本書『公安調査庁――情報コミュニティーの新たな地殻変動』(中公新書ラクレ)は外交ジャーナリスト・作家の手嶋龍一さんと、作家・元外務省主任分析官の佐藤優さんが、公安調査庁の変容ぶりを語り合ったものだ。ともに国際情報の専門家として知られる二人が、最近の公安調査庁をきわめて高く評価する内容となっている。
手嶋さんは1949年生まれ。NHK記者として政治部などで活躍。ワシントン支局長、ハーバード大学国際問題研究所フェローを経て2005年に独立。インテリジェンス小説『ウルトラ・ダラー』を発表しベストセラーに。『汝の名はスパイ、裏切り者、あるいは詐欺師』など著書多数。
佐藤さんは1960年生まれ。英国の陸軍語学学校でロシア語を学び、在ロシア日本大使館に勤務。2005年から作家に。同年発表の『国家の罠』で毎日出版文化賞特別賞、翌06年には『自壊する帝国』で新潮ドキュメント賞、大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。『修羅場の極意』『ケンカの流儀』『嫉妬と自己愛』など著書多数。手嶋さんとの共著『インテリジェンスの最強テキスト』などもある。
本書は、以下の構成。
第1章 金正男暗殺事件の伏線を演出した「最弱の情報機関」 第2章 コロナ禍で「知られざる官庁」が担ったもの 第3章 あらためて、インテリジェンスとは何か? 第4章 「イスラム国」日本人戦闘員の誕生を阻止 第5章 そのDNAには、特高も陸軍中野学校もGHQも刻まれる 第6章 日本に必要な「諜報機関」とは
第1章では、2001年に、北朝鮮の現在の最高指導者の兄である金正男が、日本に不正入国を図って国外退去処分になった事件の内幕が報告されている。手嶋さんによれば、端緒は公安調査庁が英国のMI6から入手した情報に基づくもので、「日本に公安調査庁あり」と、主要国の情報機関に注目されるきっかけになったという。
第2章では、コロナ禍と関連づけて公安調査庁の仕事ぶりを紹介している。新型コロナウイルスが中国のウイルス研究所から漏れたという説があることを背景に、佐藤さんは、「日本では、公安調査庁だけが唯一、細菌・ウイルス戦の分野で情報を蓄積したのです。オウム真理教が引き起こした松本サリン事件と地下鉄サリン事件に取り組んできたからです」と同庁が細菌・ウイルス戦にも対応してきたことを強調している。手嶋さんは「アメリカの国立医療情報センターのような組織を公安調査庁のブランチとして考えてはどうでしょうか」と提案している。
第4章では、一時は大きく報道された「北大生シリア渡航未遂事件」を取り上げている。イスラム国の兵士に志願しようとしていたとして、警視庁公安部が北大生や関係者を「私戦予備・陰謀」容疑で書類送検したというもの。この事件でも端緒は公安調査庁による関係者の監視活動だという。ただし事件としては不起訴になっている。
本書ではこうした個別の案件と公安調査庁のかかわりだけでなく、近年の同庁全体の様変わりぶりに特に力を入れて紹介している。
公安調査庁は定期的に、「内外情勢の回顧と展望」「国際テロリズム要覧」をまとめて公表しているが、変身ぶりはその内容からもうかがえるという。
「読んでみると、公安調査庁の活動が、大きく様変わりしていることが分かります。かつては、調査・監視の対象が、共産党、武装極左グループ、オウム真理教でした。2020年の『内外情勢の回顧と展望(令和2年1月)』は、全体の構成を見ただけで『主役』の後退は明らかですね」(手嶋さん) 「古典的な『ターゲット』への記述がぐんと減っているのに対して、国際テロ対策などが非常に大きくクローズアップされています」「あらためて『内外情勢の回顧と展望』の全体構成に戻ると、国外の方が先にきています。内外情勢ではなくて、『外内情勢』になっている」(佐藤さん) 「国外での情報収集活動に急速にウェートを高めている。あきらかにインテリジェンス機関として方向転換を図っていることが、『回顧と展望』からもはっきりと読み取れます」(手嶋さん)
日本に来て生活しているイスラム圏の人たちに接触し、母国に帰ってから情報提供者になってもらうような工作に力を入れていることも特筆されている。海外に派遣された公安調査庁の職員が、現地の大使館で警備官の仕事に就き、3日に一回その仕事をするが、あとの時間で本来の業務、すなわち情報活動をするというようなこともあるのだという。
