最近、珍しく本を読んで胸のつかえが降りる思いがした。エラい人の疑惑を追及、批判するという当たり前のことが過激な行為と受け取られる時代において、本書『偉い人ほどすぐ逃げる』(文藝春秋)のスタンスは揺るがない。このところのモヤモヤした「空気」に対する違和感を以下のように表明する。
「国家を揺るがす問題であっても、また別の問題が浮上してくれば、その前の問題がそのまま放置され、忘れ去られるようになった。どんな悪事にも、いつまでやってんの、という声が必ず向かう。向かう先が、悪事を働いた権力者ではなく、なぜか、追及する側なのだ」
著者の武田砂鉄さんは、出版社勤務を経て、フリーライターに。著書に『コンプレックス文化論』(文藝春秋)、『日本の気配』(晶文社)などがある。幅広いメディアに多数の連載を持つ気鋭の論客だ。
2016年から20年まで、文芸誌「文學界」に連載した時事コラム「時事殺し」から選び抜いて一冊にまとめたものである。このことにちょっとした感慨を覚えた。この時期だから、安倍前政権時代の森友学園問題などが取り上げられている。当時、多くの新聞、雑誌が言及したが、今、「読み返したい」「本にしたい」と思うような記事、論考はどれだけあるだろうか。
「文学」という政治や社会から一歩離れたジャンルの雑誌連載だからこそ、かえって「時事」問題に肉迫するという「逆説」的な事態が起きている、と思った。
2020年3月、「週刊文春」が、森友学園問題で、公文書の改竄を強要され、自ら命を絶った財務省近畿財務局の職員だった赤木俊夫さんの手記を掲載し、森友学園問題が再び議論になると、コロナより森友問題を優先する野党やメディアへの批判が、武田さんにも向けられたという。そこで、こんなツイートをしてみた、と紹介している。
「『コロナそっちのけで、次は森友か』みたいな声が届くが、森友も加計も桜も統計不正も大臣の無責任辞任も辺野古の軟弱地盤隠蔽もコロナの初動ミスも(他にもあれこれ)、国の対応というか作戦が『このまま忘れてもらおう!』なので、忘れなければ『次は』がずっと続く」(2020年3月19日)
この後で、問題発覚から国民が忘れるまでのプロセスが記され、こう書いている。
「この本のもととなる連載には『時事殺し』なんてタイトルがつけられていたが、今や時事問題って、問題点を刺して検証する前に、気づいたら溶けて無くなっているのだ」
だから、「言ったもん勝ち」みたいな悪弊が、政治家にも論者にもはびこる。武田さんが「第1章 偉い人がすぐ逃げる 忘れてもらうための政治」の冒頭、取り上げているのが、2016年の東京都知事選で小池百合子氏が掲げた「満員電車ゼロ」という公約だ。
小池氏が「できないと決めつけてはいけません。そういう本も出ているんです」と帯に推薦文を寄せているのが、阿部等氏の『満員電車がなくなる日』(角川SCC新書)だそうだ。阿部氏は公約化を受けて、「青信号と同時の出発」という方策を新たに提言していた。
列車の多くは青信号が出てから25秒ほど経ってから発車しているが、それは事故防止の安全対策のためだ。東京メトロは16年4月、半蔵門線の九段下駅で、ベビーカーをはさんだまま列車が発車してしまい、ベビーカーが破損するという事故が起きたのを受けて、同年8月、駅の停車時間を延長するという方針を明らかにしていた。完全に小池氏と阿部氏の考えとは逆だ。
小池氏がその後、「満員電車ゼロ」を実現するため、どんな施策を実現したのかは聞いていない。多くの有権者も忘れているだろう。だが、武田氏は多くの本や資料にあたり、利用者に行動の改善を求める行政の姿勢を批判している。
こうして、しつこく物言いをつけるのが、武田氏の真骨頂だ。対象は政治家ばかりではない。「第4章 劣化する言葉 『分断』に逃げる前に」では、「毒舌」で知られるワイドショー司会者が、「目下」の人間にものすごく厳しい姿勢であることにいちゃもんをつけている。
また、「第5章 メディアの無責任 まだ偉いと思っている」では、出版社の社長が作家の初版部数をツイッターに晒しながら訴訟を匂わせたり、売れっ子作家が引用・参照資料を示さずにウィキペディアなどからコピペを繰り返していたり、業界内で名前のある文芸評論家によるセクハラがうやむやになったりしていることを指弾している。
当然、今強行されようとしている東京五輪についても、「第3章 五輪を止める 優先され続けた祭典」で、繰り返し、中止を求めている。さまざまな理由を挙げているが、「やる、やらない、ではなく、それどころではない。これがコロナ以降の五輪への評価に違いない。為政者が五輪開催をゴールに置き続けた結果、何がないがしろにされたか。人間の命や営みである」と書いている
武田氏は、以前の勤務先が国立競技場の近くにあったため、都営アパートを取り壊して、新国立競技場を作ろうと開かれた住民説明会にも、「地域住民」の一人として入り込み、取材するというフットワークの軽さも持っている。
「懲りない連中」に対して、「繰り返されたら、もう一回同じことを書く」と意気盛んだ。こうした行為を「不毛」と思わず、繰り返す膂力が、メディアに求められている。
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