ストーンサークルというとイギリスが有名だが、日本でもそれに類したものがある。本書『環状列石ってなんだ―御所野遺跡と北海道・北東北の縄文遺跡群』(新泉社)は国内のストーンサークルについての初のガイドブックだという。
小杉康・北海道大学教授ら専門の研究者が、各地の環状列石の特徴などについて最新の知見を報告している。写真や図も数多く掲載されている。あまり知らなかった縄文世界のパンドラの箱が開いたようで想像が広がる。
教科書にも登場するのが秋田・大湯の環状列石。直径40メートルほどの環状に川原石が配列され、日時計のような形式で有名だ。秋田市出身の友人に聞いたら、中学時代に修学旅行で行ったという。同じ秋田県内でも辺鄙なところにあるようだ。「縄文人はいったい何を考えて、こんなところにこんなものをつくったのだろう?」。子ども心にも印象が強かったという。
本書ではこうした北東北や北海道の環状列石についてたっぷり解説されている。大湯だけかと思ったら、実はあちこちにある。なかでも岩手県北部の御所野遺跡について詳しい。東西約500メートル、南北約120メートルの遺跡。今から約5000年前から約4200年前まで約800年続いた縄文時代のムラの跡だという。ここでも環状列石が発見されている。
本書によると、北東北から北海道にかけて直径20メートル以上の環状列石遺跡が15あるそうだ。北東北が12、北海道が3。縄文時代は1万6000年も続いたと言われているが、環状列石は中期末から晩期にかけて出現したそうだ。
何の目的で造られたのか。墓地説と祭祀場説がとなえられてきた。近年ではこれに加えて天体運行との関連や、環状集落説も加わっているという。
北大の小杉先生の解説部分では、イースター島の巨大遺跡モアイ像との関連が興味深かった。モアイは、アフと呼ばれる埋葬用石檀の上に立っている。狭い島には10の「部族」が住み、テリトリーが分かれていた。「部族」同士が戦いではなく、「祖先と神々の崇拝」を競い合う装置がモアイだったのではないかという説が最近、提唱されているそうだ。同じ考え方を日本の環状列石にも当てはめることができないか、と問いかけている。
八木光則・岩手大学平泉文化研究センター客員教授の「縄文時代にさかのぼるアイヌ語系地名」という論考も示唆的だった。八木先生はアイヌ語に特徴的な地名「ペッ」の分布と、小規模なものを含めた環状列石の分布範囲が重なることに注目、「部」「辺」など「ぺッ」の地名が遅くとも縄文後期から晩期に形成されたと結論づけている。
小林克・元秋田県埋蔵文化財センター所長の調査では、現在でも北東北の一部に墓を環状に配置するところがあるという話や、日本でも一部に樹上葬や風葬の遺制があるという話が新鮮だった。
北東北から北海道にかけては、独自の歴史にはぐくまれた風習などが多い。本欄では、『アイヌ文化で読み解く「ゴールデンカムイ」』 (集英社新書)、『アイヌ語地名と日本列島人が来た道』(河出書房新社)、『つくられたエミシ』(同成社)、『イタコとオシラサマ―東北異界巡礼』(学習研究社)なども紹介している。
新泉社の考古出版物では『縄文の女性シャーマン――カリンバ遺跡』、『徳島の土製仮面と巨大銅鐸のムラ 矢野遺跡』、『古墳空中探訪 奈良編』なども紹介している。
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