1年前の2019年7月、大阪の百舌鳥・古市古墳群がユネスコの世界文化遺産に登録された。日本の巨大古墳のトップ3は「大山(墳丘長486メートル)」「誉田山(425メートル)」、そして「石津ヶ丘古墳(365メートル)」。いずれもこの地域にある。世界の巨大墳墓の中でもスケール際立つ。
本書『日本の古墳はなぜ巨大なのか』(吉川弘文館)は、エジプト、中国など海外の類例と比べながら日本の巨大古墳の謎に迫る。「古代モニュメントの比較考古学」という副題が付いている。一流の研究者による報告なので大いに参考になる。
本書は18年11月、国立歴史民俗博物館(歴博)が主催し、大阪大と明治大が共催した国際シンポジウム「日本の古墳はなぜ巨大なのか?――古代モニュメントの比較考古学――」をもとにしている。同館で18年3月から5月まで開催した企画展「世界の眼でみる古墳文化」の関連行事でもあった。全体は以下の構成になっている。
はじめに...松木武彦(歴博教授) 第一部 世界の先史モニュメントとその社会 ・エジプト古王国時代の巨大ピラミッド...近藤二郎(早稲田大教授) ・ユーラシア草原の大型墳墓―草原の古墳時代...林俊雄(東洋文庫研究員) ・アンデス文明におけるモニュメントと権力生成...関雄二(歴博教授) ・古代メソアメリカのモニュメント―象徴する世界観と王権...杉山三郎(アリゾナ州立大研究教授) ・北アメリカ先史時代のモニュメント...佐々木憲一(明治大教授) ・コラム1 中央ヨーロッパ青銅器時代・鉄器時代の墳丘モニュメント...トーマス・クノフ(独テュービンゲン大特任教授) ・英国ポスト・ローマ期の墳丘墓...ルーク・エジントン=ブラウン(英イースト・アングリア大研究員)、サイモン・ケイナー(英セインズベリー日本藝術研究所所長) ・古代中国の皇帝陵―モニュメントとしての前漢の皇帝陵...上野祥史(歴博准教授) ・コラム2 新羅における王陵の誕生と展開...咸舜燮(韓国国立大邱博物館館長) ・コラム3 先史・原史社会の墳墓モニュメント―世界的視野から見た日本の古墳...クリス・スカー(英ダーラム大教授) 第二部 日本の古墳は巨大なのか ・古墳時代における王墓の巨大化と終焉―社会の変化とモニュメント...清家章(岡山大大学院教授) ・人間行動とモニュメント...松本直子(岡山大学教授) ・古代日本の古墳築造と社会関係...福永伸哉(大阪大学教授) ・おわりに...松木武彦
そうそうたる執筆陣だ。充実した内容がうかがえる。国内外10か所ほどの機関から研究者が集まっている。
本書によれば、人類最古のモニュメントはざっと1万年前。トルコのギョベクリ・テペ遺跡だという。T字形に加工した石柱を取り囲む径数十メートルの円心構造。古代の神殿ではないかと言われているそうだ。その後、数千年を経て、いわゆる「ストーン・サークル」類があちこちで登場する。有名なイギリスのストーンヘンジはその集大成だという。日本列島にも類似のものがあることは、BOOKウォッチでも『環状列石ってなんだ――御所野遺跡と北海道・北東北の縄文遺跡群』(新泉社)で紹介した。
さらにこうした「平面」のモニュメントが、次の時代には「立体」になる。幅だけでなく高さもあるようになる。代表がエジプトのピラミッドだ。
松本教授が、立体的なモニュメントを比較検討するときの三つのポイントを挙げている。一つは、モニュメントの規模も含めた形態の特徴。二つ目は、「配分」。たとえば日本の古墳は、最大級のものは近畿地方に集まるが、次点のものは九州・中国・関東などの遠隔地にも分布し、空間的には独占状態になっていない。中層の古墳はさらにあちこちにある。これに対し、エジプトのピラミッドは、社会的上位者による独占が顕著になっている。
三つ目は、モニュメントが出現する歴史的契機。日本の古墳は王権の成立やそれによる社会の統合と関連づけられることが多いが、他はどうなのか。
