平時なら、手に取ることがない本だ。『牛疫』(みすず書房)。タイトルからもわかるように牛の病気に関する本である。副題を見て、今日性を知ることになる。「兵器化され、根絶されたウイルス」。
「牛疫」は、牛群などを一気に壊滅させるウイルス性感染症。その根絶への歩みと、生物兵器として利用しようとした研究について、世界的な視野で検証したものだ。
牛疫とは何か。農水省のホームページに詳しい解説が出ている。
・牛疫ウイルスが牛、水牛、めん羊や山羊に感染する伝染病であり、感染すると、激しい下痢の後、起立不能などを起こし、高い確率で死亡します。 ・我が国の家畜伝染病予防法において「家畜伝染病」に指定され、患畜・疑似患畜の速やかな届出とと殺が義務付けられています。 ・歴史的には、18世紀にヨーロッパで流行し2億頭の牛が死亡するなど、非常に恐れられた病気です。 ・FAO(国際連合食糧農業機関)及びOIE(国際獣疫事務局)により撲滅キャンペーンが進められた結果、2011年5月に開催された第79回OIE総会において撲滅が宣言されました。
「牛疫の歴史と日本の関わりについてはこちらを」というところをクリックすると、農研機構動物衛生研究所長によるさらに丁寧な解説が続く。
牛疫の発生は紀元前にまで遡ること、農耕や運搬の主要な手段で、食糧としても重要な牛が失われるため、発生地では人に影響が及んで飢饉などが起きたこと、ウイルスの起源は中央アジアと考えられ、牛の移動とともに西はヨーロッパ、東は中国から日本へと広がったこと、などが記されている。
また、牛疫の予防法に関する研究は戦前、獣疫調査所と朝鮮半島の牛疫対策のために釜山近郊に設立された牛疫血清製造所で、日本人の手で行われたことも強調されている。つまり牛疫の根絶には日本が大いに貢献したというわけだ。
しかしながら、そこには書かれていない「黒歴史」もあった。それは、日本が牛疫の根絶を研究する一方で、牛疫ウイルスを兵器としても研究していたという歴史的事実だ。それはBOOKウォッチで紹介した『陸軍登戸研究所〈秘密戦〉の世界――風船爆弾・生物兵器・偽札を探る』(明治大学出版会)に詳しい。
登戸研究所では最盛期に約1000人が働いていた。全体は四科に分かれ、第一科では風船爆弾、第二科では生物兵器などの研究が行われていた。この二つは連動している部分があった。
第二科で研究していた生物兵器の一つが、牛疫ウイルスの兵器化だ。満州で採取した牛疫ウイルスを培養し、粉末化して風船爆弾に入れて米国に送り込み、畜産業に打撃を与えることを狙っていた。風船爆弾と言うと、名前からおもちゃのように思われがちだが、実際には直径10メートル、総重量182キロ。高度保持装置も付いた当時のハイテクだ。
実際の実験は、朝鮮総督府家畜衛生研究所がある釜山郊外で行われ成功していた。1944年9月の検討会で、20トンの牛疫粉末病毒を風船爆弾に搭載すれば、米国の畜牛に大打撃を与えることが確認された。しかし、作戦は実行されなかった。すでに戦況が悪化、実際に使った場合、逆に米軍に生物化学兵器で報復されることを恐れたためだ。
農水省のHPによれば、「牛疫対策のために釜山近郊に牛疫血清製造所が設立」されていたわけだが、『陸軍登戸研究所』は、生物兵器としての実験が「朝鮮総督府家畜衛生研究所がある釜山郊外で行われ」と記す。外地の「釜山」が、牛疫の「根絶」と「兵器化」の重要な拠点になっていたことがわかる。
長い前置きになったが、本書『牛疫』は、以上のように「根絶」と「兵器化」という相反する研究が絡み合った牛疫研究の歴史を、世界各国に目配りしながら精査したものだ。著者のアマンダ・ケイ・マクヴェティ氏は歴史学者。2006年にカリフォルニア大学で博士号を取得。現在、マイアミ大学歴史学教授。本書は以下の構成になっている。
「第1章 牛疫および疾病制圧のための国際協力の起源」 「第2章 第二次世界大戦における牛疫――GIR-1」 「第3章 欠乏からの自由――UNRRAの牛疫キャンペーン」 「第4章 発展の仕組み――FAOの牛疫キャンペーン」 「第5章 ふたたびグロス・イルへ――戦後世界の生物戦」 「第6章 牛疫根絶」
20世紀初め、牛疫ウイルスをワクチンにできることが判明した。ワクチンで免疫を与えれば、自国の牛は守れるが、一方で、まだワクチンが整っていない国の牛を攻撃することもできる。一部の国々は第二次世界大戦中に生物兵器研究を開始する。
