いま最も読んで損をしないミステリーの書き手が柚月裕子さんだろう。BOOKウォッチでは、正統派のリーガル・ミステリー『検事の信義』(株式会社KADOKAWA)と将棋ブームを描いた『盤上の向日葵』(中央公論新社)を以前紹介したが、本書『合理的にあり得ない』(講談社文庫)もシリーズ化が期待される一作である。
主人公の上水流(かみづる)涼子は弁護士資格を剥奪された後、頭脳明晰な貴山を助手にして探偵エージェンシーを運営しているという設定だ。
「確率的にあり得ない」「合理的にあり得ない」「戦術的にあり得ない」「心情的にあり得ない」「心理的にあり得ない」の5編から成る。
それぞれ、怪しい詐欺師に騙される会社社長の物語、余生を優雅に過ごす夫婦の物語、暴力団組織と将棋の対局が登場する物語、涼子と貴山の過去が登場する物語、野球賭博事件を題材にした物語だ。
評者は「戦術的にあり得ない」に特に強く惹かれた。柚月さんには『孤狼の血』(株式会社KADOKAWA)という代表作がある。「悪徳」刑事が登場し、暴力団と県警の激しいしのぎ合いを描いた作品だ。2018年に、役所広司が主演する映画が公開され、大ヒットした。映画「仁義なき戦い」を彷彿させる骨太なバイオレンス作品で、直木賞と吉川英治文学新人賞の候補にもなり、日本推理作家協会賞(長編および連作短編集部門)を受賞、柚月さんの作家としての地位を確立した作品だ。
「仁義なき戦い」の脚本家、笠原和夫氏の自伝や著書を読み、暴力組織をどう描くかに苦悩した背景を知り、同作をしのぐような作品はもう現れないと思っていた評者にとって、現代版「仁義なき戦い」とも言える『孤狼の血』の登場は本当に驚きだった。
どうして女性の書き手が、血と暴力にまみれた作品を書くことができるのか、本当に不思議だった。
『孤狼の血』は、続編『凶犬の眼』と三部作完結編『暴虎の牙』が出るシリーズになっている。
一方、将棋界を舞台にした『盤上の向日葵』(中央公論新社)は2018年、「本屋大賞」2位に輝いた。2016年、当時14歳の藤井聡太四段(現七段)が加藤一二三九段を破り、公式戦勝利の最年少記録を更新、その後新記録となる破竹の29連勝を果たし、にわかに将棋ブームが湧いたが、それを裏打ちするような作品だった。
「戦術的にあり得ない」には、暴力団と将棋が登場するのだから、まさに『孤狼の血』と『盤上の向日葵』のハイブリッドだ。面白くないはずがない。
男性を描いて秀逸である柚月さんが、女性を描くのだから、そのキャラクターは魅力的だ。なぜ涼子が弁護士資格を剥奪されたのか、貴山とのコンビはどうやって生まれたのか。遡って読む楽しみもある。
柚月さんは岩手県出身で、山形県在住。愛猫との暮らしをリポートしたNHKの番組で素顔を公開したばかりだ。『検事の信義』の前作、『検事の本懐』で大藪春彦賞を受賞。『盤上の向日葵』では、プロ棋士の協力を得て、実戦と同じような緊迫した棋譜を作中に再現した。
暴力団、県警の暴対刑事、将棋棋士、将棋を賭けに生計を得る真剣師と男臭さがむんむんと臭いたつ世界をどうやって描くことができるのか、柚月さんもまたミステリアスな存在である。
柚月ワールドを知る入門書として、この文庫はお勧めである。本書は2017年に講談社から刊行されたものを文庫化したものだ。
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