新型コロナウイルスの影響で公開延期となっていた映画「小説の神様――君としか描けない物語」が、いよいよ明日(10月2日)公開される。原作は、2016年に刊行された相沢沙呼(あいざわ さこ)さんの本書『小説の神様』(講談社タイガ)。「読書家たちの心を震わせる青春小説」として絶大な支持を受けた作品だ。
作家はなぜ小説を書くのか? 読者はなぜ小説を読むのか? 売れない高校生作家と売れっ子高校生作家。一見、性格も立場も相反する二人が吠え、睨み合う。
本書は、一冊の本が出来上がるまでの作家の苦悩から、出来上がった作品に対する世間の反応、売上部数までを、売れない作家の視点から痛烈に描き出している。一つの作品には、読者が読むための物語と、決して読者が読むことのない作家自身の物語、その二つがあることがわかる。
相沢沙呼さんは、1983年埼玉県生まれ。2009年『午前零時のサンドリヨン』で第19回鮎川哲也賞を受賞し、デビュー。本書『小説の神様』は『小説の神様――あなたを読む物語上・下』(ともに2018年)、『小説の神様――わたしたちの物語 小説の神様アンソロジー』(2020年)とシリーズ化。さらに、手名町紗帆さんにより漫画化もされている。
相沢さんのお名前を近頃よく見かけるなと思ったら、2019年に刊行された『medium 霊媒探偵城塚翡翠』が「第20回本格ミステリ大賞」、『このミステリーがすごい!』2020年版国内編第1位、「本格ミステリ・ベスト10」2020年版国内ランキング第1位、「SRの会ミステリベスト10」第1位、「2019年ベストブック」を獲得。「2020年本屋大賞」と「第41回吉川英治文学新人賞」にもノミネートされたという。
売れない高校生作家と売れっ子高校生作家。対極にある二人のキャラクター描写はこんな感じだ。
■千谷一也(ちたに いちや)
「僕はたぶん、小説の主人公には、なり得ない人間だ。なにも進展しないままのろのろと流れていく窮屈な日常に、きっと読み手は欠伸を噛み殺し、ページを捲る手を止めて、本を投げ出してしまうだろう。僕はそんな、空っぽの人間なのだった」
一也は中学二年生のとき、一般文芸のそれなりに名のある新人賞でデビューした。千谷一夜と名乗る、一切の素性が不明な覆面作家だ。「たかだか中学生の小僧」が小説家になって三年が経とうとしているが、現在は「ぜんぜん売れない作家」になっていた。
「明らかな駄作。読んだ時間を返してほしい」「星一つ。ゴミの日に出しておきました。クソみたいな小説です」......。「見るに堪えないようなおぞましい言葉が、剥き出しの刃を晒して飛び交っている」ネットの世界で、一也の作品は容赦なく酷評されていた。
厳しい現実を突き付けられた一也は、小説を書き続ける意義を理解できなくなる。罵られ、嫌悪され、それでも続けなければならない理由を見つけることができない。「小説なんて糞の役にも立たない。ただただ、僕を苛むだけ。僕は小説が嫌いだ」と、絶望していた。
■小余綾詩凪(こゆるぎ しいな)
「彼女ほど物語の登場人物に相応しい人間はいないと思う。騒々しさの中であっても、どこか静謐な気配を纏い、ただそこにいるだけで多くの人たちの注目を集める、その圧倒的な存在感」
小余綾は、一也のクラスの転入生。じつは一也と同時期にデビューした、不動詩凪と名乗る作家だった。一也のような覆面作家ではない。若さと可憐な容姿により注目度は非常に高く、テレビでも何度か取り上げられ、文芸誌では写真付きでインタビュー取材されていたことも。小説の売上も上々だ。
「小余綾詩凪は美しい。性格に難はあるが、それはどうしようもない事実だ。こんなに美人で、高校生で、売れっ子の作家だって? 『人間が書けてなさすぎるだろ......』小説にそんな登場人物が出てきたら、まっさきにそう評価したい」
完璧なキャラクターの小余綾に対し、思わず「ラノベかよ」と悪態をつく一也。作家としても人間としても「正直、敵わない」と感じていた。
売れない一也と売れっ子の小余綾。二人は幾度となく、小説の持つ力について意見を交わす。取っ組み合いの喧嘩が始まるのではという調子で、ヒートアップすることも。
「小説が――、人の心なんて動かすものか」(一也)
「小説には、わたしたちの人生を左右する、大きな力が宿っているわ」(小余綾)
「なんの根拠があって、そんな馬鹿げたことを言えるんだ?」(一也)
「わたしには、小説の神様が見えるから――」(小余綾)
そんなある日、「作っても作っても、美しくならない小説の草案」しか出してこない一也に対し、担当編集者は「一つ、千谷くんに、提案があるの」と切り出す。それは「道に迷っていて、美しい言葉を綴れるけれど、なによりも物語を欲している」一也と、「美しい物語を構築することができるのに、それを語るべき言葉を欲している」もう一人の作家がチームを組み、二人で小説を書いてみないか? というもの。
そのもう一人の作家というのが、小余綾だった。一也と小余綾は互いに嫌悪感をあらわにしながらも、まさかの共同作業は始まった。
小余綾の語る物語を一也が文章に起こそうとするが、やはりうまくいかない。「想像の中で美しさを保っていたものが、自分の手によってこれ以上ないほど劣化していく」。書いて、全て消す。この繰り返し。
「荒野には、硝子の破片が飛び散っている。そのすべては、自らが破砕した夢の欠片だ。それを裸足のまま踏みつけながら、進んでいく。血を流し、膿を流し、激痛を堪えながら、それでも進まなくてはならない理由は、なんだろう?」
物語を綴ることが「血の滲むような、耐えがたい苦行」でしかない一也にとって、小余綾は酷く妬ましい存在だった。「どうして、僕らはこんなにも違う生き方をしているのだろう」と、自虐、コンプレックスは膨らんでいく。
「僕に、物語なんてない。......どこにでもいて、空っぽで、物語が進みようなく停滞していて、日陰を生きるような、そんなありふれた、ちっぽけな人間だから――」
ところが、小余綾と接点を持ったことで、一也の心境に変化が起こる。自分にしか書けない、どうしようもない主人公の物語を求めている人がどこかにいるかもしれない。自分やこの主人公と同じように、涙を堪え、歯を食いしばって、それでも日々を必死に生きているかもしれない――。それまでの鬱屈したものが吹っ切れ、気持ちが切り替わる瞬間が訪れたのだ。
「たとえ空っぽでも、僕は書かなくてはならない。この胸から沸き立つ涙でペン先を浸し、物語を綴ろう。......君は、主人公になってもいいのだと、ページを捲る誰かへ、そう伝えるために」
一方の小余綾はどうか。じつは彼女は、ある秘密を抱えていた。一也が思っているような完璧なキャラクターではなかったのだ。果たして、二人の合作の行方はどうなるのか。そして小余綾の言う「小説の神様」とは――。
本書は、作家のリアルを描く、小説好きのための小説。文字となって表れている物語の裏側に、一体どんな物語が潜んでいるのか。これから小説を読むときはそんなことを思いながら、作品世界を何倍も楽しむことができそうだ。
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