一度聞けば忘れそうにない「おいしい文学賞」。ごはん、おやつ、お酒......「おいしいもの」と聞いて連想するテーマあるいはモチーフが含まれた短編小説を対象とする。『食堂かたつむり』の著者・小川糸さんと、ポプラ社の食いしん坊ばかりの文芸編集部が選考を行ったという。白石睦月さんの本書『母さんは料理がへたすぎる』(ポプラ社)は、第1回「おいしい文学賞」受賞作。
「父親をなくした後の日常や、お互いへの優しい眼差しなど、家族それぞれの等身大が描かれていて、とても魅力を感じました。」(小川糸さん)
表紙とタイトルから、「料理がへたすぎる」母親に代わり料理担当となった長男と家族を描くほのぼのとした物語を評者は想像したが、そんな単純なものではなかった。シリアスとユーモアを織り交ぜ、父親をなくした家族一人ひとりのさまざまな心の動きを一定の明るさを保って描写している。帯にあるとおり「未来が明るくておいしい。生きる力がわいてくる!」物語だった。
山田家の父は、三年前に事故死した。高校一年生の長男・龍一朗の役目は、会社勤めの母と幼稚園に通う三つ子の妹たちのご飯をつくり、面倒を見ること。龍一朗、母、三つ子の妹たちは、それぞれつまずいたり、悩んだり、互いに助け合ったりしながら日々暮らしている。
本書は「母さんは料理がへたすぎる」「ないないづくしの女王さま」「待ちぼうけの幸せ」「プレゼント」「ウソつきたちの恋」「春が生まれる」「母さんの料理がへたすぎて」の7話構成。龍一朗、三つ子の妹たち、父、母の視点から順に語られる。リアルな内面描写が人物像をくっきりと浮かび上がらせ、彼らがすぐ目の前にいるかのように感じられる。
ここでは主人公・龍一朗と、白石さんが「陰の主人公」とする父を中心にストーリーにふれておこう。
大学の同級生だった父と母は、卒業の二年後に結婚。その一年後に龍一朗が生まれた。父の会社が倒産したため、母は育児休業をとらずに働きつづけ、父が主夫となった。龍一朗に料理を仕込んだのも父だった。
「(父さんは)ほんと、ため息が出るほど不器用な人だったのだ。でも、代わりといってはなんだけど、その手だけは見えない羽が生えているみたいに自由だった。とっておきの魔法がかかっていた。」
父は、三つ子たちが幼稚園に入ったら、総菜店を始めようとしていた。手頃な空き店舗も見つけてきて、不動産屋と契約を済ませていた。それなのに自動車と接触し、頭の打ちどころが悪く、あっけなく逝ってしまった。そしていま、三つ子は幼稚園の年長に上がり、龍一朗は高校に入学し、母は四十一歳になった。
「僕には反抗期らしい反抗期がなかった。(中略)でも、転んでしまったのだ。ひたすら前へ前へと走りつづけ、靴ひもが両足ともほどけていることに気づかなかった。それで、とうとう転んでしまった。」
一方の父は、「こちらの世界」で念願だった総菜店を始めて三年余り。常連客もつき、なんとか軌道に乗っていた。
ある夜、龍一朗は「バランスを崩し、一時的に生じた心の隙間」から「こちらの世界」に入り込んできた。三年ぶりに父と龍一朗はいっしょにキッチンに立ち、食事をとった。まだ十六歳でがんばりすぎて転んでしまった息子に、たったひと晩でも父は手を貸すことができた。
「あすには消えてしまうかもしれない運命」とわかりながら、「じゃあなぜ、こんな世界が存在するのだろう。僕らはここで、なにを待たされているのだろうか。」と父は考える。
「僕らは川の向こうに行けない。でも時が巡ってきたら、そっと姿を失う。ようやく向こう岸に渡っていけるのだ。(中略)泳ぎきるあいだに、すべてを失うらしい。そしてまっさらになって泣くのだという。」
家族のなかで唯一、三つ子の三女だけが頻繁に「こちらの世界」に渡ってくる。ある夜、「おかーさん、いっしょに会いにいこう」と言い、三女と母はならんで横になり、手をつなぎ、「こちらの世界」にいる父・夫に会いに行く――。
「こちらの世界」の住人も、喜怒哀楽の感情を持ち、食事をし、語らっている。いつか本当に消えてしまうことを覚悟した上で、残してきた家族がやってくるのを心待ちにしている。そんな死と本当の死のあいだの世界があったらいいなと思う。
白石睦月さんは、1982年山口県生まれ。山口大学人文学部卒。10年在住した群馬県で、独学で小説を書きはじめ、おもに長編を執筆。本書に収録されている「母さんは料理がへたすぎる」は第1回「おいしい文学賞」受賞作として、月刊「asta」2018年7月号に掲載されたもの。ほかは書き下ろし。
白石さんは「WEB asta」のインタビューでこう語っている。
「物語を生み出すにあたり、私には一貫したテーマがあります。それは『弱い人間はいない。ただ弱い立場に追いやられている人がいるだけ』というものです。(中略)懸命にもがいているのにうまくいかない、がんばっているのになかなか前に進めない、そんな本当は弱くない人たちの日々を丁寧に書いていきたいと思っています。」
「『母さんは料理がへたすぎる』には、7つのおいしいお話がギュッとつまっています。たのしい、かなしい、うれしい、さみしい......さまざまな気持ちを読者の皆さまそれぞれの感覚でじっくり味わってみてください。」
本書が白石さんのデビュー作となる。おいしそうな料理の描写はもちろんのこと、生き生きとした人物描写が絶品だった。登場人物たちに向けられる、あたたかくも鋭い視線。白石さんの作風は、多くの読者を惹きつけるだろう。
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