83歳のときにアルツハイマー病と診断され、4年後に亡くなった母。母が遺した日記を、認知症専門医である息子・齋藤正彦さんが読んで、見えてきたこととは......。齋藤さんが、母の20年分の日記を1冊にまとめた本『アルツハイマー病になった母がみた世界 ことすべて叶うこととは思わねど』(岩波書店)が発売された。
齋藤さんの母は文章を書くことが好きで、本書で取り上げている20年間よりももっと長く日記をつけていたという。そんな母の晩年の日記には、自身の認知機能の低下をどのように認識し、どのように対処しようとしていたかが記されていた。
本書で取り上げられているのは、齋藤さんの母の、67歳から亡くなる87歳までの約20年間の日記だ。なぜ67歳からなのかというと、この年に初めて、もの忘れに関する記載が日記に登場するからだ。
齋藤さんは、認知症専門医として、患者自身が感じる主観的な症状を知ることは重要だと考えている。齋藤さんが大学を卒業した1980年当時の精神医学の教科書には、「アルツハイマー病の患者は自分のもの忘れを自覚しない」と書かれていたそうだ。しかし、齋藤さんは40年間の臨床医としての経験、そして母の日記から、この見方は正しくないと思うようになったという。精神科医は、客観的な症状の認識はしても、不安を抱く患者の主観的な症状には理解が及んでいないと齋藤さんは指摘する。
私は、母の日記の分析によって、認知症になった高齢者が、自分の病態を自覚しないという精神医学の迷信を打破し、患者の主観的な苦しみに、私たちはいかに無頓着で無理解なのかということを示したいと思います。それは、専門職ばかりでなく、「認知症」という状態が誰にでも起こりうる超高齢社会を生きる人々にとって示唆に富むものだと考えるからです。
『マンガでわかる 認知症の人が見ている世界 新版』(文響社)や、『認知症世界の歩き方』(ライツ社)など、認知症患者の主観的な症状を解説した本が、次々とベストセラーになっている。本書もその新たな1冊に数えられうるかもしれない。しかし、齋藤さんは「この本は、認知症を理解するためのハウツー本ではありません」と言う。
(前略)この本の重要なテーマは、アルツハイマー型認知症と診断された一人の女性が、損なわれた認知機能を通じて外界をどのように眺め、どのように感じていたかを探るということなのです。
「アルツハイマー病になった人」という先入観なく、まずは一人の女性の日記として読んでほしいと齋藤さんは言う。
本書では、母の日記、齋藤さんを含めた3人の子どもの間で交わされた当時のメール、そして母の認知リハビリテーションを担当した大学院生のレポートをもとに、母の最晩年の心情と生活を分析している。浮き彫りになったのは、家族の心配と、認知症患者の不安のかみ合わなさだ。その様子は、どの家庭でも起こりうる、まさに普遍的なできごとと言える。特別な事例ではなく、いつか家族や自分自身が......と誰もが思えることだからこそ、「アルツハイマー病の人」ではなく、ある一人の人の日記として、本書を読むことに意味があるに違いない。
【目次】
まえがき
母の生涯
母の両親
母の出生、五歳にして生母を亡くす
一二歳、父を失う
二二歳、次兄のシベリア抑留死
二四歳、結婚、二八歳、長女の夭逝
三人の子の母として、妻として
六四歳、夫との死別、モンゴル墓参、それからの生活
母の日記と生活
第一期 六七~七五歳――遅れてきた母の青春、忍び寄る老いの足音
六七歳(一九九一年) 「バックを落とさないように、じっと抱えていた」
六八~七五歳(一九九二~九九年) 人生の集大成とエンディングノート
六八歳(一九九二年) 「一時二八分男児誕生、五二・五cm三、六九四g」
六九歳(一九九三年) 「かすかにも藤の花ぶさそよがする」
七〇歳(一九九四年) モンゴル墓参
七一歳(一九九五年) 「老人とはこういうものか」
七二歳(一九九六年) 「どら焼きショックか?」
七三歳(一九九七年) エルサレムへ
七四歳(一九九八年) 「私の葬儀に関するノート、例の紙挟みに入れる」
七五歳(一九九九年) イタリア旅行、「今年も無事に暮れていく」
第二期 七六~七九歳――ほころび始める生活、認知機能低下に抗う
七六歳(二〇〇〇年) 結城屋騒動、「決してボケないように心身を大切にしよう」
七七歳(二〇〇一年) 「面倒なので雑炊にした」
七八歳(二〇〇二年) 「東京の老人ホームに入りたい」
七九歳(二〇〇三年) 「情けない、恥ずかしい、早く消えたい」
第三期八〇~八四歳――老いに翻弄される日々、崩れていく自我の恐怖
八〇歳(二〇〇四年) 「このまま呆けてしまうと思うと......」
八一歳(二〇〇五年) 「いよいよ来たかな?」
八二歳(二〇〇六年) このまま呆けてしまうのだろうか、「頑張れ! レイコ!」
八三歳(二〇〇七年) 「呆けてしまったみたい......呆けてしまった!!」
八四歳(二〇〇八年) 「一日一日呆けが進んでゆくようで恐ろしくて仕方がない」
第四期 八五~八七歳――それからの母のこと
八五歳(二〇〇九年) 「TELかけすぎて叱られる」
八六~八七歳(二〇一〇~一一年) 「長い間、ありがとうございました」
八六歳(二〇一〇年) 「苦しいって言ってるじゃないの!!」
八六歳(二〇一一年一~四月) 「早くなんとかしてちょうだい」
八六~八七歳(二〇一一年五月) 「ごきげんよう」
認知症とは何か
アルツハイマー型認知症とは何か
アルツハイマー型認知症急増という現象の意味
アルツハイマー病根治薬の開発は可能か
母の診断を考える
母の旅路
あとがき
■齋藤正彦(さいとう・まさひこ)さん
1952年生まれ。東京大学医学部卒業。都立松沢病院精神科医員、東京大学医学部精神医学教室講師、慶成会青梅慶友病院副院長、慶成会よみうりランド慶友病院副院長、翠会和光病院院長などを経て、2012年都立松沢病院院長、21年から同病院名誉院長。医学博士、精神保健指定医。主な研究テーマは老年期認知症の医療・介護、高齢者の意思能力、行為能力に関する司法判断。
著書に『都立松沢病院の挑戦』(岩波書店)、『親の「ぼけ」に気づいたら』(文春新書)、監修に『家族の認知症に気づいて支える本』(小学館)、編著書に「講座精神疾患の臨床」『第7巻地域精神医療リエゾン精神医療精神科救急医療』(中山書店)、『松沢病院発! 精神科病院のCOVID-19感染症対策』(新興医学出版社)、『認知症医療・ケアのフロンティア』(日本評論社)、『私たちの医療倫理が試されるとき』(ワールドプランニング)などがある。
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