「なぜ、もっと追及しない」「なぜ、もっと食い下がらない」「聞くべきことを聞いているのか」。首相や官房長官の記者会見の様子がネットでも見られるようになって、取材する側に対する国民の不満が高まっているという。本書『政治部不信――権力とメディアの関係を問い直す』 (朝日新書)はそうした状況を踏まえて、政治部や大手紙記者の仕事ぶりはこのままでいいのか、と強い危機感をもって問い直したものだ。
著者の南彰さんは1979年生まれ。2002年に朝日新聞社に入社し、08年から東京政治部、大阪社会部で政治取材を担当。18年秋より新聞労連に出向し、中央執行委員長を務める。「日本マスコミ文化情報労組会議(通称MIC)」の議長も兼務。政治部出身者が新聞労連委員長になったのは初めてだという。
すでに単著で2019 年、『報道事変――なぜこの国では自由に質問できなくなったか』(朝日新書)、18年には東京新聞の望月衣塑子記者との共著で『安倍政治――100のファクトチェック』 (集英社新書) を出版している。この2年間、南さんは単なる一記者ではなく、マスコミ労組の代表者という立場でもあった。
前著『報道事変』は、安倍政権になって首相や官房長官の記者会見で、質問規制が進んでいることをテーマにしていた。政権による「質問封じ」だ。とくに望月記者は要注意扱いになり、会見での質問の機会が制約されてきたという。同書では第2章で70ページ余りを割いてその実情を詳報していた。
このほか、河野太郎・外務大臣が閣議後の会見で、記者の質問に答えず「次の質問どうぞ」とシカトした話や、首相に対する「ぶら下がり」と呼ばれる首相番記者の質問の機会も減っていることなども出ていた。
いまメディアで起きていることは戦前の「満州事変」のように、後になって考えると取り返しのつかないことなのかもしれない――というのが南さんの同書での問題意識だった。
その続編ともいえる本書は、メディアの側に切り込んでいる。むろん、一部のネットで見られるような単純な「マスコミ断罪」ではない。「これほど気が重く、執筆が進まない本はなかった」と冒頭で書いている。政治部は著者自身が10年間在籍した職場であるからだ。
「そこには、不都合な記録を廃棄・改ざんする長期政権と対峙しながら、読者・視聴者に情報を届けようと日夜駆け回っている仲間たちがいる」 「しかし、一生懸命働いているのに、厳しい視線が注がれている」 「なぜ、疑惑の渦中にいる首相を各社の記者が囲んで会食するのか」 「なぜ、まともに質問に答えない政治家を、力を合わせて追及しないのか」
そんな自嘲や疑問を交えながら、本書は、以下の構成。
〇第1章 "台本営"発表 プロンプター/暴露された事前調整/署名開始/福島からの疑問/排除されていた地元記者 記者たちの反撃/官邸の巻き返し/閉ざされた官房長官記者会見 ・コラム 「会見はオープンであるべきだ」――畠山理仁さん(フリーランスライター) ・コラム メディアも押し返してこそ――阿部岳さん(沖縄タイムス編集委員) 〇第2章 政治部不信 スタートライン/内閣広報官/変わったルール/官房長官会見のツケ/相互監視の葛藤 「桜を見る会」で噴き出した政治部批判/なぜ会食をするのか/「解散はいつですか」/監視の目を乗り越え ・コラム 本質に迫る質問ができているか――望月衣塑子さん(東京新聞記者) 〇第3章 ボーイズクラブ 賭け麻雀/男女格差121位/「性差別ある」6割/声を上げる女性の抑圧/意思決定の場に女性を 大炎上した、あるテレビ社員のnote/広がった「3・8」紙面/慰安婦問題での沈黙/再び切られる女性 ・コラム 「異質な人たち」排除の理屈――小島慶子さん(エッセイスト) ・コラム 記者の妙な被害者意識――立岩陽一郎さん(元NHK記者・インファクト編集長) 〇第4章 表現の自由とテレビ 一転して不交付/「源に政権側の不快感」/萎縮するテレビ/報ステ派遣切り/沈黙する報道機関幹部 ・コラム 毅然とした距離感を――安田菜津紀さん(フォトジャーナリスト) 〇第5章 共犯者たち 酷評されたアンケート/「事実と人権」という軸/「公正報道」を求めストライキ メディア不信を直視/連帯の必要性/日本版ニュース打破
この8月まで新聞労連委員長という経験もあって、同業者からのコラムも充実、ジャーナリズムの現在をフリーも交えた幅広い視点で捉えようとしている。特に興味深いのは「第3章 ボーイズクラブ」だ。
