今月9日、作家で僧侶の瀬戸内寂聴さんが99歳で亡くなった。30代半ばで文壇デビューし、400を超える作品を執筆した。訃報を受け、寂聴さんの著作に改めて注目が集まっている。
本書『花芯(かしん)』(講談社文庫)は、瀬戸内晴美時代の幻の傑作5編「いろ」「ざくろ」「女子大生・曲愛玲」「聖衣」「花芯」を収録した1冊。
ここでは、著者に「子宮作家」のレッテルが貼られ、以後、長く文壇的沈黙を余儀なくされた表題作「花芯」(1957年)を紹介していく。同作は2016年に映画化された。
「きみという女は、からだじゅうのホックが外れている感じだ――」
親の決めたいいなずけと結婚した園子は、ある日突然、恋を知った。相手は、夫の上司。そして......。
終戦の翌年、園子は数え年20で雨宮と結婚した。園子の父と雨宮の母はイトコどうしで、園子がまだ小学校6年の頃から、雨宮とはいいなずけだった。
女学校4年の夏、最初のキスをした。抵抗して見せると、「私がしんから初心(うぶ)で、恥かしがったもの」と雨宮は「勘ちがい」した。
「雨宮の胸にある園子という一人の少女像は、私にもはっきり目に見えた。しかし、それは、私自身とは全く縁遠い少女だった」
ただ、雨宮をきらいなわけでもなかった。いいなずけということばに軽蔑と反感はいだいていても、雨宮との結婚は「不変の軌道」として受けいれていた。
「人間はどうしてだれも彼も結婚したがり、味気ない嘘でぬりかためた家庭の殻の中にとじこもりたがるのだろう。出来ることなら生涯、独身ですごせないものだろうかと、私は度々空想した」
園子の父が急に倒れたため、その枕元で祝言した。処女でなくなった夜、寝息を立てる雨宮の隣で、園子はこう思った。
「こうして、これからどちらかが死ぬ日まで、私とこの男はひとつふとんの中に眠るのかと思うと、何ともいえない味気なさが喉元にこみあげてきた」
「そのこと」を「機械的に」繰り返し、妊娠した。ひどい難産の末に男児が産まれた。
それにしても、冒頭でふれた「子宮作家」のレッテルはどこからきたのか。どうやら発表当時、「必要以上に『子宮』という言葉が使われている」との批評があったようだ。
「出産のあと、私はセックスの快感がどういうものか識った。(中略)子宮という内臓を震わせ、子宮そのものが押えきれないうめき声をもらす劇甚な感覚であった」
息子が3歳になった春、雨宮の転勤で京都へ移り住んだ。京都で世話をしてくれた上司の越智は、のちに「雨宮と私との、離婚の原因になった男」だった。
越智とはじめて逢った日、「不思議な心騒ぎ」がした。指をふれあってさえいないのに、逢った瞬間から、園子は恋におちていた。
「私ははじめてこれまでの自分が、どれほど孤独で虚しく生きてきたかをさとった。(中略)眠りから覚めていく細胞の一つ一つが、越智への恋でふくらむように思えた」
ここからどこへ向かうのか。読者の想像とは異なるかもしれない。ぞくぞくしながら到達したラスト3行は、1度読めば忘れることはないだろう。
作家の川上弘美さんは解説で、「毀誉褒貶(きよほうへん)の激しかった作品」と書いている。
「必要以上に『子宮』という言葉が使われている」「時流にのったセンセーショナリズム」などと批判され、室生犀星、円地文子、吉行淳之介からの好意的な支持があったにもかかわらず、マスコミの向かい風を受けるようになってしまったという。
「言葉の選択の確かさとセンスのよさによって、濁りのない文章がつむぎだされている。どうして(中略)『子宮作家』などという下品なレッテルを考えついた人間がいたのだか、今となってはただただ首をひねるばかりだ」
寂聴さんは25歳のとき、夫の教え子と恋におち、夫と3歳の娘を置いて出奔した。本作は私小説ではないが、園子に寂聴さんをつい重ねてしまう。そうした生き方に憧れはあっても、そうそうまねできるものではない。女の覚悟と情熱を、ひしひしと感じた。
本書収録の「いろ」「女子大生・曲愛玲」「花芯」は2001年1月に新潮社より刊行された『瀬戸内寂聴全集 壱』を、「ざくろ」「聖衣」は1976年1月に文春文庫より刊行された『花芯』を底本にしている。
■瀬戸内寂聴さんプロフィール
1922年徳島県生まれ。東京女子大学卒。57年「女子大生・曲愛玲」で新潮社同人雑誌賞、61年『田村俊子』で田村俊子賞、63年『夏の終り』で女流文学賞を受賞。73年に平泉・中尊寺で得度、法名・寂聴となる(旧名・晴美)。92年『花に問え』で谷崎潤一郎賞、96年『白道』で芸術選奨文部大臣賞、2001年『場所』で野間文芸賞、11年『風景』で泉鏡花文学賞を受賞。1998年『源氏物語』現代語訳を完訳。2006年文化勲章受章。また、95歳で書き上げた長篇小説『いのち』が大きな話題になった。近著に『愛することば あなたへ』『命あれば』『97歳の悩み相談 17歳の特別教室』『寂聴 九十七歳の遺言』『はい、さようなら。』『悔いなく生きよう』『笑って生ききる』など。
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