3月9日(2022年)に行われた韓国の大統領選挙で、保守系の尹錫悦(ユンソクヨル)前検事総長が勝利し、5年ぶりに保守系へ政権交代されることになった。さまざまな識者が選挙結果を予測していた中で、冷静な分析で注目されたのが、韓国研究の第一人者である神戸大学大学院教授の木村幹さんだ。本書『韓国愛憎』(中公新書)は、木村さんが肌で感じてきた日韓関係の30年史である。
評者は2つの観点から本書を読んだ。1つは軍事独裁下の暗い国のイメージだった韓国が劇的に経済回復し、韓流ブームを巻き起こすほど存在感を増すプロセスを描いた歴史的観点。もう1つは文系の研究者がいかにして業績を挙げ、ポジションを獲得していくかを率直に明かした個人史的観点。特に後者はこれから研究者を目指そうという人にとって、多くのヒントを与えてくれるだろう。以下、2つの観点を織り交ぜながら、本書の記述にしたがってスケッチしてみよう。
大阪の在日韓国・朝鮮人が多く暮らす地域で幼い頃を過ごした木村さんだが、それが韓国への関心につながった訳ではない。京都大学法学部に進み、海外旅行でメキシコ、バングラデシュ、インドへ行き、発展途上国への関心を高めた。「大学の教員になりたい」とゼミの指導教員に相談すると、「研究対象を選びなさい。理論か地域のどちらかからアプローチするとよい」という答え。競争相手が少ない、日本から近いなど消去法で選んだのが韓国だった。
「韓国を研究すれば、発展途上国がどうすれば経済成長し、また民主化できるのか。その鍵が見つかるのではないか」
そんな後付けの理由を考えたという。独学で韓国語を学び、韓国と国内で資料を集め書いた修士論文が評価され、博士課程に進学すると同時に愛媛大学に就職する話が舞い込む。当時としてもラッキーだったと回顧している。あわてて韓国に留学するが、行き先はソウル大学の付属の語学学校だった。木村さんはまだ韓国語をほとんど話せなかったのだ。
愛媛大学時代に再び半年間の韓国留学を経て、神戸大学大学院国際協力研究科に着任する。再び留学の機会が訪れるが、「韓国はダメだ。アメリカへ行け」「もっと有名な所へ行け」という上司の意見で、ハーバード大学の客員研究員になった。毎日のようにシンポジウムやゲストスピーカーによる講演がある。
「恵まれた拠点大学にいる人たちと競い合い、生きて行かなければならない」
どこの大学に入り、どこに留学するかがその後の研究者の人生を決定づける。次第にどうしてハーバード大学に送られたかがわかってきたという。
日本に戻った木村さんは、その後の研究の方向性を決定づけるプロジェクトにかかわる。2002年から10年までの間、2期にわたって行われた「日韓歴史共同研究」である。小泉純一郎首相と金大中大統領の間で開催された首脳会談で合意された国家間プロジェクトである。
近現代史を担当する第3分科の研究協力者に選ばれた。課題は「総力戦期の朝鮮半島における動員過程」。当時の日本政府が人々をどのように動員したかという歴史認識問題の中核だった。
第1期は無事に報告書が出たが、03年に廬武鉉政権が誕生すると、韓国で積極的な歴史の見直しが行われ、第2期は険悪な雰囲気の中、嚙み合わない議論が続いた。木村さんは教科書小グループの委員として参加。最後に両論併記の報告書が発表された。木村さんは激しく消耗した。
その背景には韓国の経済成長がある。「21世紀初頭に入ると、韓国が目指すべき最重要な発展モデルの地位から日本が滑り落ちた」と書いている。1997年のアジア通貨危機をきっかけに、いまだに護送船団方式を維持しようとする日本は、古い失敗事例と韓国では映るようになったという。
2000年代に入り、日本の停滞と韓国の興隆が続く。日本では韓流ブームが起こると同時にネットを中心に嫌韓現象が高まった。木村さんは正反対に見える2つの現象には共通点があると指摘する。これまで触れられなかった情報に、一般の人たちが触れられるようになって生じた同根の現象だというのだ。
2011年の韓国憲法裁判所の判決以降、日韓関係が悪化していった過程を詳しく書いている。12年12月の大統領選挙で保守系の朴槿恵政権が誕生すると、多くの日本のメディア、政治家、評論家は親日的なものになると思い込んだ、と批判する。
木村さんは「日本との関係を改善させた父親の朴正熙元大統領のイメージがあるので、逆に協力しにくいはずだ」(「東京新聞」12年12月20日)と冷静にコメントしていた。
日韓関係が悪化する中で、木村さんは韓国の政治家や行政官、元慰安婦、運動家らの聞き取り調査を続けてきた。まだまだ研究すべきことは多いという。
元徴用工問題をめぐる韓国大法院判決を「破戒的な判決」だとし、文在寅政権の無為無策ぶりを嘆いている。そしてコロナ禍において対立は凍結したものの、お互いへの関心は薄れるばかりだ。新大統領になる尹氏は「未来志向の韓日関係を築いていきたい」と、10日の記者会見で強調した。しかし、保守と革新、世代間、地域間、男女間で激しく分断された選挙の後、どう国民を統合し、日韓の歴史認識問題を解決するか、安易な期待は禁物だ。今後も木村さんの研究、発言を注視していきたい、と思った。
BOOKウォッチでは、1970年代に韓国の大学で教壇に立った四方田犬彦さんの『戒厳』(講談社)のほか、『韓国カルチャー』(集英社新書)などを紹介済みだ。
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