よく知られているように日本は男女格差が激しい。世界経済フォーラムが2019年12月に発表した同年の「男女格差(ジェンダーギャップ)報告書」によると、日本は153国の中で121位。同年1月時点で衆院議員の女性比率は10.1%。閣僚は19人の中で1人だけ。
男女格差是正を訴えるメディア側も似たり寄ったりだ。新聞・通信社の新入社員の男女比は半々にまで向上しているものの、女性管理職は6.4%にとどまっている。新聞労連が19年に行った「賃金・待遇や働く上で、性別による差別があると感じますか?」という組合員アンケートによると、「とてもある」「どちらかといえばある」と回答した女性が60.5%にのぼった。
ほとんどが男性という政治家の世界。取材する側も男性中心の構造がある。ここからにじみ出てくるのが「ボーイズクラブ」だ。(「ボーイズラブ」ではない、念のため)。
これは、体育会などで顕著にみられる男性同士の緊密な絆でお互いを認め合っている集団のことだという。政治部記者は夜回り、朝回りなどで大物政治家とマンツーマンになったり、少人数で「懇談」というオフレコの密着取材をしたりすることが多い。「番記者」の場合は、担当政治家が決まっていて張り付く。こうした場での政治家の発言は「オフレコメモ」としてキャップを上げられ、場合によってはそのメモがまた別の大物政治家のもとに流れたりする。
19年に死去した中曽根康弘元首相は生前に大量の資料を国立国会図書館(東京都千代田区)に寄託しているが、そこには新聞記者が政府・与党幹部を取材した多数のオフレコメモも含まれていた。巡り巡って中曽根氏のもとに届いたものだろう。J-CASTはそれをもとに、「中曽根康弘氏、自ら遺した『誤算』の記録 オフレコメモが語る『靖国公式参拝』...85年夏、何が起きていたのか」、「『日航ジャンボ機事故』直後の『人事』暗闘 消えた『社長候補』...中曽根文書から読み解く」などのニュースを何度か掲載している。
三密が批判される時代だが、新政権は相変わらず「密室」で内々に絞り込まれた。その密室の中に入り込めるかどうかが政治部記者の力量となり、評価につながる。プロの政治部記者は、権力者に食い込み、その腹の内をじかに聞くのが仕事だと割り切り、記者会見で手の内をばらすような質問をするのは愚の骨頂――というのが政治部の長年の伝統だったといえるだろう。
評者はかつて、政治部の番記者が、担当する大物政治家の秘書と話すときに、その大物政治家のことを「おやじ」と呼んでいるのに驚いたことがある。秘書が「おやじ」というのはわかるが、記者が「おやじ」というのはおかしいのではないかと思ったのだ。しかし、「ボーイズクラブ」ならば、違和感はない。
取材対象と一心同体を求められる日本の伝統的な政治家取材。ところがネット時代になって、記者会見の様子だけは丸見えになる。記者が自由に質問できるわけではないことはすでに南さんの前著や望月さんの『新聞記者』(角川新書)などに詳しいが、視聴者にははわからない。政権側の巧みなところだ。
本書はさらに当事者の立場から、記者側の様々な問題点を指摘しているが、権力者の懐に入り込み、高度な情報を取るという政治記者に課せられた伝統的な職務と、「もっと権力批判や追及を」という国民の高度な要求には、そもそもズレがある。理解を得るのはなかなか難しい。そういえば、外務省の機密漏えい事件で有罪となった元毎日新聞政治部記者、西山太吉氏は著書『記者と国家』でこう書いていた。
「新聞は攻めるというが、戦後、重要な国家機密が漏洩して、国の安全が脅かされたことがあったのか」 「国にとって本当に隠したいのは新安保条約交渉時に交わされた、朝鮮半島での緊急事態に際し、事前協議なく在日米軍が出撃できるとした"朝鮮議事録"や、あるいは沖縄密約のような『永久機密』であり、それは同時に違法、不当な機密なのである。記者が追究すべき最高の仕事は、この永久機密の探索」
しかしながら、今やこの種の機密に迫ろうとすると、2013年に安倍政権で成立した特定秘密保護法もあって、きわめて難しい。「安倍一強」の後は「菅一強」の様相だ。自民党内からも少数意見は聞こえにくくなっている。官僚も官邸に人事を握られ、保身に走らざるを得ない。まっとうな記事を報じたいと考える政治部記者の取材は、依然として制約やリスクの多い息苦しい状態が続くのではないだろうか。
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