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『人形の家』の「ノラ」になれない女性たち

声なき叫び

 本書のタイトル「声なき叫び」をネットで検索すると、最初に出てくるのは、小杉健治さんのサスペンス小説『声なき叫び』だ。自転車で蛇行運転をしていた青年が、警察官に捕まり、取り押さえられているときに死亡した。警官は正当な職務と主張するが、青年の父親の依頼で弁護士が動き出すというストーリーだ。

 続いて出てくるのは、外国映画「声なき叫び」。1979年にカンヌ国際映画祭に出品された作品で、夜勤帰りに見知らぬ男に強姦された女性が、刑事の執拗な事情聴取に更に傷つくというセカンドレイプなどが題材だ。

カブールで2度投獄される

 本書『声なき叫び』(花伝社)は三番目に登場する。副題に「『痛み』を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち」とあるように、ノルウェーにおける移民・難民問題を扱っている。三冊に共通するのは、声を出せない「被害者」の憤りだ。それだけ世の中に「声なき叫び」が渦巻いているということでもある。

 著者のファリダ・アフマディさんは1957年、アフガニスタンのカブール生まれ。カブール大学で医学を学ぶかたわら、抵抗運動に関わる。カブールで2度投獄され、4か月にわたって拷問を受けた。82年にパリのソルボンヌでラッセル平和財団(戦争犯罪法廷)の活動に参加。83年には世界中を旅して自身の投獄や拷問の経験、ソ連独裁やイスラム原理主義との闘い、女性解放運動について訴え、レーガン大統領、サッチャー首相、ローマ教皇らと面会してアフガニスタンの民主化勢力への支援を求めたという。

 アフガニスタンの現代史はクーデターや内戦の連続だ。79年にはソ連が侵攻し、抵抗運動が起きた。88年のソ連撤退後は、国内の支配をめぐって紛争が激化する。今も一部はタリバーンが支配し、テロが絶えない。

 著者は91年に当時5か月だった娘とノルウェーへ亡命し、難民として生活しながらオスロ大学で人類学を学んだ。現在も、難民女性支援の活動を続けているという。

 北欧は移民や難民に寛大といわれる。先頭を走るのがスウェーデンだ。国民4人に1人が移民といわれる。ノルウェーの人口は500万人余り。そのうち約14%が移民とされている。「複数の民族が住むノルウェーは、国際化が進んだ多文化国となりました」と駐日ノルウェー大使館の㏋は説明している。

 著者はノルウェーの三か所の施設でフィールドワークを続けたという。300人以上のマイノリティ女性やグループリーダーからの聞き取りをもとに「オスロ市のマイノリティ女性に関する研究」を修士論文としてまとめ、2008年にはノルウェーで単行本として出版した。本書はその邦訳となっている。

目に見えない痛みの原因は文化

 本書は以下の構成。

 第一章 ノルウェーは世界一寛容な国?
 第二章 苦しい生活
 第三章 多文化社会と多文化主義
 第四章 スラム街の暮らし
 第五章 女性 戦争 痛み 愛情
 第六章 男性による支配と社会による支配
 第七章 メディアとマイノリティ女性の日常
 第八章 女性たちの経験は制度を変えるためのヒント
 第九章 グローバリゼーションから取り残された人たち
 第十章 出口──マイノリティ女性の希望

 本書に登場する女性たちの出身国はチリ、アフガニスタン、ソマリア、パキスタン、イラン、モロッコ、スーダン。約半数は難民。他は様々な理由で移住してきた人たちだ。年齢は30~40代。ほとんどはイスラム教の影響を受けているが、信仰心を持っていない人もいる。今の仕事や周囲との関係から全員が匿名だ。

 彼女らの何人かはスラムで暮らしており、生活が苦しい。心身の不調を抱えている人も少なくない。「私たちにとって、目に見えない痛みの原因は文化なんですよ」「私が苦しんでいるのは、ノルウェーが自分の国じゃないからよ。母国では今よりずっと貧しかったけれど、こんな痛みは感じなかったもの」。そんな声が紹介されている。

 こうした移民・難民家庭のストレスには、気づきにくい一面もありそうだ。母国では男尊女卑。ところがノルウェーは、先の駐日大使館の㏋によれば、「男女平等や生活水準の国際的な調査において、常に上位にランクされます。ノルウェーでは女性の約70%が就労しています」。

 ノルウェーの作家イプセンが1879年に発表した『人形の家』は、フェミニズムや女性解放運動に関連して語られることが多い。主人公ノラは、夫に従順だったが、我慢が限界に達し、家を出る。「自立する女性」の先駆というわけだ。

 本書に登場するパキスタン女性は、夫の両親と同居、介護もしている。施設に入れることはできない。なぜならパキスタンの「常識」では親を介護施設に入れるというのは「恥ずべきこと」とされているからだ。しかも義理の両親は常に母国の家父長的な伝統にのっとった女性の役割を彼女に押し付けてくる。夫は妻の窮状を理解してくれない。忍従を強いられていたころのノラとの違いは、「ヒジャブ(頭に巻くスカーフ)を付けているだけ」。ノラのように夫に見切りをつけ、家を捨てて出ていくこともできない。「自立」への道は閉ざされている。

2011年に空前の大殺人テロ

 ノルウェーではインド系の移民が、子ども・平等省の副大臣になったこともあるという。しかし、本書によれば、長年白人中心で成り立ってきた社会には「私たち」と「その他の人々」を明確に区別する考え方が浸透している。マイノリティが「私たち」の福祉制度を不当に利用している人たちのようにも見られがちだという。

 本書刊行後の2011年7月にはノルウェーで、極右思想の持ち主による銃乱射などによる空前の規模のテロ事件が起きた。襲撃者は「移民排撃」を主張していたという。

 本書の翻訳は、難民自立支援ネットワーク(REN)の理事長もしている石谷尚子さん。上智大出身の翻訳家でもある。RENはケニアの難民キャンプで発行されているウエブ雑誌の翻訳もしている。その活動を支えている20人のメンバーが本書の翻訳にも協力、巻末に全員の名前が掲載されている。

 上智大は、緒方貞子さんが長く教鞭をとっていたせいか、国際貢献に関する仕事を志す女性が少なくないようだ。BOOKウォッチでは、上智大出身者による海外支援関係の著作で『チェンジの扉――児童労働に向き合って気づいたこと』(集英社)も紹介している。

 このほかBOOKウォッチでは、『マッドジャーマンズ――ドイツ移民物語」(花伝社)、『奴隷労働―ベトナム人技能実習生の実態』(花伝社)、『フィンランド人はなぜ午後4時に仕事が終わるのか』 (ポプラ新書)、『ヴァイキングの暮らしと文化』(白水社)なども紹介している。

  • 書名 声なき叫び
  • サブタイトル「痛み」を抱えて生きるノルウェーの移民・難民女性たち
  • 監修・編集・著者名ファリダ・アフマディ 著、石谷尚子 訳
  • 出版社名花伝社
  • 出版年月日2020年3月24日
  • 定価本体2000円+税
  • 判型・ページ数四六判・313ページ
  • ISBN9784763409195
 

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