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江國香織さんが不倫の「いきどまり」を描いたロングセラー

ウエハースの椅子

 「不倫とウエハースの椅子はよく似ている」――。この言葉の意味がパッとわかる人は、相当鋭い感性の持ち主だろう。

 江國香織さんの本書『ウエハースの椅子』(ハルキ文庫)は、2001年に単行本として刊行され、04年に文庫化された。昨年(2018年)16刷というから、長期にわたり支持されていることがわかる。

 本書は江國さんのみずみずしい感性が存分に発揮されていて、時間が経過しても色あせず心にスッと入ってくる。繊細で美しい文章を堪能したい方にピッタリの恋愛小説。

絶望が私に会いにくる

 「かつて、私は子供で、子供というものがおそらくみんなそうであるように、絶望していた。絶望は永遠の状態として、ただそこにあった。そもそものはじめから。だからいまでも私たちは親しい。やあ。それはときどきそう言って、旧友を訪ねるみたいに私に会いにくる。やあ、ただいま」

 主人公の私は、三十八歳の画家。父母、犬、知人など、いままでに経験したすべての死を考えることがある。また、一人でスパイごっこをしてやり過ごした小学校時代の記憶をたどることもある。

 私にはつきあい始めて六年になる恋人がいる。その恋人は骨董品屋と古本屋を持っている。とてもやさしく、髪をなでてくれる恋人を、私は「ひどく」愛している。しかし、私のところにときどきやってきて泊っていくことはあっても、それ以上は望めない。恋人には、家庭があるのだ。

 本書は全体がうっすらとベールに包まれているようだ。恋人の名前や顔、家庭の描写はほとんどなく、人物像が捉えづらい。また、私の視点で過去と現在を行ったり来たりして、時間の感覚が曖昧になる。それらがゆったりと流れるような文章で書かれているからだろうか。

 一方、私は根本的に「絶望」を抱えている。その先に「死」を見据えている。穏やかで満ち足りた私の生活の中に、時々おそろしいものが顔を出す。それが日に日に色濃くなり、私は少しずつ壊れていく。

「いきどまり」にたどりつく

 私は恋人との関係にどっぷり浸かり、溺れることを繰り返す。何の過不足もないのに、何かが欠落している。愛しあっているのに、それ以上望めない。恋人と生きようとすると、閉じ込められる。恋人と離れると、解き放たれる。しかしそれは自由ではなく、「小さな死」のようなもの......。

 「それはほとんどゆるやかな自殺のようだ。......終点。そこは荒野だ。......ここは視界がひらけすぎている。果てがない」

 「私は、自分が恋人の人生の離れに間借りしている居候であるように感じる。......彼の人生の一部ではあるけれど、同時に隔離されているように。現実からはみだしているように......私は身動きがとれない」

 どうしたって完璧になれない、不倫という関係。私はいつも「いきどまり」にたどりつくのだった。では最後に「不倫とウエハースの椅子はよく似ている」の意味にふれておこう。

 「子供のころ、私のいちばん好きなおやつはウエハースだった。......私はそれで椅子をつくった。小さな、きれいな、そして、誰も座れない――。ウエハースの椅子は、私にとって幸福のイメージそのものだ。目の前にあるのに――そして、椅子のくせに――、決して腰をおろせない」

 決して腰をおろせないウエハースの椅子と決してこれ以上の関係を望めない恋人。主人公の私は、幸福と絶望の間をさまよいつづける。それでも、主人公と同世代の女性として、恋愛も仕事も没頭してとことん追求する姿に憧れる。発刊から約20年経ったいまも、その生き方に共感する女性は多いだろう。

  • 書名 ウエハースの椅子
  • 監修・編集・著者名江國 香織 著
  • 出版社名株式会社角川春樹事務所
  • 出版年月日2004年5月18日
  • 定価本体495円+税
  • 判型・ページ数文庫判・208ページ
  • ISBN9784758431026
 

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