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マンガオタクが諜報戦に?! 手嶋龍一の一級スパイ・エンタテインメント

鳴かずのカッコウ

 どんな分野であれ「プロになる」のは大変なことだ。本人の努力と覚悟だけでは足りない。「その道のプロになるとはどういうことか」を教え示す上司・先輩の存在や、実践的な教育訓練システムがあって人は初めてプロと呼ばれる存在になれる。いや「プロと呼ばれる」という言い方は正確ではないだろう。プロの中には時に自らの正体を偽り、人知れず、我が国の安全保障や社会の安寧を守ろうと戦っている人たちがいるからだ。

 作家・外交ジャーナリストの手嶋龍一氏が11年ぶりに書き下ろした新作小説『鳴かずのカッコウ』は、そんな一般人にはうかがい知れないプロの世界に飛び込んだ脱力系のマンガオタク青年の奮闘と成長を通して、我が国を舞台とする国際諜報戦争を描いた一級のスパイ・エンタテインメントだ。

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画像は、『鳴かずのカッコウ』(小学館)の表紙

「私、こういう者です」と言えない職業


 主人公・梶壮太は「国家公務員は安定している」という理由から、大学を卒業後、地元採用の一般職として公安調査庁に入庁する。神戸公安調査事務所に配属された壮太を待っていたのは、国際的なテロ組織や有害な外国勢力の国内への浸透を監視する国際テロ班のインテリジェントオフィサー、すなわち諜報活動を担当する公安調査官の仕事だった。

 壮太は初対面の相手に所属や身分を明かせない自身の仕事と立場にがく然としてしまう。上司も壮太の将来に不安を感じる。何しろこれだけ覇気が無い新人は珍しい。しかし壮太には資料を粘り強く読み解き、鍵となる情報(インテリジェンス)を見つけ出す卓越した能力があった。この脱力系の若者は、一度目にした光景を鮮明に記憶できる特殊能力「フォトグラフィックメモリー」の持ち主だったのだ。

 調査官となって6年目、壮太はジョギングの最中、記憶にある企業がマンションの建築主になっているのを見つける。その企業は船主と荷主を仲介する老舗のシップブローカーで、北朝鮮の貨物船がパナマで武器密輸事件を起こした際、北のフロント企業の疑いがかかったのだった。

 調査を進めると、同社は起死回生の商談を巡るトラブルに巻き込まれて以来、外国人の幹部に経営の実権を握られているという。壮太は意表を突く手段で関係者に接触する。果たして、同社の背後に広がる深い闇の中では国際諜報戦争が繰り広げられていた──。

日常と薄皮一枚隔てた「向こう側」の現実


 ネタバレとなってしまうので、あらすじを紹介するのはここまでにしておこう。この先、物語は思いもかけない展開を見せ、読者を諜報戦の現場へと誘っていく。タイトル『鳴かずのカッコウ』に込めた著者の意図も明らかになる。ぜひ本書を紐解いていただければと思う。しかも本書の魅力は息もつかせぬストーリーだけではない。情報源への密着取材無しには得られないインテリジェンスが全編にわたってちりばめられているのだ。

 壮太たちの諜報活動はその一つだ。公安調査庁は「三無官庁」だと言う。防衛省の情報機関に比べてヒトにもカネにも乏しく、警察のような捜査・逮捕権も無く、もとより武器も携行できないからだ。そんな壮太たちが強いられる、いわば貧者の闘いがディテールも含めて克明に描かれる。

 一方で、著者の繊細な筆致によって、舞台となる街々の穏やかな日常や季節の移ろいが要所に挿入される。六甲の山麓に抱かれた住吉山手の豊かで落ち着いた生活、里山の紅葉が美しい晩秋の西宮名塩(西宮市)の風景......。これらの描写は諜報活動の苛烈さを際立たせるとともに、私たちのごく当たり前の日常と薄皮一枚隔てた向こう側で、各国がエゴをむき出しにして諜報戦を繰り広げている現実を、恐ろしいほどのリアリティーをもって浮き彫りにする。

 この対比からは「私たちの当たり前な日常を守るためにも、インテリジェンスに長けたプロの国を挙げての育成と強化が必要ではないか」という著者の問題意識が垣間見える。著者は2001年9月11日、NHKワシントン支局長としてアメリカ同時多発テロに遭遇し、現地から11日間の連続中継を担当した。最悪テロの兆候を示す情報はいくつもあったと言われる。アメリカのインテリジェンスオフィサーたちがそれらを読み解き、政府がきちんと手を打てていたら、歴史は異なっていたかもしれないのだ。

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写真は、著者の手嶋龍一さん

 ところで、リアリティーと言えば、壮太がジョギングする海沿いの道や小高い丘の風景も真に迫っていて、ジョギングを愛好する私としてはぜひ同じコースを走ってみたい誘惑にかられてしまった。著者はそれらの情報をどのようにして仕入れたのだろう? 実際に走られたのだろうか? いや、まさかね......。

 評者:渋谷和宏(しぶや・かずひろ)

 ジャーナリスト、作家、元「日経ビジネスアソシエ」編集長


※画像提供:小学館

 
  • 書名 鳴かずのカッコウ
  • 監修・編集・著者名手嶋龍一 著
  • 出版社名小学館
  • 出版年月日2021年2月25日
  • 定価本体1,700円+税 
  • 判型・ページ数四六判・304ページ 
  • ISBN9784093866033

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