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スマホには「麻薬」が仕組まれている!

「許せない」がやめられない

 ネットは些細なことで炎上する。特に誰かの発言や行為を批判するときに勢いを増す。本書『「許せない」がやめられない―― SNSで蔓延する「#怒りの快楽」依存症』(徳間書店)はその根源を冷静に分析している。類書は多いが、本書は「ジェンダー」をキーワードにしているところが新しい。なかなか刺激的な論考だと感じた。

上野千鶴子さんのゼミに在籍

 著者の坂爪真吾さんは1981年生まれ。東京大学文学部卒。著者経歴によると、2008年、「障害者の性」問題を解決するための非営利組織・ホワイトハンズを設立。新しい「性の公共」を作る、という理念の下、重度身体障がい者に対する射精介助サービス、風俗店で働く女性の無料生活・法律相談事業「風テラス」など、社会的な切り口で現代の性問題の解決に取り組んでいるという。

 著書に『セックス・ヘルパーの尋常ならざる情熱』『男子の貞操 僕らの性は、僕らが語る』『はじめての不倫学』『セックスと障害者』『孤独とセックス』『「身体を売る彼女たち」の事情 自立と依存の性風俗』『未来のセックス年表2019-2050』などがある。BOOKウォッチでは著書『性風俗シングルマザー 地方都市における女性と子どもの貧困』を紹介済みだ。

 この経歴からもおおよそわかるが、坂爪さんはもう15年ほど、風俗の現場で働く女性と毎日のようにメールやLINEでやり取りし、毎月のように各地のデリヘル事務所や待機部屋、託児所に出入りしている。

 東大時代はフェミニズム研究で有名な上野千鶴子さんのゼミに在籍したが、自身はフェミニストではないとも書いている。

「セックスワーカーへの差別だ」と炎上

 本書では、その上野さんの発言に対するバッシングの例を取り上げている。2019年11月20日、朝日新聞社が運営するウェブメディアで上野さんが、「私がセックスワークや少女売春になぜ賛成できないかというと、『そのセックス、やってて楽しいの?あなたにとって何なの?』って思っちゃうからなのよ」「自分の肉体と精神をどぶに捨てるようなことはしないほうがいいと思う」と発言したところ、「セックスワーカーへの差別だ」「侮辱だ」とみなされて炎上したのだという。

 この批判について、坂爪さんは「強い違和感」を覚えたという。一つには「セックスワーカー」という言葉。これは主に研究者や活動家、支援者らによって用いられているものであり、現場ではほとんど聞かない言葉だという。この「上野批判者」たちについては、心当たりがあるらしく、「そもそも現場にいない人達」だという。彼らが「現場の当事者が使っていない言葉を用いて勝手に当事者の代弁をして、当事者にとっての敵ではなく自分たちにとっての敵を成敗する」という構図になっていると見る。

 ネットでは、性別や性自認、性的指向やジェンダー表現に関する議論を繰り返す中で、自分と意見や立場の異なる特定の他者や集団に対して怒りを燃やすことをやめられなくなる人がいる。坂爪さんは「ジェンダー依存」と呼んでいる。

炎上は大きなカタルシス

 本書の冒頭で坂爪さんは、スマホには「怒り」という「麻薬」が仕組まれていると語っている。スマホを開けば常に怒りの対象が見つかる。「怒り」を炎上させることができれば大きなカタルシス(感情浄化)になる。「怒り」を常用していると、中毒にもなる。

 「怒り」の手段としてもっとも頻繁に利用されるのが「ジェンダー」だという。一般的には「性別に関する社会的規範と性差」という意味合いで使われることが多い。本書はその「ジェンダー」を基軸に置いて、以下の構成になっている。

 第一章 女が許せない・・・現代社会は女尊男卑社会である、など。
 第二章 男が許せない・・・ハラスメントとしてのフェミニズム、など。
 第三章 LGBTが許せない・・・性的マイノリティの怒りの背景にあるもの、など。
 第四章 性表現(規制)が許せない・・・反女性差別派と表現の自由派の闘い、など。
 第五章 ジェンダー依存がやめられない・・・セックスワーク・スタディーズという病、など。
 終章 「無限刃」から「逆刃刀」へ・・・新型コロナと「怒りの火事場泥棒」、など。

 この目次からもわかるように、坂爪さんは、「ジェンダー」をリトマス試験紙にして過剰になりがちな「怒り」を精査、色分けしている。

「セクソダス」って、何のこと?

