探偵とは、最もベールに包まれた職業の一つではないだろうか。探偵事務所の看板を見かけて、探偵って現実に存在するんだ! と意外に思ったことがある。実態が見えづらく、敷居が高く感じられる探偵。そんな探偵のイメージを覆すのが、山咲黒(やまさき くろ)さんの本書『一乗寺探偵事務所の広辞くんと千世子さん』(メゾン文庫)だ。
探偵事務所の仲良し夫婦・広辞くんと千世子さんが、浮気調査、魚の不審死の真相解明、失踪者の捜索の依頼を受け、任務を遂行していく日常ミステリ。仲良し夫婦が案件を淡々と穏便に解決していく。ところが後半、ほのぼのとした雰囲気は一転。仲良し夫婦に隠された真実とは――?
一乗寺探偵事務所に舞い込む依頼はさほど緊迫感がない、というのが評者の率直な感想だ。本格的な謎解きやスリリングな展開を求める読者向きではないかもしれない。読者は、仲良し夫婦のほんわかした任務遂行の様子を見守ることになる。
本書の特筆すべき点は、なんといっても夫婦のキャラクターだろう。愛情とユーモアたっぷりなやりとりに、こちらまで和んでくる。探偵ものなのにハラハラせず、むしろ安心感を持って読み進んだ。
日浅広辞......調査員。所長代理。無表情かつ無愛想だが、その膨大な知識を活かして依頼解決に導く。
日浅千世子......事務員。夫の広辞くんと、美味しいものを食べるのが好き。観察力がある。
広辞くんと千世子さんは、出会って六年、結婚して二年になる。二人の職場である一乗寺探偵事務所は、中野通りに面したビルの二階にあり、一階は骨董品屋、三階は日浅夫妻の住居となっている。依頼人が求めれば、土日も就業時間外も関係なく応じなくてはならない。探偵は過酷な仕事だ。
広辞くんの名前は「広辞苑」に由来する。「広辞苑曰く――」が口癖。広辞くんは広辞苑を丸暗記しているため、耳にした単語をすべて頭の中の広辞苑で参照できてしまう。
「一見だらしがない優男に見える広辞くんであるが、実際のところ噛めば噛むほど味が出るするめのような魅力を持っているのだ。」
「広辞くんは揺るがない。鷹揚で、懐が深い。まるで地面に根でもはっているかのように何ものにも怯むことがない。」
観察眼の鋭い千世子さんは、一風変わった広辞くんを愛情を込めて観察し、日々幸せを噛みしめている。
「案件1.」は浮気調査。依頼人である夫は、妻が毎週水曜の退勤後に漫画喫茶を利用していることを探り当てた。そこに浮気相手がいるのではと疑い、妻の浮気の証拠を掴んできてほしいという。
「探偵の仕事の八割が浮気調査(中略)この仕事をしていなければ、世界に浮気をする人間というのは星の数ほどいるのだと知らないまま人生を終えていただろう。」と千世子さんは思う。
他にも「通常の張り込みといえば、数時間立ちっぱなしでいることなどざらだ。屋外での張り込みを業界用語で『立ちんぼ』という」「店内での張り込みとなるとただ立っていればいいというものでもない。周囲に不自然に思われないように立ち回り、かつ対象を監視する必要がある。」など、探偵の実態がわかる記述が興味深い。
「案件2.」は魚の不審死の真相解明。依頼人である高齢女性は、玄関脇の石甕で飼っていた魚が立て続けに三日も経たずに死んだため、原因を調査してほしいという。
このまま案件を解決していくのかと思いきや、「案件3.」で広辞くんと千世子さんが出会った頃に遡り、続く「案件4.」で再び現在に戻る。
「カメラのフラッシュが焚かれたように頭の中が一度強く光り、いやにリアルな映像が細切れで再生される。傾ぐ視界。側頭部に走った衝撃。」
千世子さんは、こうした異変を感じはじめる。そこに「女性の事務員さんはいらっしゃいますでしょうか」という不審な電話が事務所にかかってくる。さらに、広辞くんの姿が見当たらず、連絡もとれなくなる――。
「案件1.」から「案件3.」までと打って変わって、「案件4.」以降はザワザワと不穏な空気が漂う。そしていよいよ仲良し夫婦に隠された真実が明かされるとき、思わず「?」が頭に浮かぶ意外な展開が待っていた。ここでは「案件4.」以降の詳細には一切ふれないでおこう。なにはともあれ、広辞くんと千世子さんの夫婦愛がにじみでる微笑ましいやりとりを楽しんでほしい。
著者の山咲黒(やまさき くろ)さんは、広島県生まれ。2002年に小説用のホームページを制作し、継続的な執筆を始める。08年商業デビュー。そのホームページは中短編の無料公開などで現在も稼働中。
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