乗るとだんだん記憶をなくす「ミステリーバス」、人の顔がわからなくなる「顔無し族の村」、一本道なのになかなか出口にたどり着かない「服ノ袖トンネル」......。物語の中の光景ではない。どれも認知症の人が日々、実際に見ている世界だ。
9月15日に発売される『認知症世界の歩き方』(ライツ社)は、旅をしながら認知症を疑似体験することで理解が深まる、これまでにない「認知症ガイド」だ。
斬新なのは、とにかく「本人目線」で書かれている点だ。認知症の人は、「困っていることはあるのに、自分の口ではうまく説明できない」という気持ちがある。一方、周囲の人は、サポートしたくても「本人に何が起きているかわからないから、どうしたらいいかわからない」と理解できずに苦しむ。こうしたすれ違いを減らすために、認知症のある人約100人にインタビューをして、「語り」を蓄積した。
読者を「認知症世界」を旅する「旅人」になぞらえ、不可解な行動の理由について、「旅のスケッチ」と「旅行記」の形式で説明しているのも新しい。まさに旅行ガイドのように、見知らぬ世界を案内してくれる。
具体的な例を見て行こう。STORY1は、「ミステリーバス」。認知症世界に1歩を踏み出すと、「行くあてのないバスから、あなたは降りられるか?」という難問がたちはだかる。
「この世界には、乗り込んでしばらくすると、記憶をどんどん失ってしまい、行き先がわからなくなる不思議なバスがあるのです。」
このバスに乗ると、これまでの道のり(過去)、現在地(今)、旅のプラン(未来)がすべてわからなくなってしまう。なんとも恐ろしい乗り物だ。実はここに、認知症の人がバスや電車から降りられなくなる理由がある。認知症の人は、単なる「もの忘れ」と違い、「思い出す」という記憶のプロセスのどこかに問題を抱えている。行き先の情報をきっちり頭の中に取り込み(記銘)、その情報を蓄え(保持)、目的地で思い出す(想起)という記憶の仕組みが、正常に機能しないことがあるのだ。
こうした「ガイド」の中に、「旅人の声」として認知症の人の体験談が紹介されている。いつもの時間にバスに乗り会社に向かっていたのに、今、自分がどこにいるのか、どこに向かっているのか、どこから来たのかがわからなくなり、大幅に遅刻してしまったというエピソードや、「浅草で降りる」とわかっているのに、アナウンスがあっても「まさか自分が降りるバス停だとはまったく気づかなかった」という話も。
「食事のメニューが思い浮かばない」「商品情報が覚えられない」「何度も同じ話をする」といった行動も、知識や情報を記憶できないことから起きるという。
もう一つ、例を紹介しよう。STORY5は「顔無し族の村」。「顔というシンボルなしに、人はどうつながるのか?」という、これまた難問が提示される。
「この世界には、顔が千変万化するため、人を顔では識別しない。つまり、イケメンも美女も関係ない顔無し族が暮らす村があるのです。」
実は、顔を見て正しく人を認識するのは、とても高度な認知能力なのだという。「旅人の声」によると、「同じ人なのに、見るたびに顔が違うように見える」とか、「知り合いだと思って声をかけたら知らない人だった」、「見知らぬ人だと思っていたら、社長だった」など、笑い話のようだが、本人にとっては不可解で笑えない出来事も。
本書の前半にはこのほか、「メニュー名も料理のジャンルもない名店 創作ダイニングやばゐ亭」や、「誰もがタイムスリップしてしまう住宅街 アルキタイヒルズ」、「時計の針が一定のリズムでは刻まれない トキシラズ宮殿」など、スリリングな見出しが並び、全部で13のストーリーで構成されている。同じものを買ってきてしまう、あてもなく街を歩き回ってしまう、コンロの火を消し忘れてしまうなど、周囲の人から見れば、「どうしてそんなことするの......?」と不可解に思える行動の理由がよくわかる。
後半は、「認知症とともに生きるための知恵を学ぶ旅のガイド」として、旅に必要な知恵・心がまえ・ツール・情報がまとめられている。
認知症を当事者の視点で正しく理解する、頼れる仲間をつくる、できることとできないことを知るといった、当事者と介護者、双方の心がまえとともに、困ったときの相談先や目印の工夫、スマホを使った忘れ物防止法など、具体的なアイデアやアドバイスが書かれている。ちょっとした工夫で生活が楽になり、互いのストレスを減らすことができそうだ。
さらに、巻末には「生活シーン別困りごと索引」がついている。「着替えの手順を間違える」「食べ物のにおいがしない」「会計の金額を覚えていない」など148の項目から、13のストーリーの該当ページに飛ぶことができ、背景にある心身機能の障害を知ることができる。
どのページも文字が大きく、イラストやアイコン、チャートが豊富。これほど読みやすく、誰にでも理解しやすいようデザインされた認知症の本も珍しいと驚いていたら、著者はソーシャルデザインのプロだと知って、なるほどと納得がいった。著者の筧裕介さんは、社会課題解決のためのデザインの研究、実践に取り組むNPO法人の代表を務めている。「複雑化する現代社会には、使いにくい商品やサービス、混乱を呼ぶサインが空間にあふれている」ことから、「認知症のある方が生活に困難を抱えている原因の大半がデザインにある」と考え、本書を企画したという。
この物語に登場するのは、架空の主人公でも、知らない誰かでもなく、「少し先の未来のあなた」や、「あなたの大切な家族」です。
認知症そのものを治すことは難しくても、認知症の人との付き合い方や、環境を変えることはできる。自分と大切な人が幸せに生きていくために手元に置いておきたい、これ以上ないほどわかりやすい認知症ガイドだ。
■著者:筧 裕介さんプロフィール
issue+design 代表、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科特任教授。1975 年生まれ。一橋大学社会学部卒業。東京工業大学大学院修了。東京大学大学院工学系研究科修了(工学博士)。2008 年ソーシャルデザインプロジェクトissue+design を設立。以降、社会課題解決のためのデザイン領域の研究、実践に取り組む。日本計画行政学会・学会奨励賞、グッドデザイン賞BEST100、竹尾デザイン賞、カンヌライオンズ(仏)、D&AD(英)他受賞多数。著書に『持続可能な地域のつくり方』『ソーシャルデザイン実践ガイド』『人口減少×デザイン』(単著)、『地域を変えるデザイン』『震災のためにデザインは何が可能か』(共著・監修)など。
■監修:認知症未来共創ハブ
「認知症とともによりよく生きる未来」を目指し、当事者の思い・体験と知恵を中心に、認知症のある方、家族や支援者、地域住民、医療介護福祉関係者、企業、自治体、関係省庁及び関係機関、研究者らが協働し、ともに未来を創る活動体。慶應義塾大学ウェルビーイングリサーチセンター、日本医療政策機構、認知症フレンドシップクラブ、issue+designの4 団体が2018 年より共同で運営。
代表 堀田聰子(慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科・教授)
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