新型コロナウイルスの感染が拡大し、医療資源が不足したとき、どの患者の命を優先すべきかという議論が起きた。「命の選別」を危惧する声が相次ぎ、実行する事態には至らなかった。しかし、底流には選別を当然と思う人たちがいる。本書『ルポ「命の選別」』(文藝春秋)は、毎日新聞が続けてきたキャンペーン報道「優生社会を問う」を基に新たに書き下ろしたものだ。生まれる前から選別が始まり、生まれた後も差別される実態を、徹底した取材で、明らかにしている。
著者は毎日新聞記者の千葉紀和さんと上東麻子さん。2人は「旧優生保護法を問う」取材班で2018年新聞協会賞、石橋湛山記念早稲田ジャーナリズム大賞奨励賞を受賞。千葉さんは生命科学や医学分野、上東さんは福祉や医療分野をそれぞれ取材している。
2018年には旧優生保護法下の強制不妊手術の被害者が国家賠償を求めて提訴、翌年被害者への一時金支給法が成立。旧法は「違憲」という仙台地裁の初判決も出た。優生思想の愚かさがクローズアップされた一方で、出生前診断や着床前診断の大幅拡大が打ち出され、障害者施設「津久井やまゆり園」で入所者ら45人が殺傷された事件を起こした男への共感を寄せる書き込みがネットにあふれている。
「むしろ日本は、形を変えて『優生社会』化しているのではないか」と、千葉さんは「まえがき」に書いている。
本書の構成は以下の通り。
第1章 妊婦相手「不安ビジネス」の正体 新型出生前診断拡大の裏側 第2章 障害者拒み「地価が下がる」 施設反対を叫ぶ地域住民 第3章 見捨てられる命 社会的入院、治療拒否される子どもたち 第4章 構図重なる先端技術 ゲノム編集の遺伝子改変どこまで 第5章 「命の線引き」基準を決める議論 受精卵診断の対称拡大 第6章 誰が相模原殺傷事件を生んだのか 人里離れた入所施設 第7章 「優生社会」化の先に 誰もが新たな差別の対象 終章 なぜ「優生社会」化が進むのか 他人事ではない時代に
最も戦慄したのは、拡大する新型出生前診断を取材した第1章だ。NIPT、医学的に言うと「母体血を用いた新しい出生前遺伝学的検査」が、無認定で行われている実態に迫っている。妊婦から大さじ1杯分の血液をとり、特定の染色体が含まれる割合を標準値と比べることで、病気や障害が胎児に生じるかどうかを推定する。
従来からある「羊水検査」や「絨毛検査」は妊婦のおなかに長い針を刺し、直接胎児の細胞を採取するため、流産の危険性があり、妊婦の負担も重かった。NIPTは手軽で、妊娠初期から受けられ、結果も信頼できる。アメリカで2011年に実用化されると、日本では障害者団体などが一斉に反対し、日本産婦人科学会、日本医師会などが共同声明を出し、厳しい規制をつくった。2020年1月時点で認定を受けているのは109の医療機関だ。
ところが、認定を受けない指針違反のクリニックが美容外科を中心に参入、1回20万円前後で行っている。千葉さんらは妊婦やその夫を装って覆面取材も試み、40カ所の無認定施設があることを突き止めた。
ぼったくりに近い診察の仕組みや不安を煽る営業トークにふれ、無認定施設を取り仕切る会社にも取材の手を伸ばした。
「野放図に広がる無認定施設への対策」として、日本産婦人科学会は、本格拡大に舵を切る方針を出したが、厚生労働省が介入するなど、その後の動きをフォローしている。
第5章では、さらに早期の「着床前診断(受精卵診断)」の拡大の動きにふれている。何が「重篤な遺伝性疾患」なのかをめぐり、議論が続いている。
この本の凄みは、生まれる前から生まれた後、成人した後と、選別と差別がライフサイクルを通じて続くことを明らかにしたことだ。生まれた後も治療を拒否されたり、親に虐待されたりする。成人してグループホームなどに入ろうとしても、施設の建設に反対運動が起こることも少なくない。
相模原殺傷事件が起きた「津久井やまゆり園」は、人里離れたところに「コロニー」と呼ばれる大規模施設をつくってきた日本の「福祉」が生み出したものと見ている。1980年代に入ると、「ノーマライゼーション」の考えが広まり、国の政策も「地域移行」にシフトし、グループホームが増えた。だが、重度知的障害者や高齢者は取り残された。「施設か地域か」という対立が続いている、と指摘する。
終章では、「コロナをきっかけに、誰もが不便を感じる『総障害者化』が起きた」という研究者の声を紹介している。外出自粛やソーシャルディスタンスをとることで人々の活動が制限され、不自由になったからだ。その結果、連帯の方向に行くのか、かえって苛烈な形で差別が進むのかの分岐点にいるとも。「誰もが新たな差別の対象となるディストピア」になるかもしれない、という結びに、そうならないことを祈るばかりだ。
「命の選別」の始まりから終わりまで、「一気通貫」で取材、記述した2人の記者の貴重な労作である。
BOOKウォッチでは、関連で『出生前診断 受ける受けない誰が決めるの?』(生活書院)、『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』(大月書店)、『現場検証 平成の事件簿』 (柏艪舎) 、作家の辺見庸さんが相模原殺傷事件に想を得て書いた『月』(株式会社KADOKAWA)などを紹介済みだ。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?