたりなど、普段より忙しい」

 ひかりは発熱し、検査の結果陰性だったが、2週間出勤停止となる。そこで、市民ギャラリーの臨時職員となり、例の洋館に泊まり込み、地下室の絵とふたたび向き合う......。

 物語は展覧会のオープンで幕を閉じる。黒砂の映像作品からは、謎の絵を追うミステリー仕掛けの筋書きは無くなった。かつての海辺の話をするお年寄りの映像が流された。

 稲毛の海岸は戦後埋め立てられ、広大な住宅団地が立ち並び、今の海岸は人工的に造成されたものだ。小説のモデルとなった海辺は、今の海岸線からずっと離れてしまった。

 軍都・千葉の面影を残すものはほとんどない。蓮池から少し離れた千葉公園の一角に、かつて鉄道連隊が演習用に架けた橋の一部が残っているだけだ。

 今、千葉市民でも「蓮池」の地名を知っている人は少ない。「千葉市中央区中央3丁目」という即物的な地名になっている。かつての花街の歴史から、こんな哀しい物語をよく紡いだものだと思う。

 著者の清水裕貴さんは、1984年千葉県生まれ。武蔵野美術大学映像学科卒。写真家、グラフィックデザイナーとしても活動している。2018年、「手さぐりの呼吸」で、「女による女のためのR-18文学賞」を受賞し、デビュー。19年に同作を改題し収録した初の単行本『ここは夜の水のほとり』を刊行。他の著作に、『花盛りの椅子』がある。

  • 書名 海は地下室に眠る
  • 監修・編集・著者名清水裕貴 著
  • 出版社名KADOKAWA
  • 出版年月日2023年1月30日
  • 定価1980円(税込)
  • 判型・ページ数四六判・265ページ
  • ISBN9784041125267

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