本書『魚食の人類史――出アフリカから日本列島へ』(NHKブックス)は、魚食こそがわれわれホモ・サピエンスをして、今日の大繁栄(いささか繁栄しすぎだが)に導いたという壮大な物語を、最新のデータを駆使して教えてくれる。一時は、同時代の地球を生きたネアンデルタールとの生存競争で生き残ったのも魚食のおかげだったという。著者は霊長類学者の島泰三氏。1946年生まれ。日本の漁業の全盛期の時代に、その中心地・下関の鮮魚商の母親のもとで育ったこともあり、昨今の日本の漁業の不振を嘆きながらも、「魚食」の意味と大切さも伝えたいという気持ちが満ち溢れている。
現世の霊長類の中でも、「魚食」といえるほどの量の魚を食べているのはホモ・サピエンスだけだという。とはいえ、ホモ・サピエンスの専売特許ではない。ホモ・サピエンスの祖先であるホモ・エレクトゥスの化石の出た約200万年前の地層から、魚類の骨が出ているというから、祖先も魚は食べていた。
時代は下った数十万年前、ホモ・エレクトゥスの子孫として現れたホモ・ネアンデルターレンシスは、頑丈な骨格と筋肉をもつ大型種の人類で、その体格を生かして草食のウシやマンモスだけではなく、肉食のライオンまで捕食する「陸の王者」となった。それゆえ、彼らは魚食からは遠ざかった。
われらホモ・サピエンスは35万年前ころにアフリカの大地溝帯に現れた。体毛が薄い「裸のサル」で、骨格はきゃしゃだった。毛のない皮膚は乾燥に弱かったせいか水辺にすみついた。きゃしゃな体は泳ぐことには適していたこともあり、魚食を手放さなかった。
19万年前のエチオピア・オモ河の流域の遺跡と同じ地層からは、多くの哺乳類化石とともに、ナマズやナイルパーチ、コイなどの化石も出土しているという。それらは今の同じ魚よりはるかに巨大だった。また、骨製の逆刺(かえり)のついた骨製の銛も見つかっているという。
ネアンデルタールとホモ・サピエンスは、ざっと5千年くらいの間共存していた。しかし、2万4000年前に始まる最も寒冷な時代に入る前に、前者は滅びてしまった。ネアンデルタールの主たる食糧である中大型哺乳類が減ってしまったことが致命的だった。一方、きゃしゃな体ゆえに、根菜や獣、魚など多様な生物を食料としていたホモ・サピエンスは厳しい寒冷期を乗り越えた。さらには水辺伝いに海辺にも進出、広く東南アジア、アメリカ大陸にも分布を広げ、今日の隆盛となったというわけである。
農業の起源も魚食とつながっているという。かつては、1万5千年前にコーカサスからメソポタミアで始まった小麦の栽培が農業の起源とされていたが、それよりはるかに早い時期(約4万年前)から、東南アジアではサトイモを栽培(根栽農耕)していた。これが農業の始まりだった。メソポタミアの方は「灌漑農業の始まり」とウィキペディアには書いてある。
筆者は、「漁撈と根栽農耕が結びつく時、たんぱく質と炭水化物の栄養が保証される。水稲栽培は根栽農耕から発展したのだから、漁撈と深く結びついている」と書き、人類史における魚食の重要性を強調している。
蛇足ながら、評者は日曜菜園でサトイモを栽培している。イモの食べられない固い根の部分はその辺に転がして枯葉をかぶせておけば、春には種芋に使えるし、収穫し損ねたイモからも勝手に芽が出てくる。サトイモが原始的な農業の起源だということを知り、体験的にも納得し、静かに感動した。
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