 第一章では、「現代社会は女尊男卑」になっていると受け止めている男たちにスポットを当てている。いくつかの新しい用語が登場する。

 ・ミソジニスト・・・女性嫌悪や蔑視に基づく言動をする人
 ・インセル・・・自分の容姿に強いコンプレックスを抱いている異性愛者の男性
 ・ミグタウ・・・男性としての社会的役割から降りた生活を送ろうとする男たち
 ・マスキャベリズム・・・男性差別の撤廃を目指す思想や運動

 概ねカタカナということは外来語であり、すでに欧米でこういう研究が進んでいるということなのだろう。女性との関係を断ち、「フェミニズムによって汚染された社会」から脱出することは「セクソダス」というそうだ。

 フェミニズムは欧米で先行したが、日本でも1970年代のウーマンリブあたりから本格的に始まる。86年に男女雇用機会均等法、99年には男女共同参画社会基本法。2000年にはストーカー規制法、01年にはDV防止法。こうした女性の権利向上を法制度的にも保証する社会の動きに対し、保守派からの反動、反発もくすぶっている。いわば20世紀後半に登場した全世界を揺るがすパラダイム変化--「人権」「弱者」「リベラリズム」などもその渦に巻き込まれているのが現状だろう。

 日本では戦前まではモーレツな男尊女卑。日本の男性は長年、女性よりも一段上に扱われ気持ちがよかった。加えて韓国を併合し、中国には満州国のほか多数の傀儡政権を作って、近隣民族より上等だという意識も染みついていた。時代が変わっても、そのDNAは簡単には消えない。

 BOOKウォッチで紹介した『日本の天井』(株式会社KADOKAWA)には、男女雇用機会均等法成立の立役者になる赤松良子・労働省婦人少年局長が、事前の根回しで経団連会長の稲山嘉寛氏を訪ねて法案への理解を求めた時のエピソードが出てくる。稲山氏は赤松さんに、「女性に参政権など持たせるから歯止めがなくなって、いけませんなあ」と言ったという。これは1980年代半ばのことだ。

8年間の誹謗中傷を体験

 坂爪さん自身も、ネットに溢れる「怒り」の被害者だった。8年間にわたって自身に対する誹謗中傷が繰り返されたため相手を特定し訴訟した。結果的に被告は莫大な弁護士費用と和解金を支払う羽目になったという。この8年間で、1年間だけは誹謗中傷がない時期があった。被告のSNSの内容から、その時期には被告に恋人がいたことが分かっている。

 坂爪さんは、怒りで我を忘れる「ジェンダー依存」の状態は、「セックス依存」と似た状態だと指摘している。炎上効果によるカタルシスで、セックスにおける発情やオーガズムに近い興奮が得られるからだ。「炎上そのものがセックスの代償行為になっており、そこから生み出される快楽から抜け出せなくなった状態がジェンダー依存」と考えることができるとも書いている。確かに、本書の「第一章 女が許せない」に登場する男性などには当てはまりそうだ。フロイトの「リビドー」なども思い出す。もともと興奮しやすい気質の人が、「ジェンダー」という触媒で脊髄反射を起こし、ネットで怒りを暴発させる、ということだろうか。

 評者はかつて、「誰かのためにいいことをしている」人は、必ずしも「誰かのため」を思っているのではなく、「いいことをしている自分」が好きなだけ、というクールな指摘をどこかで読んだ記憶がある。何かと怒りを燃やしやすい人たちにも、似たような傾向があるのかもしれないと思ったりもした。

怒りを昇華させる大切さ

 コロナ禍で2020年3月に厚労省が発表した支援金は当初、風俗営業等関係者が対象外だった。坂爪さんは「風俗営業等関係者を不支給要件の対象から外してほしい」というオンライン署名キャンペーンを行い、一日足らずで6300人以上の署名を集めた。このキャンペーンを通じ、坂爪さんは「許せない」という怒りを「国に対する声」として昇華させることの大切さを実感したという。

 坂爪さんは大学でフェミニズムの表裏を学んだ上で、「現場」で実態に関わり、国に対する公的な要望のキャンペーンも主導してきた。自身で裁判の原告も経験している。本書には、いわば著者の長年の多重的な経験が凝縮されており、「ジェンダー」を軸に、現代における「怒り」の根源を社会学的に分析しようとする姿勢は新鮮だ。

 「ネット炎上」についての従来の分析では、ネットが匿名社会だとか、個人が気軽に意見を発信できるようになったとか、特異な人物が多数回ネットにコメントを書き込むことで、多くの賛同者がいるように見せかけているとか、ネットという新しいメディア=ツールの特性が、新たな社会現象を生んでいるというものが目に付く。本書は20世紀後半からのフェミニズムの全世界的な広がりと、それに呼応した「ジェンダー」重視という社会の構造変化に注目し、そのことで勢いづく人々と、ストレスを感じている人々が「炎上」の主たるプレーヤーであるとみなしている。加えて「怒りの炎上」は「カタルシス」と直結しており、性的快感と同じような側面もあるので、「依存症」になりがちだという指摘は、精神分析的にも興味深い。今後さらに深めてもらいたい研究だと思った。

 BOOKウォッチでは関連で、『歪んだ正義――「普通の人」がなぜ過激化するのか』(毎日新聞出版)、『サイト別 ネット中傷・炎上対応マニュアル 第3版』(弘文堂)、『インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル(第3版)』(中央経済社)なども紹介している。『ネット右翼とは何か 』(青弓社ライブラリー)には「ネット右翼とフェミニズム」の論考がある。



 


  • 書名 「許せない」がやめられない
  • サブタイトルSNSで蔓延する「#怒りの快楽」依存症
  • 監修・編集・著者名坂爪真吾 著
  • 出版社名徳間書店
  • 出版年月日2020年7月 1日
  • 定価本体1700円+税
  • 判型・ページ数四六判・312ページ
  • ISBN9784198651114
 

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