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辺見庸さんだから「相模原事件」でここまで書けた!

 共同通信元編集委員にして芥川賞作家の辺見庸さんほど、多面的な貌(かお)を持つ書き手はいないだろう。共同通信時代は、北京特派員として中国報道で特ダネを連発、日本新聞協会賞を受賞、職場の体験をもとに小説を書けば『自動起床装置』で芥川賞を受賞、さらに極限の生と食をめぐるルポルタージュ『もの食う人びと』で講談社ノンフィクション賞を受賞。1996年に退職後は、右傾化に対する論陣を張るとともに、もともと好きだった詩作にも集中、詩集『生首』で中原中也賞、詩集『眼の海』で高見順賞を受賞した。

 長々と受賞歴を披露したが、辺見さんほど、権威を嫌う人もいないだろう。報道記事、ノンフィクション、小説、詩どれを書いても一級品ということを知ってもらいたくて書いたまでだ。

 その辺見さんが、2016年に神奈川県相模原市で起きた「障害者施設やまゆり園殺害事件」に想を得たのが、本書『月』(株式会社KADOKAWA)である。さぞや事件の真相に迫った小説かと思い手にした読者は期待を裏切られるだろう。

 園の入所者、ベッドの上にひとつの「かたまり」として存在する「きーちゃん」は、性別、年齢不明。目がみえない。歩行ができない。上肢、下肢ともにまったくうごかない。発語ができない人であるが、かなり自由にものを思うことができる。

 一方、園の職員で表面は明朗快活だった「さとくん」は、後に辞職。「世の中をよくしなければならない」と決心し、行動を起こす。

 叙述はおもに「きーちゃん」の思考に沿っている。「からだのなかを、ざーざーと雨がふった。おおつぶの。にわか雨。 からだのなかの港がかすんだ。(後略)」「舌先はうごかない。チョンと尖らせたり、すぼませたり、スプーンみたいにへこませたりできない。じぶんの口のなかの、ろこつで、海牛のように、無毛で、いやらしく、じとっと濡れた、放肆な、涎だらけの、やくたいもない生きもの。(後略)」というような記述が延々と続く。

 会話も少しはあるが、地の文はほとんど「詩」のような前述のような記述が占める。徹底した非効率の世界。だが、そこに意味がない訳ではない。著者は文体レベルで「しょうがいしゃ」の身体と思考に近づこうとしているのだ。

 後半、「さとくん」は、2007年にフィンランドで起きた銃乱射事件にふれ、こんな発言をする。「ところで、オーヴィネンが殺したのはたったの八人でした。ぼくはもっともっとやります。がんばります。みていてください。(中略)ぼくがやるのは無差別ではありません。まったくちがうんです。テロともちがいます。ぼくは死ぬべき、死んだほうがいい『心失者』だけを、なるたけ苦しまないように死なせてやるつもりです。わるいことをするわけじゃないですから、作戦実行後に、自殺するつもりもありません。(後略)」

 クライマックスで、彼が入所者と一人ひとり対峙しながら犯行に及ぶ場面は、とても引用できないが、作家が最大限想像力を発揮して書いたことは伝わってくる。

罵倒語の洪水

 本作は罵倒語のオンパレードだ。「バカ記者。アホNHK、読んだことないけどクソ朝日」、「共生とかきずなとか地球市民とかいいまくる手のつけられない偽善集団」。口当たりのいい言葉への反感は「さとくん」だけでなく、著者のそれでもあろう。

 東日本大震災で大きな被害を受けた宮城県石巻市は、辺見さんの生まれ故郷だ。震災後、辺見さんの文章はさらに陰翳を深めた。「悲劇にあって人を救うのはうわべの優しさではない。悲劇の本質にみあう、深みを持つ言葉だけだ。それを今も探している」と、ある新聞インタビューに答えている。

 本作はすぐれた文章家が己のすべてを投入した傑作である。

  • 書名
  • 監修・編集・著者名辺見庸 著
  • 出版社名株式会社KADOKAWA
  • 出版年月日2017年10月31日
  • 定価本体1700円+税
  • 判型・ページ数四六判・318ページ
  • ISBN9784041072271

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