「お迎え」とは、死に瀕している人が、看取る側が見ることのできない物や風景を見たり、そこにいるはずもない人と会話したりすることだ。古い伝承に残るこの風習を医師・社会学者らが体系的に調査、1742人の遺族による証言をレポートしたのが、本書『「お迎え」体験』(宝島社新書)である。
著者の河原正典さんは、福島県立医科大学、同大学院を経て、外科医に。在宅緩和ケアの普及につとめた故・岡部健医師の医院に入り、岡部さんの主治医もつとめた。
終末期の患者や家族から「お迎え」体験を聞いた岡部さんが、メディアに登場したことで、「お迎え」は注目されることになった。岡部さんらが2002年、2007年、2011年、2015年と4回行った調査の概要と証言例を紹介している。調査では、次のような選択肢を提示している。
「患者さまが、他人にはみえない人の存在や風景について語った。あるいは、見えている、聞こえている、感じているようだった」
2011年の調査では、575件中226件、41.8%が「お迎え」体験を認めた。その内容は、既に死去している人物、風景・情景、存命中で不在の人物、ペット以外の動物、仏、ペット、光、神などだった。
場所は本人の家が77%と多く、一般病棟は12%と少なかった。本人の家が圧倒的に多いのは、患者と家族との日常的なコミュニケーションがあったから、と見ている。
体験した患者は、「不安そう」「どちらかといえば不安そう」は27%にすぎず、「安心しているよう」「どちらかといえば安心」が36%と、ポジティブに受け止めていた。また、家族の半数近くが「良かった」「それなりに良かった」と肯定的に評価していた。
精神医学では、終末期におけるこうした体験をせん妄による幻覚、幻視としてとらえ、治療の対象とする考えが主流だが、河原さんは、「お迎え」体験がもたらす家族間の豊かな関係性が切り捨てられる可能性もあり、せん妄診断からいったん距離を置く必要がある、と書いている。
興味深いのは、「お迎え」体験の経験者は、仏壇保有率が高いことだ。体験者の80%が仏壇を持っていた。河原さんは、遺影に向かって手を合わせることで、生前以上に故人との対話が成り立つ土壌が形成されているのでは、と見ている。
「第3章 亡き者たちとの『再会』」では、52の「お迎え」体験の事例を紹介している。いくつか引用しよう。
「部屋のすみにだれかいるって言うので、誰なのかって聞くと『母ちゃんだ』という。『迎えにきたのか』といった会話をしていました。亡くなる1カ月ぐらい前です」【回答者:63歳(娘)、故人:89歳男性】 「本家のおじさんと母が出てきて『まだ早い』と言われた。『顔を忘れないようにほくろの位置まで見ておくように』と言われた」【故人:84歳男性】
自らの死期を語った患者たちの実例、別れの言葉などが書かれている。
本書は、スピリチュアルな現象と見られたり、精神医学的に「せん妄」と片付けられたりしている「お迎え」について複数の医師・社会学者らが行った調査(2011年、2015年は文科省の科学研究費も出ている)を体系的にまとめた初のレポートであるのが特徴だ。だが、無味乾燥にデータを羅列したものではない。「お迎え」に注目した岡部健医師のポートレートを立体的に描き、読みごたえがある。
宮城県立がんセンターの呼吸器外科医師だった岡部さんは、治療効果の望めない患者の「自宅に帰りたい」という希望をかなえるために、在宅緩和ケア専門のクリニックを1997年、宮城県名取市に開設した。その後の体験で「お迎え」体験をした患者さんは、穏やかな最期を迎えるという仮説を導いた。
しかし、この仮説はその後の調査で否定されることになった。「『お迎え』体験の有無にかかわらず、死にゆく人の多くが穏やかな最期を迎える」ことが明らかになったからだ。
河原さんは現在、岡部医院仙台院長として、在宅緩和ケアの普及につとめているが、在宅死に必ずしもこだわらない。「ギリギリまで家ですごして、病院に入院するという選択も当然ある」という。
本書は「あの世」を証明するために書かれたものではない、と冒頭でクギを刺している。冷静な医師の眼で書かれているので、安心して読むことができる。
BOOKウォッチでは、社会学者の上野千鶴子さんが、「在宅ひとり死」について書いた『おひとりさまの最期』(朝日新聞出版)を紹介している。
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