コロナ禍で葬儀の簡素化、小規模化が進み、「大事な家族とじゅうぶんなお別れができない」と感じている人が増えているという。
「もっと〇〇しておけばよかった」「本当は○○したかった」......。そんな思いで故人を見送った経験が、今もひっかかっている人は多いだろう。
大森あきこさんの著書『最後に「ありがとう」と言えたなら』(新潮社)は、ベテラン納棺師が涙した家族の「お別れ」の物語。4000人以上を見送った今、伝えたいこと――。
「ご遺族は、納棺式という限られた時間にその方と過ごした普通の日々を必死に思い出し、取り戻そうとします。(中略)私はそんな場面に立ち会うたびに、死によって亡くなった方とのつながりが切れるわけではないと信じることができます」
1954年9月、北海道で起きた洞爺丸の沈没事故。死者・行方不明者1155名。葬儀社が地元・函館の住民に遺族への遺体引き渡しの手伝いを依頼した。遺体を綺麗にすることで遺族が喜ぶ様子を見て、納棺師の職業が生まれたという。
大森さんが納棺師になると決めたのは、38歳の時。きっかけは父の葬儀だった。
「看病もろくにしなかった私が......」との罪悪感で、「誰かが作った葬儀に参加しているような心境」に。それでも納棺式で旅支度をつけ、冷たい体に触れた時、「父に何かしてあげることができた、と少しだけ救われた気持ち」になったという。
元気だった頃の故人に近づける死化粧、安心してお別れできる遺体の処置、その人らしさを表す着せ替え、遺族の希望を叶えるコミュニケーション。納棺師は、こうした技術を学び続けなければならない。
「あまりのゴールの見えなさに、なんて仕事についてしまったのかしらと思うこともあります。(中略)不器用な主婦は不器用な納棺師になり、不器用なりにたくさん悩み、迷走しながらも、たくさんの気づきに出会えています」
本書は「第1章 においのぬくもり 声のやすらぎ」「第2章 旅立ちのための時間」「第3章 棺は人生の宝箱」と、コラム「納棺式の流れ」「納棺式のタイミング」「紙の上の納棺式」の構成。
冷たくても夫の手で、もう1度だけ頭をなでてほしい。お母さんを、いつものいいにおいにして見送りたい。小さな"なきがら"に、パパとママが最後にしてあげたこと......。大森さんが実際に体験したエピソードの数々を紹介している。
納棺式の主な内容は、「遺体への処置」「清拭による洗体(あるいは湯灌)」「着せ替え」「顔剃り(メイク)・整髪」「納棺」「ドライアイス処置」。
納棺式に立ち会ったことがなく、納棺師がピンと来ない人もいるだろう。すべて葬儀会社が行い、最後の確認だけ遺族が行う場合もあれば、着せ替えまで葬儀会社が行い、残りを遺族と行う場合もあるという。
「中には本当に素敵なお別れの時間を作り出す人たちがいます。それは葬儀担当者でも納棺師でもない、『ご遺族自身』です。そんなご遺族の共通点は、お別れの時間に何ができるかを知っていることです」
たとえば、棺の中には思い出の品(原則「燃えるもの」)を入れることができる。写真、手紙をはじめ、小さな紙パックの日本酒、紙に包まれた鰻の蒲焼なども。
厳粛な空気の中、できることは限られているように思える。それが本書を読むと、案外、故人や遺族の思いを表現できる「余白」があることがわかる。
「人は死んだらどこに行くのか」――。この問いについて考える時、大森さんの中に浮かぶ映像があるという。
「ひとつの命が、花火のようにパッと散ってたくさんの欠片になり、自分を思ってくれる人の中に飛び込んでいく。その欠片を受け入れてくれた人の心は初めのうちはズキズキ痛むけれど、欠片は時間とともに溶けてその人の一部になっていく。多くの死とお別れを見ながら、そんなことを考えています」
大切な人との別れに接した時、こんなイメージを持てたらと思う。どこかの家族の「お別れ」に涙したり、自身の過去の別れを振り返ったりして、胸を打たれる1冊。
■大森あきこさんプロフィール
1970年生まれ。38歳の時に営業職から納棺師に転職。延べ4000人以上の亡くなった方のお見送りのお手伝いをする。(株)ジーエスアイでグリーフサポートを学び、(株)グリーフサポート研究所の認定資格を取得。納棺師の会社・NK東日本(株)で新人育成を担当。「おくりびとアカデミー」、「介護美容研究所」の外部講師。夫、息子2人の4人家族。
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