家族が認知症になると、介護する人も大変だが、当人は家族以上に大きな恐れと苦しみを感じているのではないか――。『全員悪人』(CCCメディアハウス)は、作家の村井理子さんが、当事者との対話から、その苦悩を描き出した作品だ。
認知症になってしまった当人には、当然悪気はない。知らないうちに周囲に迷惑をかけてしまい、「なぜ?」と戸惑い苦悩する。そうした経験が度重なると、周囲の人々が「全員悪人」に思えてくる――。本書では、認知症患者と長い時間を過ごした著者が、介護される側の目を通して認知症患者の日々を綴った。
本書の一部を紹介しよう。
「どちらさま? 誰かに似ているようですけれど」
私には居場所がない。知らない女に家に入り込まれ、今までずっと大切に使い、きれいに磨き上げてきたキッチンを牛耳られている。少し前まで、家事は完璧にこなしてきた。なんだってできました。ずっとずっと、お父さんのために、息子のために、なにからなにまで完璧に、私は家のなかを守ってきました。あなたはいつも、お母さんって本当にすごいですね、完璧な仕事ですよと言ってくれた。
あなたに一度聞いてみたことがある。なんなの、毎日代わる代わる家にやってくる例の女たちは? そしたらあなたは、「お母さん、あの人たちは、お父さんとお母さんの生活を支援してくださっている人たちなんです。介護のプロなんですよ」って言ったのだけど、こちらは家事のプロですから。――私は主婦を、もう六十年も立派に勤めてきたのです。
当事者の女性としては、自分は長年家事をこなしているプロという認識なのだから、介護スタッフに不信感を抱くこともあるだろう。
そして、「あとがき」では、村井さんの真摯な思いが綴られている。
老いるとは、想像していたよりもずっと複雑でやるせなく、絶望的な状況だ。そんななかで、過剰に複雑な感情を抱くことなく必要なものごとを手配し、ドライに手続きを重ねていくことが出来るのは私なのだろう。これは家族だからというよりも、人生の先達に対する敬意に近い感情だと考えている。(「あとがき」より)
本書の目次は以下の通りだ。
■プロローグ――陽春
■第一章 あなたは悪人――翌年の爽秋
■第二章 パパゴンは悪人――師走
■第三章 白衣の女は悪人――新春
■第四章 お父さんは悪人――晩冬
■第五章 水道ポリスは悪人――早春
■第六章 魚屋は悪人――初夏
■第七章 私は悪人――盛夏
■第八章 全員悪人――メモ
■エピローグ――晩夏
■あとがき
自覚なく進行していく認知症。周囲の自分への対応や環境が変わっていくことへの戸惑い――。介護者の立場で語られることが多いが、本書を読めば、改めて当事者の苦悩に気づかされる。
【村井理子さんプロフィール】翻訳家/エッセイスト。
1970 年静岡県生まれ。琵琶湖のほとりで、夫、双子の息子、愛犬ハリーとともに暮らしながら、雑誌、ウェブ、新聞などに寄稿。著書に『兄の終い』(CCCメディアハウス)、『村井さんちの生活』(新潮社)、『犬ニモマケズ』『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房)、『村井さんちのぎゅうぎゅう焼き』(KADOKAWA)、『ブッシュ妄言録』(二見書房)ほか。訳書に『エデュケーション』(タラ・ウェストーバー著、早川書房)、『サカナ・レッスン』(キャスリーン・フリン著、CCCメディアハウス)、『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』(キャスリーン・フリン著、きこ書房)、『ゼロからトースターを作ってみた結果』『人間をお休みしてヤギになってみた結果』(共にトーマス・トウェイツ著、新潮社)、『黄金州の殺人鬼』(ミシェル・マクナマラ著、亜紀書房)ほか多数。連載に、『村井さんちの生活』(新潮社「Webでも考える人」)、『犬(きみ)がいるから』(亜紀書房「あき地」)、『犬と本とごはんがあれば 湖畔の読書時間』(集英社「よみタイ」)、『更年期障害だと思ってたら重病だった話』(中央公論「婦人公論.jp」)がある。
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