「名作の陰に炎上あり!」――。もしこんな国語の教科書があったら、俄然興味を持って勉強しただろうと思う。
山口謠司さんの著書『炎上案件 明治/大正 ドロドロ文豪史』(集英社インターナショナル 発行、集英社 発売)は、「炎上文豪オールスター大集結!」の一冊である。
教科書には載せられない、文豪たちの「炎上案件」の数々。これを読めば、文学が一段と面白く感じられるだろう。
本書は20個の「炎上案件」を紹介している。「炎上」「ドロドロ」ぶりは想像以上だ。文豪たちが主人公になった作品を読んでいるかのようである。
■目次
太宰治の「憤怒」/島村抱月と松井須磨子の「逢う」/国木田独歩の「恋」/ 田山花袋と永代美知代の「噂」/与謝野晶子の「晦渋(かいじゅう)」/有島武郎の「希う」/鈴木三重吉の「腐れ縁」/紅吉へのらいてうの「赦し」/漱石の長女と久米正雄の「機(おり)」/ 北原白秋の「謬(あやま)る」/石川啄木の「成心」/川端康成の「眠り」/森鴎外の「瑕瑾(かきん)」/夏目家の「贅沢」/三島由紀夫の「誇示」/伊藤整の「猥褻(わいせつ)」/永井荷風の「累」/徳冨蘆花の「絶交」/山田美妙の「窃(ひそ)かに」/島崎藤村の「別離」
本書は、文豪たちが使った言葉をひもときながら、「その言葉を使わざるをえなくなった彼らの人生の一時期」にスポットを当てている。難しい言葉が並ぶが、それぞれのエピソードを一言で言い換えると、恨み、整形、フェチ、DV、不倫、毒親などとなる。
「理想と現実のギャップ、矛盾」というものは、どれほど才能に溢れる人物でも感じるようだ。「文豪たちは、そうしたものを重く感じながら原稿用紙の升目を埋めていったのではないか」と、山口さんは推察する。
「文豪たちは苦しみ、悶え、文章を綴りながら彼ら自身の本質を露わにする。ドロドロにならざるをえなかった文豪たちの知られざる一面を読みとって頂ければ幸いである」
ここでは、「紅吉へのらいてうの『赦し』――カミングアウトした同性愛」を紹介しよう。
「ゆるす」という言葉は「許す」と「赦す」で意味が変わる。ここで使われている「赦」は、「何か『禁じられた』ことがあって、その『禁』を緩めることによって、人を赦すこと」を表すという。
女性解放運動家の平塚らいてう(1886~1971)は、『青鞜』の創刊(1911)から一周年を迎える頃、「互いに強く惹かれあった女性と同性愛の関係」にあった。相手は、文筆家、画家の尾竹紅吉(読み・こうきち、本名・一枝、1893~1966)である。
「紅吉は、らいてうをひと目見て、『何人よりも私はこの人を愛するようになるのではなかろうか』と『身体が震えていたのがわかって怖いほどだった』と後に記している。そして、らいてうの方も『(中略)可愛らしい少年のような』紅吉を見て、『不思議』の感に囚われたという」
この運命の出会いから三か月後、二人は忘れられない一夜をともにする。その時の感動を、それぞれ書き残している。どこまでも燃え上がるかと思われたが、紅吉が結核と診断され入院した頃から、関係は崩れていった。
「――御赦し下さい。なおったら、なおったら、一生懸命になって勉強します、私の勉強があなたへの送り物なのです」(尾竹紅吉、平塚らいてう宛手紙)
この「御赦し下さい」は、何に対して赦しを乞うものだったのか。
日本では、同性愛は江戸時代まで当たり前に行われていたが、明治の近代化とともに「赦されないこと」になったという。つまり「時代が同性愛を許さなかった」のであり、「紅吉は、らいてうにではなく、世間に対して『赦し』を乞わなければならなかった」と、山口さんは見ている。
このほか、松井須磨子「劇作家との愛を演じ切った女優の縊死」、北原白秋「隣家の人妻との道ならぬ関係」、三島由紀夫「ひた隠しにした出自のコンプレックス」など、どこを読んでも面白い。「炎上案件」という切り口から見ると、文豪も生身の人間だったのだなと、途端に親近感が湧いてくる。
BOOKウォッチでは、山口さんの『文豪たちのずるい謝罪文』、『文豪のすごい言葉づかい辞典』(ともに宝島社)を紹介済み。
■山口謠司さんプロフィール
1963年長崎県生まれ。大東文化大学文学部中国文学科教授。中国山東大学客員教授。博士(中国学)。大東文化大学文学部卒業後、同大学院、フランス国立高等研究院人文科学研究所大学院に学ぶ。ケンブリッジ大学東洋学部共同研究員などを経て、現職。専門は、文献学、書誌学、日本語史など。著作多数。『日本語を作った男 上田万年とその時代』(集英社インターナショナル 発行、集英社 発売)で第29回和辻哲郎文化賞受賞。
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