「ガラスの天井」という言葉を聞くようになって久しい。著者の石井妙子さんによれば、英語では「GLASS CEILING」というそうだ。1980年ごろから欧米で使われるようになった。女性に能力や経験があって、ふさわしい立場や地位を求めても社会が登用を阻む。そうした見えない天井の訳語が「カラスの天井」だ。本書『日本の天井――時代を変えた「第一号」の女たち』(株式会社KADOKAWA)は、この天井を突き破った先駆的女性の物語だ。
実際のところ、日本ではガラスどころか、鉄か鉛でできた天井があった。男女不平等、男尊女卑。女権拡張のために闘った女性は少なくないが、戦争に負けるまで、「男社会」が続いてきた。
では、敗戦で新憲法になり、一気に事情が変わったかというと、そう簡単ではなかった。本書に登場する女性たちは、形の上で男女平等になっても、依然として男女差別が歴然としていた戦後の日本で、天井に挑んできた人たちだ。
最初に登場するのは高島屋の取締役だった石原一子さん。一部上場企業で初の女性重役として戦後のビジネス史に燦然と輝く。
1924年、旧満州生まれ。最初に「男女差別」に気づいたのは女学校に通っていたころだった。たまたま男子中学生の使う教科書を見てびっくりした。女学校用とはレベルが全く違うのだ。当時は小学校を終えると、優秀な男子は旧制中学、女子は女学校に進んだが、違っているのは行先だけではなかったと知った。
ハルピンの女学校を卒業した石原さんはまず東京女子大に入る。そして戦後、改めて一橋大学に初の女子学生として入学した。引き揚げてきた両親は戦争ですべての財産を失っており、石原さんの生活も苦しかった。夏冬を通じて持っているスカートは一枚だけという「着たきり雀」だった。最近の帰国子女とは大違い。一橋大では今や全学生の3割近くが女子だというが、「第一号」の大先輩の話は異次元だろう。
もちろん石原さんは就職でも、そして実際に高島屋に入ってからも、苦労したわけだが、もう一人、本書に登場する赤松良子さんを紹介しよう。
1929年生まれ、津田塾大を経て東大法学部卒。同級生の女子はこちらもたった4人。民間企業はどこも女子学生を採用してくれないので国家公務員を目指したが、ここも採用は男女平等ではなかった。「女性を入れてくれるのは労働省しかなかったのよ」。労働課長、総理府婦人問題担当室長などを歴任し、婦人少年局長に。1985年の男女雇用機会均等法成立の立役者になる。女性差別で苦労した当事者が、その解消を目指した法律作りを果たすことになった。
ところがすんなりとはいかなかった。日経連は反対の表明。赤松さんは経団連会長の稲山嘉寛氏を訪ねて説明したが、「女性に参政権など持たせるから歯止めがなくなって、いけませんなあ」。さらに赤松さんが女性の能力、貢献を説明すると、稲山氏はこう続けたそうだ。「確かにちゃんと仕事をする女性はいる。私の前の秘書もよくやってくれた。だから、彼女には、良い後妻の口を紹介してやりました」。
後で知ったことだが、稲山氏は赤松さんとの面談後に総理に電話、「雇用均等法は良くない」と伝えたという。こと時すでに戦後40年がたっていたのだが、赤松さんが打ち破ろうとした「天井」がいかに手ごわかったか、女性官僚として法案成立にどれほど苦労したか、よくわかるエピソードだ。
本書ではこのほか、登山家でエベレスト登頂を成し遂げた田部井淳子さん、『ベルサイユのばら』で歴史漫画を女性で初めて成功させた池田理代子さん、NHKアナウンサーで女性初のアナウンス室長になり、定年まで勤め上げた山根基世さん、囲碁界で女性初の高段者となった棋士杉内壽子さん、女性初の真打となった、落語家の三遊亭歌る多さんが登場する。
山根さんはNHKの面接で「結婚はどうするんですか」と聞かれ、「できればしたいと思います」と答えた。すると、「仕事はどうするんですか」と聞かれ、「続けます」と答える。「いつまで」と聞かれたので「定年まで」と答えると、どっと笑いが起こったという。もちろん面接官は全員男性。女性のアナウンサーが結婚して仕事を続け、しかも定年までやるということが、全く想像外だったのだ。
今日まだまだ様々な男女差別や格差が報じられているが、つい最近まで、分厚い「天井」があったことがよくわかる。
著者の石井さんは1969年生まれのノンフィクション作家。新潮ドキュメント賞、編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞など受賞。本欄では『原節子の真実』(新潮文庫)を紹介済みだ。
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