新型コロナで世の中がぎすぎすしている。そんなとき本書『タコとミカンの島――瀬戸内の島で暮した夫婦の話』(シーズ・プランニング 発行、星雲社 発売)を手にとると、だれしもほっこりすることだろう。イラストと文章でつづられる、瀬戸内海の小さな島の物語。かつて確かに存在し、今はすっかり消えてしまった昔懐かしい暮らしぶりを、丹念な聞き書きでよみがえらせている。
著者の倉掛喜八郎さんは神戸市在住の元グラフィックデザイナー。柔らかな筆致のペン画が得意だ。神戸市で焼き穴子とくぎ煮の店「魚彩」も営んできた。幼いころから船と海が大好き。時間を見つけてはふらりと、島めぐりのスケッチ旅行に出かけることも多かった。ときどき個展も開いている。
本書の舞台となっているのは、瀬戸内海の小さな島、二神島と由利島だ。両島はつながりが深く、「親子関係」にある。親が二神島、子が由利島だ。
1984(昭和59)年8月、倉掛さんは松山市の港からフェリーに乗って初めて二神島に行った。周囲10キロほど。まだ約150世帯が暮らしていた。そこから南に8キロのところにある由利島には、かつては集落があったが、すでに無人島になっていた。何とか渡る方法はないものか。役場の人が、二神島から由利島に通ってミカンの「出耕作」をしている人を紹介してくれた。その人が本書の主人公、中村勝美さん、当時67歳だ。
この二島については、すでに高名な民俗学者の宮本常一が『私の日本地図・瀬戸内海』で紹介していた。島民は漁業に関して、平等の権利を持つのだという。一種の「島共和国」。知人からこの本を紹介され、島民の相互扶助精神に興味を抱いていた倉掛さんは84年の10月、漁船「勝豊丸」に同乗して念願の由利島上陸を果たす。中村さんと妻スミエさん(当時58歳)も一緒だった。
宮本常一が由利島を訪れたのは、1959(昭和34)年のことだという。周囲に好漁場があり、ミカン栽培もおこなわれていた由利島では戦後も20世帯ほどが暮らしていた。中村さん夫婦もその一人。しかし、だんだん住む人がいなくなり、記録では1965(昭和40)年に無人島になったという。しかし実際にはその10年後ぐらいまで、中村さん夫婦が住んでいた。夫婦は今や無人島になった島の歴史を知る貴重な生き証人だった。
倉掛さんは島の自然と夫婦の人柄に魅せられた。足掛け10年にわたって二神と由利を訪ね、取材を続けた。あるときは頂上まで200メートル近くあるミカン山で、あるときは漁に出た船の上で、あるときは一緒にこたつに入りながら、ちょっと昔の昭和時代の夫婦の人生をじっくり聞いた。
本書はそうした長年の交流をもとにした丹念な聞き書きだ。エッチングのような細かい線によるスケッチイラストが、写真とは違ったぬくもりと手作り感を醸し出す。宮本常一には、戦前から戦後間もないころの人々の昔ながらの珍しい生活ぶりをたどった『忘れられた日本人』(岩波文庫)という名著がある。数奇さという点で、本書はその続編のような感じが漂う。なにしろ1970年代まで、電灯もないような離島で、夫婦二人で「タコ漁とミカン栽培」で暮らしていたというのだ。
日の出とともに仕事を始め、日の入りで作業を終える。潮の流れと、樹木がつくる陰で時間がわかるので、時計は不要だったという。
由利島からは弥生時代の土器が見つかっている。太古から人が暮らしていたのだ。周辺で行われているタコの漁法は、これまた弥生時代にまでさかのぼるものなのだという。単純に壺を海に放り込んで、その中に潜むタコを採るというものではない。いくつかの複雑な段取りがある。その習熟度によって必然的に「名人」が生まれる。中村さんはもちろん「名人」の一人だった。
タコ漁のときは共同体総出の作業となる。壺の置き場所が重要な要素になるので、不公平が起きないように、当たりはずれを均等にすることが定められていた。自然の恵みを基に暮らす共同体の知恵だった。
本書で知ったのだが、ミカンは採集できるまでに時間がかかる果物らしい。しかも、木によって性質が異なるという。スミエさんは急斜面で約700本を育てていたが、その一本一本と「話ができる」というのが自慢だった。しかし、ミカンを成木に育てるには15年から20年もかかる。それだけの手間をかけてもうまくいくとは限らない。とても子や孫に継がせることができない、ということでミカンを手掛ける人は減り、必然的に島も過疎の道をたどる。
本書でいくつかのことが記憶に残った。一つは「家船(えぶね)」と呼ばれる人々。家財道具を船に積んで、水上生活している。瀬戸内はもちろん東シナ海まで広範囲に移動する。彼らは時折、中村さんから新鮮なイワシを買うために、由利島にも現れた。島に上陸し、一緒にご飯を食べたり、風呂を浴びたりすることもあった。かつて、そういう水上生活者が存在していたことは知っていたが、離島の漁民と「家船」の人々との濃密な交流ぶりを再認識した。
もう一つは、海の汚染。由利島の海は10メートルほどの透明度があったが、1960年代半ばから次第に濁り、80年代になると、プラスティックごみが浮遊するようになったという。世間で騒がれるよりも前に、島の人たちは早くから「公害」に気づいていた。
中村さんは1987年に72歳で亡くなった。スミエさんは仏壇の前で1か月、ぺたんと座り込み動けなかったという。そのスミエさんも2008年に亡くなった。二人は、大昔からの海と島の暮らしぶりを今に伝えた「最後の日本人」といえるかもしれない。倉掛さんは、生前の二人に本書を届けることができなかったのが残念でならないと、あとがきで記している。
ちなみに、無人になっていた由利島は後年、「進ぬ!電波少年」の無人島脱出企画の舞台になったことがあるそうだ。
BOOKウォッチでは離島や民俗関連で、『ニッポン 離島の祭り』(グラフィック社)、『秘境旅行』(角川ソフィア文庫)、『秘島図鑑』(河出書房新社)、『トカラ列島 秘境さんぽ』(西日本出版社)、『イタコとオシラサマ―東北異界巡礼』(学習研究社)、『日本の島 産業・戦争遺産』(マイナビ新書)、『消えた山人――昭和の伝統マタギ』(農山漁村文化協会)など多数紹介済みだ。
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