石に刻まれた羅漢像569体が、苔むす境内にずらりと並ぶ様は圧巻だ。東日本大震災で被災した岩手県陸前高田市の普門寺では、震災後、身元不明の多くの遺骨を預かり、宗派を超えた各地の寺社とともに供養をしてきた。2013年から、遺族やボランティアが石像500体をつくるプロジェクトが行われてきた。本書『東日本大震災 陸前高田 五百羅漢の記録』(星和書店)は、5年にわたったプロジェクトの軌跡を綴った本である。
五百羅漢像プロジェクトを呼びかけた佐藤文子さんは、心理学博士として2012年に陸前高田市の教育委員会に赴任。芸術療法によって震災後のグリーフ(悲しみ・悲嘆)ケアを行おうと考えた。普門寺に出入りするうちに熊谷光洋住職と話し合い、羅漢像の制作を通して「犠牲者への鎮魂と祈り」と「制作者の心の癒し」を実現しようというプロジェクトが生まれた。
2013年から5年間で約500人が参加し、569体の羅漢像をつくった。本書には家族や知人を亡くした参加者の言葉が数多く収められている。
「ただただ無心になって石を打ち続けました。ようやく出来上がった時、はっと驚き、同時に涙がこみ上げてきました。そこには、遺体安置所で見た、苦しい表情をした最後の父の顔が浮かび上がっていたのです。私は講師の先生を呼んでそのことを打ち明けました。先生は『つらかったですね。少し口元を緩めてあげましょうね』と優しく言って下さり、直してくださいました。先生のおかげで微笑んだ表情になり、気持ちがすーっと楽になったことが忘れられません」(阿部裕美さん)
阿部さんは震災で両親を亡くした。翌年は、笑顔が似合う母を意識して石を打ち、父の石に寄り添うように並べた。両親の身元が判明するまで、二人が遺骨となってからしばらくお世話になっていた普門寺で、このようなことが出来たことに心から感謝しているという。
「二年で姉たち家族の羅漢さん三体を造りました。無心に石を彫るのは、とても貴重な時間でした。三体完成の頃は自分でも不思議なくらい気持ちが前向きになっていました。今は、毎年一度は三人に会いに行くのが大切な時間になっています」(坂口幸嘉子さん)
プロジェクトには、遺族だけでなく、被災地に心を寄せる一般参加者も多かった。千葉県我孫子市から夫婦で参加した手塚哲さんは4年間で8体彫った。翌年から同行する人も増え、仲間と合わせると20羅漢を超えるという。
「本来は、被災者やその縁者の心の傷をいやすための羅漢制作なのだろうが、われわれも震災で受けたショックは大きく、石に向かっていると気持ちが落ち着いた」
奥さんは今も自宅で小さな石を彫り続けているという。
本書には参加者の中から56人の手記が寄せられている。悲しみをいやすというグリーフケアの効果はあったのか? 「同じ痛みを持った参加者との交流や創造的な作業を通して気持ちを分かち合い未来への希望を持つことができた」と60%以上の人が回答している。
また、「抵抗感のある石(素材)を媒体として、心の中にある言語化が難しい悲しみや怒りを石にぶつけ発露(表現)することが出来た」という回答も少なくなかった。
本書には、手記のほかに多くの写真も収められている。口絵のカラー写真に息をのんだ。草や苔の中に置かれたたくさんの羅漢像は穏やかな表情を浮かべたものが多いが、中には口を大きく開けて、何か叫んでいるように見えるものもある。形も表情も異なる羅漢像の群れは、津波で亡くなった人々の姿に重なって感じられた。
プロジェクトには、各地の美術関係者も多く加わった。彫刻家で宮城教育大学教授の虎尾裕さんは、こう書いている。
「この5年間を通じて、およそ500人以上の参加者は、各々、石に何か想い想いの姿を、羅漢さんとして現わすことで、願いを託して喜びを感じることができたのかもしれません。高田の普門寺の境内で、ひっそりと佇み、その姿に、そっと込められた魂が、お互いに寄り添って並び、微笑んでいるようです。夜な夜な賑やかにおしゃべりしているかもしれません。それは、なぜだか、慰霊や鎮魂という言葉とは、ちょっと異なる感覚なのかもしれません。不思議と清々しく爽やかなものを感じさせていただいた5年間でした」
アメリカ・サンフランシスコで開かれた米国心理学会で佐藤さんの発表を見て、このプロジェクトを知った久留米大学教授の津田彰さんは、「今回のこのプロジェクトは個人レベルの次元を超えて、地域集団の大勢の人に広く影響を及ぼすことができたという点でハイインパクトであり画期的と考えます。被災地での個別カウンセリングでは、カウンセラーは出会った人しか支援できませんが、参加者ひとりひとりが自ら主体的に活動に参加することでセルフケアを学んでいけた点からもとても対費用効果のある支援的介入となっています」と高く評価するメッセージを寄せている。本書には2018年のこのポスター発表の英文も収められている。
奥さんを津波で亡くした陸前高田市の戸羽太市長も、このプロジェクトに参加した一人だ。羅漢が一体、また一体と増えていく中で、その光景はとても温かい雰囲気を醸し出すようになり、今では陸前高田市の「観光名所」にもなっているという。
羅漢さんは、いつまでも震災の記憶を無言で語り続けることだろう。
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