本書でいくつかのことを知った。エジプトのピラミッドには、当然ながら前段階があった。それは、「マスタバ墓」と呼ばれるもので、台状墓。一例として、長さ85メートル、幅45メートル、高さは8メートルの墓などが紹介されている。「ベンチ」を意味するアラビア語「マスタバ」に由来しているという。その後、階段状のピラミッドから四角錐の真正ピラミッドと進化していく。マスタバ墓では、高さが乏しく、王権のパワーを示すことが難しかったためと見られている。実際、真正ピラミッドは、100メートル以上の高さがあることによって、ナイル川沿いの王都メンフィスからも、その威容を確認できたという。
ユーラシア草原にも多数の大型墳墓が見つかっているそうだ。そのうちの一つは、ウランバートルから550キロ離れたところにある。周囲の石垣は一辺200メートルほど。中央の積石塚は高さ4.9メートル。直径が30メートル。紀元前1000年ごろのものだという。積石塚の下に埋葬されている人物の葬儀では、1700頭以上の馬と大量の牛や羊が屠られたと推定されている。
「これだけの家畜を消費することができ、これだけの規模の埋葬祭祀遺跡を造営することができる人物とは、相当の権力者、『王』と呼んでも差し支えなかろう」と、林俊雄・東洋文庫研究員は記している。
付近に定住の痕跡はなく、造営したのは遊牧民だと見られている。ジンギスカンの登場よりも遥か昔から、ユーラシア草原を馬と共に席巻した支配者がいたようだ。
本書はこのほかアンデス文明、マヤ遺跡、北アメリカ、ヨーロッパ、などについても解説されている。普段あまり読む機会がない話が多い。写真や図も豊富だ。
世界の巨大モニュメントの比較一覧も掲載されている。中国の始皇帝陵は一辺515メートル。高さ76メートル。大山(大仙)古墳はこれに匹敵する巨大さだ。エジプトのクフ王のピラミッドは高さ146メートル。この三つが通常、世界三大墳墓と言われているらしい。それらに続いて、トルコやメキシコの巨大墓もリストアップされている。
日本には16万もの古墳があるという。3世紀半ばに大和盆地に出現した前方後円墳の箸墓古墳から古墳時代が始まるとされている。
すでに弥生時代の後期から終末期にかけて、各地に墳丘墓ができていた。形式は地域によって異なり、最長でも80メートルほどだった。しかし、箸墓は全長280メートル。一気に3.5倍になった。巨大な政体の出現によるものと推定されている。それ以降、前方後円墳が各地に広まる。
中国ではとっくに、始皇帝陵が登場していた。3世紀の卑弥呼の時代は、中国と交流があった。本書では、圧倒的な規模の始皇帝陵についての情報を、卑弥呼の側が入手していた可能性が示唆されている。
壮大な古墳をつくるには巨大な権力、エネルギー、労働力が必要だ。古代社会は、ごく一部の支配権力層と、多数の下層によって構成されていた。日本では8世紀初頭でさえ、人口の数パーセントは奴隷だったというデータが、BOOKウォッチで紹介した『戸籍が語る古代の家族』(吉川弘文館)には出ていた。巨大墓をつくるために、人々を大動員することが可能な社会構造だったのだろう。
大規模古墳の衰退については、複数の理由が挙げられている。一つは欽明期以降、欽明の血を引く王族のみが王位・皇位を継承することが確立したこと。墳墓の壮大さで政体の正統性を見せつける必要がなくなった。さらには、仏教を取り入れ、多数の寺院建設が行われるようになったことも指摘されている。
朝鮮半島でも、古墳文化は7世紀には衰退、8世紀にほぼ消失したという。古墳文化は東アジアの中では連動していたようだ。
BOOKウォッチでは関連で、『世界遺産 百舌鳥・古市古墳群をあるく』(創元社)、『天皇陵古墳を歩く』(朝日選書)、『「異形」の古墳――朝鮮半島の前方後円墳』(角川選書)、『環状列石ってなんだ――御所野遺跡と北海道・北東北の縄文遺跡群』、『考古学講義』(ちくま新書)、『ここが変わる! 日本の考古学』(吉川弘文館)、『ヤマト王権誕生の礎となったムラ 唐古・鍵遺跡』(新泉社)なども紹介している。『新版 古代天皇の誕生』(角川ソフィア文庫)は、ヤマト王権の首長は、「前方後円墳を築いた勢力から生まれ、その連合勢力の盟主的地位についた」と推測していた。
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