安田講堂事件から50年ということで、東大闘争の当事者による回顧本が目立っている。J-CASTニュースにも出ていた。本書『安田講堂 1968‐1969』 (中公新書)はそうした回顧本の中の先駆といえる。2005年の出版だ。
特徴は、内容がきわめて精密であること。その後の関連本でも参考資料として引用されることが多い。
著者の島泰三さんは1946年生まれ。東大闘争には理学部の学生として参加、安田講堂事件では「本郷学生隊長」として逮捕され、懲役2年の判決を受けている。
本書を刊行した当時は房総自然博物館館長。ニホンザルやマダガスカルザルなど霊長類の研究家として知られ、その方面で多数の著作がある。
本書は68年1月、島さんが佐世保闘争に参加した話から始まる。前年10月の羽田闘争では、警官隊との激しい攻防の中で京大生が亡くなっていた。佐世保闘争は、ベトナム戦争拡大に反対する学生たちが米原子力空母エンタプライズの入港を阻止しようとするもので、東京からも、多数の学生が現地まで行った。島さんは東大闘争が本格化する前から、政治的には活発な学生だったようだ。
羽田事件では、学生たちの行動を「暴徒」と規定するマスコミがほとんどだったが、佐世保ではやや違う一面もあったという。警察は現場周辺で催涙弾を撃ちまくり、市民や報道陣の目の前で学生たちを警棒で滅多打ちにした。マスコミでも「やりすぎ」という批判報道があったことが本書で紹介されている。闘争を終えて東京に戻る列車では、車掌さんに「ご苦労様」といわれ、本郷に戻った島さんは、旧知の右翼的な学生からも「よくやった」と声をかけられたという。
当時の大学闘争には「前史」として、あるいは「同時進行史」としてベトナム反戦運動の高揚があったということがしばしば指摘される。島さんもそのあたりを踏まえつつ、こう書いている。「青年たちは、この佐世保闘争で何事かを得た。それは、歴史はこうして動くものだという確信だった」。
本書は、佐世保事件をイントロに、日大、東大闘争へと進み、安田講堂事件については「前哨戦」「攻防」「始末」と3章にわたってこってり書き込まれている。執筆にあたって、相当量の資料を収集、読み込みをしたことが記されている。島さんの本業は霊長類の研究者であり、何年もかけてサルの生態の変化をウォッチする仕事なので、そうした緻密さが本書にも投影されている。
いちばん新鮮だったのは、東大におけるストライキの投票状況だ。他の本では、〇〇部が〇日に無期限スト突入、など手短にあしらわれているが、本書では、学部や学生大会の「票数」がきちんと紹介されている。
例えば、68年1月27日、東大医学部医学科の学生大会。無期限ストライキに賛成が229、反対28、保留28、棄権1だった。
同じく68年6月16日の教養学部自治会正副委員長選挙では、フロント(構造改革派)の候補が1925票を集めて当選。日本共産党系の候補が1843票、革マル派、解放派などの3候補が合計958票だった。同20日の教養学部の学生投票では、賛成3270、反対1301、保留46でストライキに突入した。さらに7月5日の教養学部全学投票では賛成2632、反対1904、保留333で無期限ストを決めた。
こういう票数が示されていると、当時のキャンパスの空気がより具体的に理解できる。島さんは、まるでサル山の権力闘争で頭数を数えるがごとく、詳細に数字で勢力図を報告している。
本書でもう一つ、興味深かったのは、安田講堂攻防戦事件を警察側で指揮する立場だった佐々淳行氏への反発だ。
佐々氏は1993年刊行の著書『東大落城』(文藝春秋)で、安田講堂に籠城して逮捕された東大生は20人としていた。闘争終了後に東大闘争を論じる東大生がほとんどいないのは、「東大全共闘が"城攻め"の直前の土壇場で安田講堂から脱出してしまって、事実を後世に語り継ぐ生き証人が少なく、挫折した東大闘争の総括をするものがいなかったことにある」と断定的に書いている。この「佐々証言」によって、東大全共闘の腰抜け、卑怯者論が一部で広まったが、島さんは「事実ではない」と否定、それが本書執筆の一因にもなっていることを明かしている。
たしかに近刊の『東大闘争 50年目のメモランダム』(ウェイツ刊)でも、著者で、安田講堂に籠城して逮捕、起訴された元東大全共闘の和田英二さんが反論している。逮捕者377人のうち、東大生は少なく見積もって80人、そのうち65人が起訴されたと書いている。佐々氏は安田講堂に籠城した女子学生の中には東大生は一人もいなかったとしているが、和田さんの本では、完全黙秘した理系大学院生の話が出てくる。
18、19日は安田講堂だけでなく東大構内や神田周辺の市街戦でも多数の逮捕者が出た。『東大落城』の中では、「これら逮捕者の中には政官財界の有力者の二世の男女学生、特に警察高官の親族もふくまれていた。一切手心を加えることなく厳正に処分して警備を終えた私たちの心境は複雑なものがあった」と書いている。このあたりは当時の悩ましい状況を象徴していて興味深い。
しかし、佐々氏はなぜ「東大生は20人」と書いたのだろうか。『東大落城』の巻末では、わざわざ「"体制側"の『第一次情報源』からの情報に基づいて、できるだけ客観的に歴史を再現」と断っている。単純に考えれば、佐々氏が記憶違いで誤報を書き、それが流布したということになる。和田さんは「法学部生の逮捕者数が20人だったので勘違いしたのでは」と解釈しているが、佐々氏は初代の内閣官房内閣安全保障室長をつとめた危機管理や秘密情報の専門家だ。しかも自分が担当した大事件。そんな単純な間違いをするだろうかという気もした。
そこで思い起こすのが、近年話題の「ポスト真実」だ。有力な立場の人が、それらしい情報を流すと、本当かどうかの吟味が甘くなり、つい信じてしまう。「そうかもしれない」という話にコロリとだまされてしまうのだ。佐々氏は事件当時の警察の責任者であり、情報のエキスパート。だから、その発言が信じられやすい。佐々氏が意図的に虚報を流したのか、勘違いか、そこはわからない。父も兄も朝日新聞の関係者だったことからもわかるように、佐々氏も筆達者。論旨と文章がすーっと頭に入ることだけは確かだ。
近年の東大闘争に関する出版物ラッシュは、別の視点から見ると、佐々氏の発言によって「第二の敗北」を喫した元東大全共闘の巻き返し、とみることもできそうだ。いずれにしろ、改めて「ファクトチェック」の大切さを痛感する。
本欄では、情報の正確さを問題にした本として、『安倍政治 100のファクトチェック』、『「働き方改革」の嘘』(ともに集英社)、『フェイクニュース』(角川新書)なども紹介している。
当サイトご覧の皆様!
おすすめの本を教えてください。
本のリクエスト承ります!
広告掲載をお考えの皆様!
BOOKウォッチで
「ホン」「モノ」「コト」の
PRしてみませんか?