NHKの大河ドラマ「鎌倉殿の13人」のクライマックスが近づいている。小栗旬さん演じる北条義時のブラック化が際立ち、最初の武家政権である鎌倉幕府を北条氏のものにしようという執念を塗りこめたようなドラマが間もなく終わる。
その後を受ける2023年の大河「どうする家康」も同じく武家政権を描く。最長にして最後の幕府となった徳川幕府の始祖、徳川家康を「嵐」の松本潤さんが演じることも話題になっており、出版界も2022年は久方ぶりの「家康」ブームとなっているのはご存じの通りである。
そうした中で、「どうする家康」の時代考証を担当する柴裕之さんによる『青年家康』(KADOKAWA)が出た。サブタイトルは「松平元康の実像」で、徳川家康と名乗るまでの若き戦国武将の誕生を、松平家の起源から周辺の大名や豪族などとのかかわりまで、当時の資料を駆使して描いている。
本書の「はじめに」にもあるように、これまでごまんと書かれてきた「家康」ものの多くは、「松平・徳川中心史観」によっている。「天下人」「神君」としての立場が確固となった江戸時代に、徳川支配を正当化し、家康が天下人になるのは必然だったという予定調和的な見方に基づいた歴史叙述である。
そこでは、家康の出生前までにさかのぼって、家康に都合のいい解釈やエピソードが創作され、逆にいえば都合の悪い事例は削除された可能性が大きい。これまでの家康を主役や脇役とした大河ドラマも、その類型に属するものが少なくなかったといえる。
1970年代以降、そうした史観に対する見直しが進み、さまざまな歴史研究の成果が発表されてきた。本書もその最新の研究成果によっている。今回の大河ドラマは、プロデューサーによれば、『青年家康』を含むそうした実績も踏まえた、現在わかっている本当の家康像を描くものといえる。
家康は三河(現愛知県)の安城松平氏の嫡男「竹千代」として岡崎城で生まれた。父の広忠が東西で勢力を伸ばす今川氏と織田氏に挟まれ、双方から服属を強いられたことで、竹千代は、まず織田氏の人質となり、その後、今川、織田の人質交換で今川氏の「人質」となる。問題はこの「人質」の意味である。
父広忠は、竹千代が織田氏の人質だった時代に死んでいる。岡崎城主は竹千代が継ぐ立場となるが、幼少のため、今川氏の拠点駿府(現静岡県)に「人質」として移される。本書によれば、当時の今川氏の当主義元は、竹千代を松平氏の嫡流として認めていたようだ。岡崎城に今川一門から城代を派遣はするが、松平氏の家臣による経営を任せてもいる。人質というより、義元は竹千代の「養父」のような立場で、松平家を軍事的経済的に支えたように読める。
実際、竹千代は義元のもとで元服し、義元の名をもらって「元信」と名乗り、義元の姪瀬名を娶ってもいる。今川氏の親類衆として岡崎を中心とする三河を、今川氏の支配権とする象徴が元信だったことになる。
「松平・徳川中心史観」では、今川氏の人質時代の苦労を強調する物語もあるが、実質的には「人質」ではなかったというのが本書の立場である。この辺の人間関係を大河ではどう描かれるのか、興味深い。
また、元信がその後、「元康」と名を変え、桶狭間の戦いで今川氏の先鋒として織田信長と戦いながら、義元が敗死した後、駿府ではなく岡崎城に入り、独立する経緯についても様々な新資料から新しい視点を提供してくれる。名を「家康」に変え、「元」の字を抜いて義元からの脱却を鮮明にし、姓も「松平」から「徳川(得川)」に変えた経緯と理由もわかりやすい。松平と徳川の名前の関係は蘊蓄としても知っておくと、大河を見ながら家族に威張ることができるかもしれない。
本書では、「徳川家康」という名前の若き戦国大名の誕生までが描かれ、2023年1月8日スタートのドラマの序盤を見る「予習」としてはうってつけといえる。
一方、同じく「松平・徳川中心史観」を脱して、その後の家康も含めた全生涯にちりばめられた数々のエピソードの真贋を検証したのが渡邊大門さんの『誤解だらけの徳川家康』(幻冬舎)である。
本書では、例えば、多くの小説やドラマでも描かれてきた「三方ヶ原の戦い」にまつわる家康の「脱糞」や「しかみ像」などのエピソードについて資料に基づき真相を解き明かし、そうした逸話が語られてきた背景についても推定を行っている。ほかにも「嫡男信康の切腹」「秀忠の関ケ原遅参」「大坂の陣での家康は死んでいた」など、様々な議論のある逸話についても資料に基づき解説している。
本書がドラマを見るうえで興味深い指摘をしているのは、「長篠の戦い」の検証である。武田勝頼の「騎馬隊」と織田・徳川連合軍の鉄砲隊による合戦で、これまでも数多くの騎馬隊と鉄砲隊の激突シーンが描かれてきた。
しかし、当時、騎馬隊というものがあったのか疑わしいという結論だ。加えて、当時の日本固有の馬は体高が1.2mほどの小型馬だったことも明らかにされる。高価な馬に乗ったまま刀や槍で戦って馬を損傷することを避けるのも一般的だった。
織田方が馬防柵で武田の騎馬隊の突進を防いだうえ、鉄砲三千挺の三段撃ちで壊滅したという説は、旧日本陸軍が編纂した『日本戦史 長篠役』が作ったもので、一次資料にはそれを裏付けるものがないという。
騎馬武者シーンも、テレビロケで使われる馬の体高を1.2mとみなして、その馬にまたがった戦国武将を想像すれば、戦いの様相はかなり違ったものに思えてくるはずだ。
晩年に至るまでの家康の「逸話はすべて作り話だった」という帯の惹句は、権力を握った者を勝者の側から書かれた伝記の信憑性を疑う作者の態度を表している。「どうする家康」を見ながら、ドラマの展開とは違う決断をしたらどうなるかと想像する楽しみも得られるかもしれない。
大河ドラマを歴史ノンフィクションと見る人は少なかろう。歴史的事実の骨格は踏まえながら、可能な限りの最新の時代考証を加え、さらにドラマ制作者の解釈が反映されるからだ。それらが一つの焦点として結ばれるとき、今までの大河とは違う新しい人間家康像が立ち上がってくることになる。
その意味で、家康は光の当て方で様々な色を発信することを実感させるのが、『傑作!文豪たちの『徳川家康』短編小説』(宝島社)だ。芥川龍之介、池波正太郎、山本周五郎など7人の著名作家による家康を主人公とした小説集だ。「その時どうした?」というテーマで選んだ短編集であり、昭和の初期から文豪たちの創作意欲を湧き立たせた家康という生き方とその時代を感じさせる。
家康をめぐる「物語」は、彼が生きていた時代から現代に至るまで、変化し続けている。
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