ノーベル文学賞を受賞した文豪、川端康成が没後50年をまもなく迎える(2022年4月16日)。川端関連の出版の中で注目したのが、本書『川端康成と女たち』(幻冬舎新書)である。川端の評伝も書いた作家・比較文学者の小谷野敦さんが、川端の描く「女」から10の名作を再読したものだ。代表作とされる『雪国』は今や名作の地位を転げ落ちようとしている、と指摘するなど、遠慮がない。「ノーベル賞作家」という看板を下ろし、川端の作品そのものを賞味し、評価する時が来たということだろう。
小谷野さんは東京大学大学院比較文学比較文化専攻博士課程修了、学術博士(比較文学)。大阪大学言語文化部助教授、国際日本文化研究センター客員助教授などを歴任。谷崎潤一郎、川端康成、久米正雄らについて実に行き届いた評伝を出したと思えば、小説も書き、芥川賞候補に2回。アカデミズムの世界から離れ、文筆一本となって、向かうところ敵なし、といった趣がある。
明治以降の62人の物故作家の男女関係について書いた『文豪の女遍歴』(幻冬舎新書)という著書もあるが、本書は川端の伝記的事実と作品を合わせて論じたところに意義がある。川端に対する見方が変わること請け合いだ。
小谷野さんが書いた、川端の評伝『川端康成伝 双面の人』(中央公論新社)を読み、感心した記憶がある。調査、文献探索が素晴らしく、新たな事実がいくつも発掘されていた。それでいて作品論には踏み込まず、禁欲的な印象を受けた。なぜなのか、本書の序文にこう書いている。
「私は基本的に伝記的事実を記述するにとどめ、いわゆる『作品論』に深入りすることはしなかった。というのは、1980年代の『文学理論』の流行以来、さまざまな作品読解の方法が用いられた結果、『なんでもあり』になってしまい、実際目新しい作品論などというものはもう出てこないだろうと考え、伝記研究という、研究の原点へ立ち戻ろうとしたからである」
冒頭で、川端の保守的文化人としての側面、文壇における政治的なふるまいなどの欠点はさておき、作品にはすばらしいものがある、と強調している。「そうなのか」と思い、読み始めると、「第1章『雪国の謎を解く』」で、「前衛芸術か、藝者遊び小説か」という問題設定をしているので、面喰ってしまう。
評伝の成果を活かし、川端が湯沢温泉でかかわった女性たちを徹底的に明らかにしている。本名も書いているが、ここでは割愛する。旅館に呼んだ盲目の女性マッサージ師に19歳の松栄という芸者を紹介してもらう。
『雪国』の一部は雑誌2誌に掲載されている。内容からすでに松栄と情交があったと推測している。読んだ本について稚拙な感想をノートに書きつけている文学少女(松栄のこと)のところに、中央で活躍する30代の作家がふらりとやってきた。「村上春樹や島田雅彦が場末のキャバレーに来たみたいなものである」と書いている。
松栄は作中、「駒子」として登場する。海外では藝者小説として、国内では花柳小説として受容されてきた『雪国』。作品の出来に、川端は悲観的で、その後何度も書き足され、改稿された。その経緯も詳しく書いている。
日本文学の名作の代表として遇されるようになったが、果たして本当に名作なのか、という疑問は常にわだかまっていたという。小谷野さんは『雪国』は、「あと百年もつかどうか疑わしい」と書いている。「田舎へ行って温泉で藝者をあげる、などということは、古代的な事象と見なされるようになるのも仕方がない」からである。
本書は、『伊豆の踊子』や『眠れる美女』など、川端の代表作とされる作品を検討し、モデルとなった女性との関係を書いている。基本的に川端はプロットを立てるのが下手で、長編には向いていないというのが小谷野さんの結論だ。その分、「掌編小説」と呼ばれる、短編小説に、川端の真価がある、と評価している。
「骨拾ひ」「心中」「ざくろ」など100編を超え、とくに昭和初期の作品は、幻想的で怪奇的なものが多いという。
川端には「少年」という、「伊豆の踊子」と同時期に書かれた小説のような、回想録のようなものがある。旧制中学時代の同性愛体験を描いたものだ。「いまだ文庫版などになったことがない」と書いているが、本書刊行後の2022年4月1日、新潮文庫から刊行された。これをもって同性愛者と見なすことは出来ないが、新たな論点を提示するものになるかもしれない。
小谷野さんは、「川端自身、文士は放蕩無頼だ、と言っていた」と書いている。没後50年を機に、ノーベル賞作家で保守的文化人の代表と思われていた川端の知られざる側面にスポットライトが当たりそうだ。川端もまたそれを望んでいるかもしれない。
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