インテリジェンスと言えば聞こえがいいが、日本語では「諜報」のこと。簡単には身分を明かせないし、協力者づくりは容易ではない。様々なリスクもある。
ネットを調べると、金が欲しい劣悪な協力者(情報提供者)のガセ情報に引き回されるケースが少なくないとか、調査官自身が話を作ってしまうことすらあるという関係者の内輪話も出てくる。
芳しくない事例では2007年、元長官が詐欺事件に連座して逮捕された事件があった。12年には複数の調査官が活動費を不正に受領したとして処分されたことも新聞報道されている。『日本の情報機関―知られざる対外インテリジェンスの全貌』 (講談社+α新書)は、1999年に日経新聞の元記者が北朝鮮で旅行中に逮捕され長期拘置された事件について、「その元記者は公安調査庁の協力者だった」と書いていた。一歩間違えは、あちこちに影響が波及する。
同庁の定員は1660人で予算は150億円規模だという。BOOKウォッチで紹介した『内閣情報調査室――公安警察、公安調査庁との三つ巴の闘い』(幻冬舎新書)によると、年間の「調査活動費」は約20億円。協力者への報償金は「手交金」と言われ、協力者を取り込むための手段は「カネ」がすべてだという。相応の協力者には月額10万円から50万円程度が振り込まれ、価値の高い協力者は「青天井」なのだという。
同書によれば、公安調査庁は長年、日本共産党や過激派の監視・工作活動が中心だったが、対象とする組織の弱体化で、同庁もリストラ対象という声が出始めた。そこで新たな調査対象として「オウム」と「海外」が導き出されたのだという。その後、「オウム」も弱体化したので、必然的に「海外」に力が入ることになったのだろうと推測できる。
そもそも同庁の仕事は破壊活動防止法や、団体規制法などに基づいている。「国際テロ重視」を旗印にどこまで拡大していくのだろうか。
やはりBOOKウォッチで紹介した『自衛隊の闇組織――秘密情報部隊「別班」の正体』(講談社現代新書)によると、自衛隊も海外情報の収集に力を入れ、身分を偽装した自衛官が海外で活動しているのだという。著者の共同通信編集委員・石井暁さんは、米国のCIAや英国のMI6の例を出しつつ、自衛隊内の闇組織に対するシビリアンコントロールの大切さを指摘していた。
そのあたりは、手嶋さんも先刻承知のようだ。「日本では、公安調査庁や内閣情報調査室を議会がコントロールしているかと言えば、ほとんどグリップが効いていないと思います」と語っている。佐藤さんも「その通りですね。公安調査庁に限らず、外務省のインテリジェンスにも、警備・公安警察の活動にも、議会の十分な監視は及んでいないと思います」と同意していた。
日本では、2010年に警視庁公安部のイスラム関係の内部資料がインターネットに大量流出した事件が起きた。協力者づくりや監視活動の詳細がオープンになり、警視庁は大きなダメージを受け、訴訟も起きた。公安警察と公安調査庁は、微妙な関係にある。近年の公安調査庁の海外情報の収集活発化には、この流出事件による警視庁の信頼失墜も影響しているのか、そのあたりも知りたいところだった。
BOOKウォッチでは関連で、『内閣調査室秘録――戦後思想を動かした男』 (文春新書)、『潜入中国 厳戒現場に迫った特派員の2000日』 (朝日新書)、『官邸ポリス 総理を支配する闇の集団』(講談社)、『ドローン情報戦――アメリカ特殊部隊の無人機戦略最前線』(原書房)、『サイバー完全兵器』(朝日新聞出版)、『超限戦――21世紀の「新しい戦争」』(角川新書)、『陸軍・秘密情報機関の男』(新日本出版社)、『証言 沖縄スパイ戦史』 (集英社新書)、『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)、『邦人奪還』(新潮社)、『三階書記室の暗号――北朝鮮外交秘録』(文藝春秋)、『北朝鮮 核の資金源――「国連捜査」秘録』(新潮社)なども紹介している。
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