まさか、そんなことはないだろう、と半信半疑で読み始めた。『交通事故は本当に減っているのか? 「20年間で半減した」成果の真相』(花伝社)。
近年、交通事故は減ったというのが常識になっている。ところが本書は、減っていないというのだ。その実態をデータに基づいて詳細に報告している。帯に「衝撃の事実」とあるが、その通りなので驚いた。
著者の加藤久道さんは1947年生まれ。日動火災海上保険株式会社(現東京海上日動火災保険株式会社)、日本損害保険協会勤務を経て、現在、社会問題評論家、保険評論家として活動中。日本交通法学会会員、日本臨床救急医学会会員、日本賠償科学会会員。
主な著書・論文に『後遺障害の認定と異議申立―むち打ち損傷事案を中心として―』(保険毎日新聞社)、『後遺障害の認定と異議申立―むち打ち損傷事案を中心として―第2集』(保険毎日新聞社) 、「後遺障害の認定と異議申立に関する一考察〈研究ノート〉」(損害保険研究77巻2号)などがある。
損害保険の専門家であり、「交通事故」を損害保険の側から分析する立場だ。
警察庁の統計によれば、2019年の交通事故件数は38万1237件。死者3215人、負傷者46万1775人だという。1999年は事故件数85万371件、死者9012人、負傷者105万399人だったから、この20年ほどで、事故件数は約55%、死者は約64%、負傷者数は約56%、それぞれ減少していることになる。
誰もが認めざるを得ない「警察庁」の統計――ところが加藤さんは、死者数の減少については同意するが、負傷者数の減少には疑問を呈する。その根拠としているのが「自賠責統計」だ。
冒頭、加藤さんは「交通事故と保険」について注記している。自動車には、自賠責保険の加入が義務付けられている。支払われるのは、他人を死傷させるなどの人身事故による損害賠償の場合で、物損は対象ではない。
保険請求があった場合、金額の認定は、「損害保険料率算出機構」(損保料率機構)が担当する。その調査に基づいて保険金が支払われる。
ほぼすべての自動車に自賠責が付与されている。したがって、自動車による人身損害事故が起きたときは、ほとんどの場合、自賠責保険の支払いがある。自賠責保険の支払い件数は、損保料率機構が毎年公表している。保険が下りるまでに多少の時間がかかるケースがあるので、警察庁の交通事故統計とぴったり一致するわけはないが、近似値にあると考えられる。
自賠責統計の1999年の死亡件数は9413件、2018年は3542件。確かに交通事故の死者は大幅に減っている。警察庁の統計とほぼ同じ数字と傾向だ。
ところが傷害件数は1999年が109万3628件で、2018年は109万7004件。こちらは減っていない。警察庁の統計と大きく食い違う。
加藤さんは、二つの統計の乖離率を暦年で調べている。07年ごろから乖離が目立つようになり、その後も年々広がった。自賠責支払い件数を1とした場合、警察庁の18年の傷害者数は0.48になっている。同じ事柄についての統計とは言えないほどの大差だ。
なぜこういうことが起きているのか。加藤さんが指摘するのは「隠れ人身事故」だ。年間57万件ほどの「隠れ人身事故」が発生していると推定する。もはや「隠れ」とは言えない数字だ。
いくつかの理由が挙げられている。人身事故を起こした交通事故の加害者は、刑事・行政上の処分を受ける可能性がある。加害者には処分を免れたいという心情が働く。人身事故にするか、物損事故にするかは、必ずしも警察の判断ではなく、当事者の意向にゆだねられる場合があり、比較的軽症の場合は、当事者の申し出により物損扱いにすることがありえるという。
では「人身事故」が対象の自賠責からなぜ「隠れ人身事故」に保険が下りるのか。
本書によれば、損保料率機構は、「人身事故として警察に届出がなされなかったものであっても、実際に負傷が確認された場合には支払うことが必要であり、近年、このような支払いが増加している」ことを認めている。
加藤さんは、自賠責保険に関する公的な会議、「自動車損害賠償責任保険審議会」(自賠審)の議事録を丹念に洗い直している。その詳細が本書に再録されているが、傷害件数が警察庁と自賠責で大きく異なっているという問題は、年一回のこの審議会で近年、毎回のように取り上げられていることがわかる。実のところ「隠れ人身事故」が多数あることは関係者の共通認識になっているのだ。
審議会で特にこの問題を熱心に繰り返し取り上げているのは、日本医師会の委員だ。というのも、「むち打ち」などの場合、柔道整復師による「医療類似行為」の証明でも自賠責から保険金が下りているからだ。その額は年間600億円を超えているのだという。本来は医師が受け持つ「医療行為」が、医師ではない人によって行われ、その行為に関して保険金が下りていることは、医師会として看過できないというわけだ。
加藤さんは自賠審に出席している関係省庁や団体に、統計のゆがみなどについて質問状を送り、疑問点をただしている。残念ながら警察庁、金融庁、国交省、損保協会、損保料率機構はいずれも「取材はお受けしかねる」という回答だった。
交通事故という国民的な問題に関する統計が、いわばダブルスタンダードになっている。警察庁のデータと、自賠責に基づくデータがこれほどまでにかけ離れているにもかかわらず、放置され続けているというのは異常としか言いようがない。警察の数字で死傷者が減っているのなら、自賠責の料金は大幅に下げられて当然だが、どうなっているのか。損保料率機構の統計では負傷者数が横ばいだから下がらないのか。
加藤さんはジャーナリストではないので、本件の背景や裏事情についてはとくに言及していない。「交通事故統計における負傷者数が実態と大きく異なっていることに関して、その責任の所在を追及する意図はない。ただ、なぜ現在の状況に至ったのか、その原因を探り、正しい方策に進む道を明瞭にする必要がある」と記すにとどめている。
なぜこういうことがいつの間にか広がったのか――。アメリカでは、自動車事故の保険申請を巡って詐欺事件がたびたび摘発されているそうだ。
本書は一般にはほとんど知られていない「交通事故統計のズレ」を公にした。ここから先は、国会や大手マスコミが取り上げ、解明する必要があるのではないかと感じた。
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