江國香織さんの小説『ひとりでカラカサさしてゆく』(新潮社)は、80代の男女3人が大晦日の夜に猟銃自殺を遂げる、というセンセーショナルな出来事から始まる。
ただ、登場人物たちの描写が繊細で、ゾクゾクするというより、「幾つもの喪失、幾つもの終焉」に伴う切なさがジワジワくる。
大晦日の夜、ホテルに集まった八十歳過ぎの三人の男女。彼らは酒を飲んで共に過ごした過去を懐かしみ、そして一緒に命を絶った。三人にいったい何があったのか......。
妻でも、夫でも、子どもでも、親友でも、理解できないことはある。唐突な死をきっかけに思いがけず動き出す、残された者たちの日常を通して浮かび上がるのは――。
主人公は、篠田完爾(かんじ)、86歳。重森勉(つとむ)、80歳。宮下知佐子、82歳。
3人が出会ったのは1950年代の終り。美術系の小さな出版社の編集者仲間だった。3人は気が合い、誰かが転職しても親しく、ずっと仲のいい友人同士でいる。
「三人とも、思い出話ならいくらでもできた。おなじ時代を生きてきたのだ。気がつけば、家族とよりもながいあいだ一緒にいる。(中略)夜はまだまだながく、家に帰る必要もない。部屋は一つしか取っていないが、今夜の三人にはそれで十分なのだった」
そう、自殺は衝動的なものではなかった。誰にも告げずに準備を整え、それを実行するために3人は集まった。
正直に言うと、1度読んだだけでは全体像を把握しきれなかった。それは登場人物が多かったからで、人物相関図を書きながら2度読みした。
妻、夫、子、孫、恋人、友人、知人など、ザッと数えて40人ほど(わずかしか登場しない人物を含む)。よくぞここまでと思うほど、ディテールまで書き込まれている。
3人がホテルのバーラウンジで過ごす最後の時間、彼らの死後に関係者たちがそれぞれに過ごす日常。この2つが交互に描かれ、物語は進行していく。
「テレビをつけると、いきなり陰惨なニュース速報がテロップで流れた。都内のホテルで老人が三人、猟銃自殺したというのだ」
年明けに報じられた衝撃の出来事は、残された者たちに多かれ少なかれ影響をもたらすこととなる。
それにしても、なぜ3人はこのような最後を選んだのだろうか。自分だったらどうかと想像してみるが、なかなかこの決断には至らない。
「一体どんなつながりがあれば、三人でいっしょに逝こうと思えたりするのでしょうか」――。これは完爾の孫が抱く疑問だが、読者の声そのものといえる。
ここでは、3人の心境を推測するヒントとなる部分を見ておこう。
「俺は自分で決めようと思っている。まだもうすこし先だけど、そのときがきたら」と完爾が最初に言ったのは、6、7年前のこと。
それを聞いた勉は冗談めかせて、「じゃあ俺も便乗するかな、そのときがきたら」と言った。知佐子は、「ああ、そういう方法もあるのか」と目をひらかれる思いだった。
「そのとき」がきた今、「完爾さんが最初に計画を口にしたとき、どうして即座に『俺も』って言ったの?」と知佐子が訊くと、勉はこたえた。
「『なんでって、俺はもう終ってるから』(中略)『野暮は言いっこなし。選べるのは"いつ"ってことだけで、万人に等しくそれは来るんだから』」
「知佐子は黙った。その通りだと思ったからだ。そして、あたしは、と胸の内で言う。(中略)ほしいものも、行きたいところも、会いたい人も、ここにはもうなんにもないの」
「自分が完全に落着いていることに完爾はやや驚く。もうすこし感傷的になるだろうと予想していたのに、死を前にして、何の感慨も湧かない」
完爾が腕時計を見ると、ちょうど9時になるところだった。完爾には、生きて年を越すつもりはない。これから実行する計画がまるで嘘かのように、和やかな雰囲気だったが、このあたりから緊張が高まってくる。
一方は刻一刻と終りが近づき、もう一方はこれからも続いていく。死と生、逝った者と残された者、これまでとこれから。その対比がくっきりしている。さて、80代になったときに何を思うのだろうか。年齢を重ねて、また読み返したい作品。
■江國香織さんプロフィール
1964年東京都生まれ。87年「草之丞の話」で「小さな童話」大賞、89年「409ラドクリフ」でフェミナ賞、92年『こうばしい日々』で坪田譲治文学賞、『きらきらひかる』で紫式部文学賞、99年『ぼくの小鳥ちゃん』で路傍の石文学賞、2002年『泳ぐのに、安全でも適切でもありません』で山本周五郎賞、04年『号泣する準備はできていた』で直木賞、07年『がらくた』で島清恋愛文学賞、10年『真昼なのに昏い部屋』で中央公論文芸賞、12年「犬とハモニカ」で川端康成文学賞、15年『ヤモリ、カエル、シジミチョウ』で谷崎潤一郎賞を受賞。他の著書に『ちょうちんそで』『彼女たちの場合は』『去年の雪』など多数。小説のほか詩やエッセイ、翻訳も手掛けている。
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