本書は米国とカナダによる研究から書き始めているが、日本についても多く触れられている。前段では、農水省のHPが誇るように、日本人研究者がワクチン製造で大いに貢献したことが出てくる。ただし、以下のように農水省HPよりはシニカルな記述だ。
日本は1910年に朝鮮を併合すると、中国との国境に沿って牛疫の侵入を防止する「免疫地帯」を構築、釜山に大規模な獣疫血清製造所をつくり、ワクチン製造に成功する。続いて25年には奉天に牛の病気の研究所を設立した。満州は世界第三の牛の生産地だが、家畜の病気の発生件数では世界一だったからだ。したがって満州を工業地帯として発展させると同時に、「農業の近代化」もめざしていた。42年に釜山の獣疫血清製造所がさらに新しいワクチン開発に成功する。日本政府はこれを軍事的にも役立つものとして受け止めた。43年夏、「登戸」に配属された陸軍獣医将校が、「敵国」の牛に「急性の伝染病を感染させる」手段に注目、「奉天」「釜山」と連携しながら「登戸」での研究が動き出した・・・。
同じころ、米国・カナダの研究者たちが防御用と攻撃用のワクチンの試験を始めていた。すでに米国は、日本が中国戦線で細菌兵器を使っていることを知っていた。ドイツが、こうした生物兵器を手にしたら大変なことになる・・・。この辺りの連合国と枢軸国の腹の探り合いは、「原爆」とウリ二つだということに気付く。ヒトラーよりも先に原爆を作ることが、マンハッタン計画の至上命題になっていた。
本書には「日独の生物戦研究者たち」という項目もある。ヒトラーと生物兵器の関わりについても論及されている。日本については、戦後の調査の様子が報告されている。45年8月に戦争が終わると、9月上旬には米国から、日本人が戦争における科学研究をどのように組織していたかについて、迅速な予備調査を行うチームが来日する。全部で135回の尋問を約300人に対して行った。その中には「登戸」のメンバーも含まれていた。だが資料は参謀本部の命令ですでに焼却されていた。結局、関係者へのインタビューが「一次資料」になった。「日本の牛疫についての生物戦研究は、ドイツの場合と異なり、秘密のままだった。その記録を破棄するまでに十分な時間があった」と著者は記す。
しかし、容易に消し去ることのできない生物戦活動もあった。本書は「731部隊」を挙げている。石井部隊も記録を燃やしたが、「少数の生き残った犠牲者たちが自分たちの物語を語った」からだ。
牛疫は戦後、大規模な根絶キャンペーンが行われた。その陰で、ときにはキャンペーンを主導する国によって、生物兵器としての研究が戦後も続けられたことを本書は指摘している。この辺りも原爆と似ている。
本書の訳者、山内一也さんは1931年生まれ。東京大学農学部獣医畜産学科卒業。農学博士。国立予防衛生研究所室長、東京大学医科学研究所教授を経て、現在、東京大学名誉教授、日本ウイルス学会名誉会員。著書に『ウイルスと人間』(岩波科学ライブラリー)、『史上最大の伝染病 牛疫 根絶までの四〇〇〇年』(岩波書店)など多数。
「訳者あとがき」で、「米寿を迎えた今になって、牛疫が、これまで想像もしなかった形で、国際関係の歴史に深く関わってきたことを初めて知り、新たな興味がわくとともに、幸福感に浸っている」と書いている。
人類が根絶に成功した感染症は、天然痘と牛疫だけだという。しかし、牛疫は20世紀になって、「生物兵器」として研究された「黒歴史」も背負っていた。本書は、牛疫を単に牛の感染症として取り扱うのではなく、近代戦史や科学史、国際関係史の側面から新たな燭光をあてたものと言えるだろう。コロナ禍の現在、いちだんと意義を増している。巻末の索引も充実している。
BOOKウォッチでは、関連で『731部隊と戦後日本』(花伝社)、『ノモンハン 責任なき戦い』 (講談社現代新書)、『ウサギと化学兵器――日本の毒ガス兵器開発と戦後』(花伝社)、『日本の島 産業・戦争遺産』(マイナビ新書)、『科学者と軍事研究』(岩波新書)、『復活の日』(角川文庫)、『超限戦――21世紀の「新しい戦争」』(角川新書)なども紹介している。
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